Black Forest  その男はいつしか「黒い森」と呼ばれるようになり・・・


             
 

Motor Cycle


HONDA VFR400R 1986

 
元々はNS250Rロスマンズを予約していたが、後に発表になったこっちに変更。
高校2年の夏から乗り始め、手稲山や毛無峠、朝里峠、夕張の方の峠に良く走りに行った。
カムギヤトレインのメカニカルなエンジン音が特徴的。
手稲山でクラッシュしたときは土手の中腹までバイクが登ってて、ギャラリーの皆さんに降ろしてもらいました。
高3の夏には思い立って北海道1周を4日間で敢行など、青春時代を共に過ごした思い出深いバイク。
カスタムはサンセイのサイレンサーに交換したくらいか。タイヤもノーマルのDUNLOPのまま。
カウルは割れちゃったので、アッパーだけで乗ってました。
レース始めて少しの間乗ってたけど、峠を走る意味も感じなくなり、バイク屋の年下に頼まれてバリマシトレーナーとセットで売却。

YAMAHA TZR125 1988 (SP125)
 
「出せる予算で勝てるレースを」とこのクラスを選び、新車購入と同時にレーサーに。
(SSイシイコンプリートは予算オーバーだった)
保安部品とオイルポンプを取っ払ってシングルシートとチャンバーを装着したくらいで、あとはYPVSのバッテリーホルダーなんかは
チームの人に教えてもらってアルミ板で作ったりした(6Vのラジコンバッテリーみたいなやつ)。
セパハンも径が合うだけの何の車種用かわからないものだったと思う。
セッティングなんかわからないのでとにかく練習したけど、チャンバー割れたりサイレンサー飛び出したり、色々ありました。
2年目には表彰台や優勝も経験。
しかしこの頃のYAMAHAはシリンダーも成型時のバリが結構目立ってて、当たり外れがある感じでした。
この時期遅いマシンで頑張ってたのはとても自分のためになったと思うし、
今こういう無心で走って「とにかく腕を磨ける」入門カテゴリーが無いのは残念と感じます。

HONDA NSR250R SP 1989 (SP250)
 
30番のピンク
いわゆる「銀テラ」というやつ。
中古で購入し、コシカワチャンバーを装着。SP125のノリでレーサーに仕立てるも、いきなりクランクが焼き付いて出鼻をくじかれる。
このクラスは勝つためには知識やセッティング能力が必要で、その準備が全くできていなかったことにシーズン終了間際まで気が付かなかった。
正しい情報も間違った情報もあちこちに転がっていて、無知丸出しで散々なシーズンを送る。セッティング能力もまるでなしであることを痛感。
勝ち負けどころかトップ10にも入れず、久々に予選落ちも味わった。
タイヤも高くてプロダクションクラスとは言えない過熱ぶりだった事などが、このクラスが後に衰退する要因の一つと思っている。

HRC RS125R 1991(NB/NA GP125)
  
世界を目指すならこれだ!と心機一転してレーサークラスに転向。
ノーマルで十分だったのだが、店の人の勧めでブレンボのキャリパーとFCCのクラッチで武装。

全開加速するとハンドルから手が離れそうになる速さ、ハンドリング(反応)の鋭さ、軽さ、40psそこそこでSP250をしのぐタイムで走れることに
「これが純レーサーか!」と感動する。
SP250での苦労が身になっていたのか、開幕戦で優勝し、そのままの勢いで初のシリーズチャンプを獲得。

このマシンでの初年度シーズンは信じられない事にレイン用ホイールを持たず、現地で手組で交換してた。
NA昇格した1992シーズンはシーズン途中からドライ用ホイール(Fリム幅2.25)をテクノマグネシオに変更、リヤサスをオーリンズに変更。
174cm 60kgそこそこの体格だったので人間がセッティングに合ってたのかそれほど変更せずに走れていた。
ギヤレシオはファイナルのみではなくミッションケース内のギヤを組み替えることで変更可能。
ここにはタイムアップの可能性を求めて、サーキットでクランク割って(まだNX4のようなカセットミッションではない)
ミッション組み替えてました。それくらいエンジン脱着も気軽にできるマシンだったってことです。
年式落ちの中古は20万とか30万で流通してたので、この辺もこのクラスが盛り上がって世界に通用するライダーが続出した要因かと思う。
1992モデルのCDIがそのまま使えるとの事で、交換してみたがそれほどの違いは感じなかった。

