History
私が生活を共にした車達の紹介です〜
はじめに
ここのコーナーでは、私が所有してきた車達をその当時を振り返りながら紹介します。
私は免許を取得して25年近くなりますが(2003年5月現在)今までに同時に所有した
車も含めてGOLF WAGONで19台の車と接してきました。
何分 25年前の記憶からたどっていくので、一度にはなかなか細かいところまで思い出せませんので1台目から順を追って紹介させて頂きます。中には間違ったスペックなどを記憶してるかもしれませんが、そこのところはおおめに見てやって下さい。暇をみつけては更新するつもりですので、宜しくお願いします。
1979年頃
TOYOTA スプリンター トレノ(TE61)black.M
はじめての車は中古でS.53式のトレノでした。プロフィールの所でも触れましたが、
”弄る”事をはじめたのもこの車からでした。Exteriorではグリルをつや消し黒で塗装したり、ウィンカーを当時のローレルのものを付けたりまた、ライトカバーが純正で出ていたのを黒に塗って昼間だけ装着したり。
当然、当時はフェンダーミラーなのでドアミラーに変更し、お決まりの”車高短”&ワイドホイールとタイヤを入れて、友人と競い合って弄ってました。
とにかく、自分で出来る事はすべて友人と共にやってたのが今考えると、凄かったなと思います。
知り合いに必ず1人や2人は整備士がいて、情報はそこから聞き出し見よう見まねで弄ってました。
今でも昔の友人に逢うと”おまえのトレノは速かったよな〜”と言われますが、多分若い頃の記憶でフィーリングだけが残ってるのだと思います。
確かにプラグコードも触媒を取って、ストレート化したマフラーやそれなりにメカニカルな部分も弄ってましたが、単純に1t位のボディーに115psのDOHCが載っているというライトウェイ
トスポーツ的な要素が大きいのではないかと思います。
とにかく毎日、車の話題で盛り上がり友人と遊んでいた楽しい想い出を 蘇らせてくれる車です。
1980頃
TOYOTA カムリ 2000GT White
トレノは車検が1年と数カ月付きだったので割と早く車検を迎える事になりました。
そこで車検に出すか買い替えるか迷いましたが、more powerを求めカムリの2000GTを購入する事に決めました。
当時よく雑誌の記事にもなっていた18RGエンジンを体験したいと言うのが購入動機だったかもしれません。また何かと比較されていたジェミニ ZZRとの記事がかなりそそられた記憶が有ります。
この車も例外ではなく”車高短”触媒抜きストレート、ワイドタイヤ&ホイール。
当然ドアミラー化と、トレノと一緒でひと通り弄りました。フェンダーミラーの跡はちゃんとパテ埋めしてスムージングして、ミラーも選びに選んでビタローニを買った記憶が有ります。ステアリングもトレノは”MOMO”を付けてましたが、カムリは、ナルディーをつけたりと、段々とパーツへのこだわりが出てきたのもこの頃かもしれません。
やはりこの頃の刺激を受けた雑誌といえば”ホリデオート”のOH!MY 街道レーサー”のコーナーで、毎月読んでいたと言うか 見てた記憶が有ります。メッキ部分のblack out化なんかは、結構気合いを入れて自分でマスキングして塗ってました。
確かに2TGのトレノよりトルクがあったのですが俊敏な感じはトレノのほうがあったように思えます。
又リヤのサスペンションが独立懸架式だったので車高を落とすと”ハ”の字になったのを見て”かっこえ〜”と単純に思っていた自分が笑えてきます。
それでも私なんかはエンジン自体には手を加えませんでしたが、凄い人は日産のL28(2800cc)を3000ccまでボアアップしワークスオーバーフェンダーに超ワイドタイヤを付けたスカイラインや、セリカのXXにボルトオンでターボを載せたりと、とんがった人が周りに結構いました。そういう人達の中で育った私は、この頃の環境が今の私の”弄り”の素を育てたのではないかと思います。
1982年頃
