2003年8月3日
アメリカの対テロ戦争支援でインド洋に派遣されたり、もしかしたらイラクにも行くのか?などと話題の最新鋭イージスシステム搭載護衛艦「こんごう」型の3番鑑。日本はこの種の護衛艦を現在4隻保有。「こんごう」と「みょうこう」のほかは「きりしま」と「ちょうかい」、いずれも有名な山の名前ですね。なんでももう1隻建造中とか。装備など詳細はここを見てください。
実はこのサイトにリンクを貼ってくださっている”せんり”氏も御家族で見学に行かれたそうで、いち早くそのときの様子をレポートしておられます(氏のサイトの日記、2003年8月2日の項をごらんください)。で、ぼやぼやしているうちに先を越された当サイトとしては、とにかく色物写真で対抗するしかありません・・・。
このアングルでの撮影は一応お約束ですから。 | 私は今回初めてだったのですが、乗艦前に手荷物検査が行われました。やっぱりきな臭い御時世になってきたのですね。男性と女性の自衛官が各1名ずつ、中をささっと見る程度でしたが。 |
脱出用のボートでしょうか。これを使うようになったらおしまいです。 | で、各ボートの乗員はあらかじめ決められているらしく、このようにプレートで表示されていました。タイタニックみたいなことにはならないわけですね。しかも各員の役割も決まっている。定員は25名。 |
これは見学者用に掲示したんでしょうね。 | 文体がですます調ですから、隊員向けではなさそう。 |
艦の構造や性能などを隊員が説明してくれます。こういうときの自衛隊員はちょっと誇らしそう。でも見学者の中にはけっこう変なマニアもいるでしょうから、常ににこやかに応対するのは大変だなあと思います。 | 速射砲の中を見せていました。なんだか皆さんおっかなびっくりのぞき込んでいるのがおかしかった。 |
速射砲の閉鎖機?のあたりを撮影。なにしろのぞき込んでも中がほぼ真っ暗なので、勘でシャッターを押さざるを得ない。 | 艦上では各種サービスも。ここは売店。隊員自ら売り子さんになって商売に励んでます。客との掛け合いもなかなか堂に入ったもの。 |
砲弾(!)と記念撮影。こころなしか子供さんの腰が引けているような。 | もちろん公開用の砲弾はダミー。ダイキンって、エアコンとかファンヒーターなんかも作ってるあそこですか? |
いよいよ艦内へ。通路は狭すぎず広すぎずというか、大人二人が何とかすれ違える程度です。 | ヘルメットもきちんとホルダーに納められています。 |
見学ルートがたまたま消防用具の保管セクションにあたっていたせいか、それらしい道具があちこちに見られました。 | 例によって命令口調が清々しい注意書きプレート。緊迫感が漂います。 |
消化活動用の耐熱服。当日は3種類展示されていました。 | 実は手前の耐熱服には人が入っています。バイザーが黒いので外から見ると気がつかないんですが。で、いたいけな婦女子が通りかかるとやおら動いて驚かそうという魂胆。 |
一見何の変哲もないカメラケースみたいですが・・・ | 防衛庁謹製の有毒ガス検知器でした。 |
こいつはいったいなんだろう?消火用放水ホースの先につけるノズル? | これは担架でしょうが、変わった形です。 |
なんだか山小屋風のプレートが。隊員の方の手作りらしいのですが、CICって? | ここにもありますねえ、CIC。こっちの方は正規の表示板らしく、色気も何もありません。 |
その表示板の下にはぽっかりと口を開ける妙に頑丈そうなドア。その奥には何があるのか・・・ | またドアがありました。ここがCIC=combat information center=戦闘指揮所。ですから入り口からして非常に警戒厳重です。ここがイージス護衛艦の根幹部分ということになります。 |
艦内には神棚が祀ってあります。この「みょうこう」では妙高神社、ほかの艦ではそれぞれの艦名にちなんだ神社が勧請されているのだそうです。もちろん、設置にあたっては公費支出してないんでしょうね・・・? | 参拝の仕方も明記されています。しかし、狭い通路での参拝は、おしりが後ろにつかえてしまいそう。 |
ここは酒保。ちょっとした売店みたいなものです。酒保という言い方は旧軍時代から変わりません。「のらくろ」など読むとよく出てきます。 | お酒も売ってるのかと思ったら、艦内は完全禁酒なんだそうで。よくストレスがたまらんなあ、と同情しました。 しかし、購入するのにいちいち伝票記入って・・・。 |
とある一室の入り口にかかっていたのれん。ヒラメですか。ここだけ妙に家庭的なのだ。 | 受付でくれるパンフレットの表紙。 |
パンフレットの表紙裏。妙高山周辺の観光案内まで書いてあります。 | パンフレット3ページ目。 |
パンフレット裏表紙。旧海軍時代の艦艇と比較しているあたり、なんだかんだいっても自衛隊は旧軍と伝統的につながっていると感じさせます。それにしても、新生「みょうこう」はずいぶんコンパクトになっていることがわかります。ちなみに先代「妙高」も1万トン級の艦に重武装を積み込んだ、当時としてはコンパクトな艦艇だったそうです。太平洋戦争勃発時から各地で戦果を上げましたが、昭和19(1944)年12月13日に米潜水艦の攻撃を受けて大破し、そのままシンガポールで終戦を迎え、昭和21(1946)年に除籍されています。 ところでページの左下に「印刷 印刷補給隊」と書いてあるのがわかりますか。軍隊ってところはとことん自給自足なんですね。こりゃどうしても高コスト体質になります。 |
これも受付でくれる絵はがき。この短歌の出典は? |
おまけ。会場近くを海上保安庁のヘリコプターがホバリングしていました。 | 巡視船えちごあたりから飛んできたのでしょうか。新潟航空基地所属のらいちょう1号かな。警備のためか、それとも海上警備のライバル視察というところ? |