みみのみのかんの銀塩カメラ研究室PoorFinger>プロフィ−ル
 

 小学校5年生のときに初めてギタ−を手にした。兄が使っていたガットギタ−である。それでG線上のアリアではないが、単線で「禁じられた遊び」を弾いていた。チュ−ニングというものを知らない僕は単線でならばメロディ−が爪弾けることを知っていた。

 やがて中学生になり、チュ−ニングとコ−ドを覚えた。これで歌が唄えるようになると、当時の芸能雑誌、明星や平凡に付録としてついてきた別冊の歌本をかたっぱしから唄った。それでもお決まりのFの壁はなかなか乗り越えられなかった。そんな状態の中、同級生でグル−プを組んだ。グル−プ名は「ラ−メンライス」。コ−ドの簡単な歌を選んで弾いていた。いわゆる3コ−ドというやつである。そんな中、姉が買ってきた吉田拓郎の「人間なんて」のLPを聞くことになる。これにショックを受けた。字あまりの歌、ギタ−一本でも充分に聞かせられるアレンジ。ここから自分の音楽が始まったのかもしれない。

 そこからはもう坂道を転がり落ちるようなもの。片っ端からフォ−ク系の歌を聴いては練習に明け暮れた。中学、高校のときは拓郎、陽水の全盛時代、併行してユ−ミンなどのニュ−ミュ−ジックと言われ始めたジャンルが登場する。中島みゆきがヤマハのポプコンのひのき舞台に登場した。女の子のフォ−クの代表といえば、NSP、とんぼちゃんなども。

 その頃の言葉に、シンガ−ソングライタ−というものがある。ほとんどのフォ−ク歌手はみんなこれだった。僕も詩を書き始めた。そして譜面もかけないままに作曲をした。そんなときに出合った本が、アンデルセンの「吟遊詩人」。これに感動して、かつあこがれた。そしてボブディランを知る。そこから発展してウディ・ガスリ−なども聞くようになる。そしてアメリカンフォ−クの代表、P.P&Mなどにも手をだした。

 中学、高校と、この間に作った歌は200曲を超えていた。ただし今聞いて通用するのは10曲くらいだろう(笑)。吟遊詩人という言葉を聞くと、今でも心が揺れる。思春期の頃のあの頃に戻る気がする。しかし、今の自分は詩をかけない。何故だろう。ハングリ−なのは今でも一緒だが、思春期の時期に持っていた有り余る時間がないからだろうか。ラブソングが書けないのは仕方がないが、もし今書くとすれば、テ−マが重いせいなのかもしれない。

 つづく