明けて1993年、Jhaチャンバーを装着してトルクアップを実感、HSP開幕戦は幸先よく優勝、うろ覚えだが十勝でも優勝し、
そのまま流れに乗れるかと思いきや練習中に高速クラッシュで腰椎骨折、1か月入院の事態に。
原因はクランクのフリクション対策としてプライマリーギヤを規定トルクより軽く締めていたことで、
緩んだボルトがクランクケースを突き破ってしまい、噴出したオイルに乗ってしまった。
180㎞/hからのブレーキングと同時にマシンが真横になってものすごい勢いでハイサイドとなった。
このマシンはそのままシーズン終了を待たずに廃車となる。


HRC RS125R 1993(NA GP125)


シーズン最終戦終了後にライバル達と記念写真  真ん中の①
1993シーズンは翌年から関東に移住を決めていたこともあり、HSP十勝とダブルタイトルを獲り、
スーパーカップHSP大会でも勝つという目標を掲げていた(GPに出ているような良いチームに入りたかったので)。

しかしクラッシュで91RSは廃車なので、
なんとシーズン途中で93RS新車を投入。当時はHRCも受注生産ではなかったのでどこかのショップに余ってたりしました。
エンジンは1991モデルと比べると明らかにトルクフルで扱いやすく、Fホイールは2.50幅になり、ラジアルタイヤ対応に。
慣らし終わってすぐにベストに近いタイムが出ました(ついてたヨコハマタイヤのままで・・)。

リヤのオーリンズ以外はフルノーマルで走らせていたが、
写真の十勝最終戦ではクルーズレーシングさんのPJ PAXキャブのスーパーショートモデルをモニターでテスト装着し、
高速の伸びがすごかったおかげで、直線の長い十勝ではノーマルエンジンで不利と思われたが優勝できた。
意気込み通り十勝ではタイトル獲得、HSPはレインの最終戦で1周目に転倒も追い上げて3位となるが、
1ポイント差でタイトルを逃す。出走したレース数自体は少ないが、お気に入りのマシンでした。
関東のグランプリチームに入れてもらえることとなり、監督の助言で移住前に売却(今思えば乗り続けておけばよかった)。


HRC RS125R 1994(SCE GP125)

セットアップキット込みで100万オーバーで購入。この年式からF2.50 R3.50のリム幅となる。
ドライ用にテクノマグネシオの中空ホイールを装着して、燃料次第では最低重量を割ってしまうほど軽量に仕上がった。
グランプリチームらしくシーズン後半にはHRCのBキットが回ってきて装着。SUGOのSPアウトではフロントが浮いて、
ここまで違うのか!というパワーを体感。マシン的には有利な状況(人生初?)だったが、
Fラジアルタイヤやリヤ3.50リムがどこまでグリップするかつかめず転倒も多く、全てが上手く回らず成績は残せなかった。
翌1995年にはNX4(倒立フォーク、リンクサス、カセットミッション)が出たが、
知っていればこの94RSは買わなかったマシン。この年にお金をかけ過ぎたおかげで新型は購入できず。
ここでレースに対する意欲も急激に低下する要因となる。
写真もほとんど残っていません。

DUCATI M900

本気レースを中断後、ツーリングでも・・と気まぐれでRZ250R(R1Z兄弟車?)を購入したが、すぐ売却。
それから10年以上自分のバイクは持っていなかったが、
2輪用品店に就職したのをきっかけに通勤用でSR400(1JR)を購入。あくまで足でしかなく、サーキットに行く気は全然起きなかった。
しかし、この40歳目前で購入したモンスター900はそこを刺激する物があるんだろう、
通勤でしばらく使っていたが、普通に乗っていても扱いづらく、壊れてるのかなと勘違いしたほど。
こんなはずはない・・と試しに走行会で久々に筑波を走ったらこのバイクの本当の楽しさを味わうことが出来た。
後に知ったがこの頃のモンスターは851の車体がベースとなっていたようで、サーキットで楽しいのもなるほどな感じ。
それから自然と気持ちもそっち(サーキット)に向かい、気が付いたら走行会を経てイベントレース(DUCATIワンメイク)に参加。




TRIUMPH DAYTONA675



 
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