 |
|
粉河駅から門前町を思わせる商店街を北へ700メートル行くと、左右に金剛力士像が安置された大門が見えてきます。 門をくぐると中門まで曲がりながら続く石畳の参道の左手には、不動堂、羅漢堂,
仏足石が並び、その先の石段を登ったところに欄間の彫刻がある中門がそびえ、四天王を祀って有ります。
中門をくぐって石段を登ったところを左に曲がった高台に、二層の本堂が高々とそびえ、下から屋根を見上げると、おおいかぶさるような威圧感を受けます。
粉河寺縁起によれば、光仁天皇の宝亀元年(770)漁師 大伴孔子古が現在の本堂の場所に草庵を結び千手観世音菩薩を本尊として粉河寺は創建された。その後寺運は栄え、鎌倉時代には、堂塔も500を数える大伽藍となりましたが天正13年豊臣秀吉の紀州攻めの折、全山灰燼にきしてしまいました。その後,紀州徳川家の寄進等によって再建され現在に至りました。 |