ミノルタSRT101  


日本の水俣病を世界に知らしめた武器
ユ−ジン・スミスの水俣

今ここに一冊の写真集がある、「水俣」である。この写真集は元プロカメラマン関根秀夫がアイり−ン・スミスからいただいたものである。アイり−ン・スミスはユ−ジン・スミスの奥さんである。
そしてその写真集を僕がまたいただいたというわけである。
この写真集のために使われたカメラがミノルタSRT101であるという。
                    写真集「水俣」
     
アイリ−ン・スミスのサイン
                        
 
何故ミノルタを使ったかという理由は、日本に着いてからカメラ一式を盗まれた為という事である。困ったユ−ジン・スミスはとりあえずアサヒカメラの編集長に相談した。編集長はミノルタの会社を紹介する。ミノルタの担当者、田中真氏は上司の承認も得ずに二つ返事で一式貸してくれたそうである。田中氏はクビを覚悟での決断だった。のちほど田嶋社長に呼ばれて、その時の事情を説明したところ、よくやってくれたとおおいに誉められたということである。
以降ユ−ジン・スミスの日本滞在中はミノルタがサポ−トを続けた。

このときに面白い裏話がある。京都の高級料亭にミノルタがユ−ジン・スミスを招待した。女将が「お飲み物は?」というとユ−ジン・スミスはサントリ−のレッドと答えたそうである。レッドなんて安い酒は置いてないのでロ−ヤルしかないと言ったら「私はレッドが好きなのだ」と答えたそうである。さっそくレッドを買いに女将が走った事は言うまでもない。

ついでにもう一つ、当時経済的に困難だったユ−ジン・スミスをサポ−トする意味で前出の田中氏がサントリ−レッドのCM出演を勧めた。サントリ−の宣伝部に知り合いがいたからである。しかし、言下に断ったそうである。
「わたしは好きでサントリ−レッドを飲んでいるのだ、他の人に勧めるつもりはまったくない」と言ったそうである。
ふたつともユ−ジン・スミスらしいエピソ−ドである。

このSRT101は、マイナ−チェンジを繰り返しながらもかなりのロングランであった。上下ニ分割測光を特徴とし、露出指針は追針合致式。ミラ−切れしない長いミラ−、大きなミラ−ショック坂。こんなところが特徴である。


みのかんとSRT101
SRT101は2台ある。白と黒である。黒のほうが古くミラ−アップが付いている。
2台ともとんでもなく安く手に入れた。黒ボディ角に当たりあり、白ボディは露出計が動かなかった。露出計は分解した時にちょっとドライバ−で動かしたらバッチリと動くようになった。

正直、古臭い一眼レフだと思っていたのであるが、ユ−ジン・スミスが使っていたと知ってから俄然輝いて見えてきた。まぁカメラ好きなんてこんなものである。
尊敬する写真家とカメラを同一視してしまうのである。

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