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歴史散歩(2)−玉前神社の秘宝

いすみ市在住  川口和也
2010年1月1日

昔、九十九里浜は「玉之浦」と呼ばれていました。玉のように美しい海岸だからとも言えますが、九十九里浜では実際に碧玉(ヘキギョク)や琥珀(コハク)、瑪瑙(メノウ)などが採集できました。
現在ではほとんど見つかりませんが、それでもたまに銚子近辺でメノウが見つかったというニュースが風の便りで聞こえてきます。
ここで宝石が発見されるのは茨城県の久慈地方の宝石を含む古い地層が太平洋に接し、波浪で崩され、海流の関係で運ばれてくるからだそうです。

上総一ノ宮・玉前(たまさき)神社の古い伝承によると、ある日、古老が十二個の光る石(おそらくコハク)を海岸で見つけたので神社に奉納したとあります。
玉前神社の「玉」とはこれらの宝石のことであり、とりわけ大きな赤く光る石はご神宝として信仰・尊敬の対象になったことでしょう。
十二個というのは玉前神社配下の十二社、あるいは一年十二か月を暗示していると思われます。

玉前神社より南の海岸は海中に荒磯が続き、アワビの名産地になっております。アワビにはまれに真珠がとれることがあります。
養殖真珠はアコヤ貝を使いますが、それは近代になってからの話。巨大なアワビから白く大きな真珠が採れた時に、漁民は神からの賜物(たまもの)として神社に奉納したと思われます。
わたしはコハクと真珠、つまり紅白の「玉」の産地の目の前に鎮座するから「玉前」神社という名前なのだと推定しています。

一方、紅白の玉とは太陽と月を暗示します。赤玉が太陽、白玉が月です。
玉前神社の正面は広大な太平洋で、しかも神社は真東に面しています。
太陽も月も真正面の太平洋から昇ります。
太陽の昇る時刻、月の形とその昇る時刻は毎日変わりますが、それを詳しく観測するとその日の潮の干満時刻がわかります。特に満月・新月の日は大潮となります。
海洋漁労民族にとって赤玉(太陽)と白玉(月)の動きは季節を知り、海の幸を得、危険を回避するために決定的に重要な神秘的な存在でした。
その紅白二つの玉の真正面にある神社だから玉前神社なのでしょう。
太陽と月、それを象徴するコハクと真珠。
それが玉前神社の信仰の中核でした。

ところが玉前神社に絶体絶命の危機が訪れ、信仰の中核である赤玉・白玉は時の中央政府である大和朝廷に奪われます。
その事情は『日本書紀』に朝廷の立場から記録されています。
概略を示すと――
安閑天皇元年(534年)4月1日、膳臣大麻呂(かしわでのおみ・おおまろ)は天皇の命令により、使いを上総の伊甚(いじみ←いすみの古名)に送り、「珠(たま)」を求めさせた。伊甚の国造(くにつくり←当時の首長職)らは、都に出て来るのが遅れ、長い間献上しなかった。
大麻呂は大変怒って、都にきた国造らを捕らえ尋問しようとしたところ、国造の稚子直(わくごのあたい)らは恐れ逃げまどい、皇后御殿に迷い込んだ。皇后は見知らぬ侵入者に驚きあわてて卒倒した。
みだりに後宮に紛れ入った罪は重大であった。恐れ謹んだ稚子直は皇后のために、伊甚の屯倉(みやけ)を献上し、乱入の罪を償いたいと懇願した。それによって伊甚の屯倉が設けられた。―――

屯倉とは大和朝廷の直轄地のことです。稚子直は国造の地位を喪失しました。伊甚国内の最も良い土地は朝廷に没収され、収穫物を納める巨大な倉庫が建ち、それを管理する朝廷の役人がきました。
役人は国内外の動向を監視する役目もしていたはずです。いにしえよりの半独立国・伊甚国はこうして朝廷に隷属するようになりました。
屯倉役所は伊甚国の中心地、今のいすみ市夷隅町の国吉から国府台付近にあったと推定されています。

出雲大社
出雲大社
琥珀の勾玉
琥珀の勾玉

朝廷が提出を命じた「珠」とは真珠だと解釈している人が多いのですが、単なる地方特産品である真珠の献上を国造がしぶり、のらりくらりと遅参するとはいかにも不自然。
伊甚国にとっては何物にも代えがたい貴重な珠の提出を求められたから稚子直は悩み、遅参しだのでしょう。すなわち伊甚国の秘宝である玉前神社の紅白の珠を献上するよう強要されたに違いありません。
それを断ればどうなるか、朝廷に対する謀反の意志ありとして討伐されると脅されていたのでしょう。遅参した稚子直はまんまと罠(ワナ)にはめられ、命と引き換えに領土の割譲を自主的に申し出ました。
大和朝廷は武力を行使することなく、秘宝と領土の双方の略奪に成功したのです。
朝廷が宿敵・出雲系首長の支配する豊かな国であった伊甚国を取りつぶし、横取りするための謀略でした。

出雲ゆかりの玉前神社もまた存亡の危機にひんしますが、朝廷に忠誠を誓い、その証拠として神社の由緒に大和朝廷の神話を取り込み、皇室ゆかりの神社だと主張することで滅亡をまぬがれました。玉前神社の由緒に不自然な点や矛盾があるのはそういう事情だと推察します。
神宝は手元になくなりましたが、日月は昔と同じように太平洋から昇ります。
赤玉と白玉を信仰の対象とした伊甚の人々は、朝廷の圧迫にもかかわらず、その信仰を守り抜きました。
日月こそ海洋漁労民の真の宝だったからでしょう。
                                       (つづく)

キャプション(写真の説明)
琥珀の勾玉
夷隅町国吉にある出雲大社
琥珀の勾玉は久慈琥珀博物館HPからの転載(許可済み)

 

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