KONICA 
ヘキサノンという伝統的名レンズ
火の玉集団の9ケ月
1959年9月発売。
1958年の暮れも迫ったある日、当時の小西六、光学研究部第一設計課の新任課長、栗田善一氏は特命を受けた。「新しいカメラを開発しろ、予算はいくらかかってもいいからやりたいようにやれ!」ということである。ただし開発期間は9ケ月で、発売にこぎつけろという。
これは当時は大変な事である。この当時のカメラの開発は早くても2年以上かかる。これを9ケ月でやれというのである。
すぐにプロジェクト集団が作られた。メンバ−は何処の部署から連れてきてもいいということなので、一眼レフ担当の人や、工業デザイナ−の人とかを引き抜き、基本的には5人の火の玉集団が結成された。
すぐに合宿が始まり、年末年始の休みを返上して泊まり込みの設計開発が始まった。時間がないため試作機は飛ばした。まずデザインが決まり、その中にメカニズムを入れるというやり方である。
そして1959年、8月には量産が始まり、9月には発表会となった。
このカメラは結果的に13万台というベストセラ−となった。このSシリ−ズはその後、S2、オ−トS、SV、オ−トS2と発展していく。
そして名玉ヘキサノンもまた発展をたどる。今のコニカのヘキサ−は、このカメラを元祖とするといっても過言ではないだろう。
こういう話はNHKのプロジェクトXにそのまま使えるような話である。

みのかんのコニカS
とにかくレンズがいいということである。このカメラを今見ると、セレン板のついたただの中級レンズシャッタ−機であるが、このカメラで撮った写真をみると、羊の皮をかぶった狼という感じである。
何かで4000円くらいで買った覚えがあるが、具体的には思い出せないでいる。はてな?しかし何故か2台もあるのである。
今の年代から見るとこのカメラは、特徴のないスタンダ−ドレンズシャッタ−カメラであるが、
当時はモダンなカメラであったに違いない。
このカメラが発売された年は、僕の生まれた年とまったく一致する。つまり1959年9月の生まれである。この年、6月にニコンF、そして10月にオリンパスペンという名機が発売されている。僕がカメラ好きなのは多分宿命的なのかもしれない(笑)。
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