TOYOTA ビスタ 2000 Whiite
3台目は突然やってきました。その日カムリで友達が集まる喫茶店にいたら後輩がデートするので車を貸して欲しいというので、夜には戻すと言う条件で貸す事にしました。
そして夜になり後輩がバイトしているレストランへ車を受け取りに出向き、後輩を探すとそこにはなんと手に包帯の彼が。いやな予感が....。すると”すみません”という言葉。”あ〜やりやがった”と思い、”どうした?”と聞くとやはり、”事故った”とのことで、しょうがないので”修理たのむよ”と言うと”それが.....”との返事。
そうなのです。全損事故を起こしてしまい修復不能とのことで、私は頭の中が真っ白状態になりました。
後日、彼と彼の親御さんが家へ謝りに来て、TOYOTAのセールスの人も同席で今後どうするかを話し合いました。幸い彼の親御さんは大変良い人で、すべて弁償すると言う話になったのですが、カムリ自体ビスタにチェンジした為カタログにはなく、所謂スポーツモデルはなく、同価格帯のモデルが私のもとに来る事になりました。
ここで教訓です。やはり車と言う物はよっぽどの事がない限り貸し借りは禁物だと言う事を実感させられました。彼の親御さんにすれば何故貸したのかと言う事がありますし、なぜ借りたのかと言う事がありますし、こういう事が起きた時お互い嫌な思いをするので、私は今後人に借りる事も貸す事もやめようと心に誓いました。
TOYOTAのセールスの人が言ってたのですがカムリは”見るとかわいそうなので見ない方がいいですよ”との事で私はショックを受けるので事故後のカムリは見に行きませんでした。
数日後ビスタが納車されましたが、何と言うか普通というか正直言って私的には満足できるフィーリングは感じられなかったですが取りあえず、ホイール&タイヤは速攻で交換しました。ミラーもはじめからドアミラーになっていたので、その後もステアリング位しか弄った記憶がない車だったと思います。
1984年頃
TOYOYA クラウン ロイヤルサルーン 2600 White
結局ビスタは半年しか乗ってなく、私はその年に上京を決意し生活の基盤にする為車を売って旅立ちました。当然、上京したての若憎が車を持つなんて出来なく免許を貰ってから今まで唯一の空白の2年という貴重な時間が存在したのもこの頃です。
ひょんな事から駐車場付きのマンションに格安で住める話が舞い込み、速攻で車を購入する事にして決めたのがクラウンでした。
何故クラウンかというと、当然新車では買えないしそれも6年落ち位で良い車はと探していた所、ワイドタイヤ&アルミ付きプラス全塗装済みと言う広告に惹かれ速攻で決めてしまいました。世の中はハイソカーブームがやって来てて、私ももれなくと言うか流されたというか、”白のハイソ”信者になったと言う訳です。
しかし、あまりにも掛かる維持費に首を締められ結局半年で次の車にと言う事になりました。でも今考えると当時、トヨタの最高ランクの車だけに良く出来てたと思います。
1985年頃
TOYOYA クラウン スーパーサルーン 2000 White
やはり当時の3ナンバーに対する税金と燃費を考えると2000ccオーバーの所有はきつく、色気も出て来て次の世代のクラウンに買い替えました。まだフェンダーミラーの頃だったので速攻でドアミラーに変えて、アルミの物色にとりかかったところ、中古アルミでBBSのRGシリーズを発見して、速攻で付けました。純正が14inchの頃なので
15inchの1inch UPと言う事でおとなしく乗ってました。しかしあまりの乗り心地の良さにどうも酔ってしまう事が解り、ショックだけ社外品を付けた記憶があります。
確かに、ちょい弄って乗るのには良いのですがこのゆったり感がなんだかおもしろくないと言うか、飽きるというか、段々退屈に感じ始めていました。やはり原点がトレノだったのではじめはゆったりした車の新鮮さを味わっていたのですが、機敏さがないのとまだこの手の車に乗るには若すぎたと言う事も有り、1年位で次の車の事を考えだしたのでした。