YASHICAELECTRO35 G.GSN.GT













ろうそくの光でも写るカメラ

昭和33年頃、ヤシカ社長、牛山善政氏は海外で電子シャッタ−のカメラを見て、これからは電子シャッタ−の時代だと感じたという。
電子シャッタ−の開発はパイオニアだけにいろいろな苦労があったという。
まずエレクトロ35のシリ−ズを紹介しなくてはならない。CC以降のモデルはそれぞれに譲るとしてGシリ−ズはまとめて紹介する。発売年と特徴は以下の通りである.。

      発売年    価格         特徴
初代エレクトロ35 1966年(S41年)2月 23,200円 電子シャッタ−絞り優先AE、露出警告ランプ付
エレクトロ35プロフェッショナル 1968年(S43年)6月 26,900円 初代モデルをブラック仕上げにしたもの
エレクトロ35ゴ−ロドメカニカ 1968年(S43年)12月 25,000円 電気回路に金メッキ接点を使ったもの、巻上シバ−変更
エレクトロ35GTゴ−ロドメカニカ 1969年(S44年)3月 29,800円 前モデルのブラック仕様
エレクトロ35GSゴ−ロドメカニカ 1970年(S45年)6月 29,500円 フィルムカウンタ−にバッテリ−チェックボタンを追加
エレクトロ35GT(S) 1970年(S45年)9月 33,800円 GTのレンズをカラ−ヤシノンDXに変更したもの
エレクトロ35GSN

1973年(S48年)4月 32,500円 アクセサリ−シュ−の追加
エレクトロ35GTN

1973年(S48年)4月 33,500円 アクセサリ−シュ−の追加

以上である。マイナ−チェンジの繰り返しであるが、Gシリ−ズとして7年間にわたって生産されたことはすごい事である。日本中にエレクトロ35があふれた事だろう。
このカメラの発売の記者会見の時牛島社長がわざと螺旋階段の上からカメラを転がせて見せたり、TVコマ−シャルに自ら出演したりと、かなり派手なパフォ−マンスをやったことはあまりにも有名である。
また記者会見のときの記者からの質問に「電池がなくなったらどうするんだ」という質問が出た。その時担当者は「皆さんは車でこの会場に来ていますね。車のガソリンがなくなることを考えた事がありますか?」と逆に質問した事でみんなが納得したというエピソ−ドもある。
また、この大型の電池であるが、どうしても従来の電池では電圧が足らなくて、このカメラの為にわざわざ作らせたということであるから恐れいる。

このエレクトロ35のシリ−ズは、最終モデルGXを持ってシリ−ズを終了する。時代はストロボ内蔵コンパクトカメラの時代に移ろうとしていた。明るいレンズと長時間露出は必要なくなったのである。

10年間にわたり、全14モデル、合計生産台数800万台を軽く超えているという。まさに国民的カメラである。この10年の真ん中に大阪万博があったことが売れ行きに拍車をかけたのではないかと思う。

みのかんとエレクトロ35

おそらく友人に世話をしたものも入れれば軽く15台は買っているのではないだろうか。とにかくよく写るカメラである。モノクロを詰めて蛍光灯下でもなかなか雰囲気のある写真が撮れた。最初に見たときに一目ぼれしたカメラである。
カメラのセレックの親父さんがまだ元気だった頃に、電話で話をした事がある。このカメラのスタイルが気に入っているという話をしたら、2台買ったおまけに、ジャンク品を2台もらった。嬉しかった思い出である。あれから1年もしないうちに亡くなったという事である。
また「私のカメラ遍歴」の中でも書いたが、Mさんという人からも譲ってもらい、そのMさんも偶然とはいえ若くして亡くなってしまった。
お二人のご冥福をお祈りいたします。
エレクトロ35G改

このカメラはレンズのみ他のジャンクカメラより取り付けたものである。ブラックボディに白レンズという世界に一つしかないカメラである(笑)。

エレクトロ35GSN改

こちらは貼り皮を変えたものである。あとはピントレバ−を取り付けたもので非常に使いやすくなっている。
エレクトロ35GT改

これもブラックボディにピントレバ−を取り付けたものである。フ−ドはラバ−のものをケラれないように適当に切ったもの。
エレクトロ35GSN

これは特に改造はしていない。ノ−マルな状態である。
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