ももちんまりりんりなちん
うまれるまで〜

ももちん

平成13年8月18日生まれ

まりりん

平成15年4月27日生まれ

りなちん

平成19年7月20日生まれ

予定日 平成13年8月14日 平成15年4月21日 平成19年7月19日
進行 予定日の二日後、お盆と言うこともあり、ご馳走を食べ過ぎてしまったので、実家で、いつものようにマタニティビクスもどきをしてみました。

よなかに、お腹の辺りがおかしくてトイレに行くと鮮血がでていた。
微妙にお腹も痛いので測ってみると10分おき。
産院にTelするとすぐ来てくださいと言われ、午前3時に産院に到着。
予定日を5日過ぎた夜。なんだかお腹がしくしくする気がして、時間を計ると10分おき。
とうとうやってきたか、とおもうが、とりあえず朝まで待って、ももちんにご飯を食べさせてから、写真を撮って産院へ行く。
予定日の朝、トイレでお印発見。
ガ━━Σ(゚д゚lll)━━ン
と思ったけれど、
出産に備えて、まりりんを病院まで連れて行き診察。その後保育園に送り届けて今度は私の診察。

産院に行ってみるとすごい人。
どうせもうすぐ生まれるだろうし、もったいないな〜
と思いつつも診察を受け
子宮口は2センチほど。

サスガにスイミングは。。。。と思ったけれど義母さんとともに
スイミングへ。
『まだ、こんなところにいるの?』と言われつつも
スイミングを見学。
30分おきくらいの軽い痛み。
買い物だけ済ませたい〜
と、夏布団を購入。
夕飯を食べながら10分おきの痛み
額にしわがよるほどの痛みが。
気のせいと言ってられないのであわてて入浴。パパに連絡。
動けば動くほど陣痛の間隔が短くなるので9時まで待ち、産院へ連絡。
すぐ来てくださいとのことで
10時。産院到着。
産院にて 夜のうちは、きちんと5分間隔で来ていた陣痛でしたが、朝になると、どうしたことか収まってしまいました。でも、婦長さんに、「あんた破水してない?」と言われ検査をすると少しだけ破水していたので、右腕に大きな針の点滴をすることになった。(かなり痛かった)
 妊婦友だちはみんな大体6時間で出産していたから、私も、今日の夕方には生まれるかなと思っていたのに、子宮口は、1cmのまま夜を迎えてしまった。
 部屋の移動をして、新しい大きな部屋に移ったものの、一向に進まない。夜は、陣痛の並の間にうつらうつらと眠ることができた。

 二日目
 病室には、実の両親、旦那の両親、とま〜たくさんいらして、なかなか生まれてこない赤ちゃんを待ちました。
 看護士さんに、「こんなに涼しい部屋では生まれてこれないよ。」と言われ、足浴をしてもらい、マッサージをしてもらいました。
 いっぱい教室に出て、準備万端とたかをくくっていた私は、なんだか情けなくて、涙がぼろぼろとこぼれてしまった。
泣いてしまってみたら、止まらなくなり、みんなが見ていようがかまわず、おいおいと泣いてしまった。
大丈夫大丈夫そうしていろんなものを全部吐ききって、生まれてくるから。涼しい顔しては生まれないから、大丈夫」と看護士さんに励まされ、それからは、順調に子宮口も開いてきた。
「このまま勢いがついてくれれば良いけれど、つかなかったら、明日は朝から促進剤で痛みを付けましょうね」と先生に言われ、愕然として、この痛みがまだまだ明日までも続くの〜と、きがとおくなった。

 夜中になると、痛みのスピードが変わってきた。点滴につながれているから、ベットのうえでもがきながら、陣痛を逃していたのだが、丸々二日目と言うこともあり、母親も、だんなも、陣痛の合間にこっくりこっくりと寝ている。それを見ると、ものすごくむかついた。

陣痛室で、うんちが出そうでもうたまらなくなってナースコールをすると、やっと分娩台に乗ろうかと言ってもらえた。
分娩台に乗ってからは、こっちのもん。今までのビクスでの体操を思い出し、おへそを見る感じで背中を丸め、リードにあわせていきんでいると、

20分後元気な産声が聞こえ、3028gの女の子誕生!
ももちんのとき、時間がかかって大変だったので、しっかりとした陣痛がついてから産院に向かったはずなのに、産院についた途端陣痛がなくなってしまった。

 監視装置を付けても、針が振れない、「やっば〜」と思ったが、経産婦なので、入院することになった。

ベットに寝ていると、陣痛がない。そこらじゅうを歩き回ってと言われても、狭い産院の中では限度がある。でも、階段を上ったり、下りたりとしていた。

経産婦なので、何度も何度も内診に来てくれるが、なかなかです。
 
(臨月に入ってから、体重が増え、また、予定日あたりでも、1kgも増えたので、予定日過ぎてから、たんぱく質を取らないようにして、少しダイエットをしていた私は、お腹がペコペコだったので、昼食も、おやつも、晩御飯も、デザートも全てたべてしまいまいた。)

結局、夜になってしまい、ももちんのことも心配だったし、こんなことなら家にいればよかったとかなり後悔をしました。

 パパから、ももちんが寝たからこれから産院へ行くとメールがあったので、母さんには帰ってもらいました。
 さあこれから、パパに甘えて、マッサージをたくさんしてもらえるぞ!と思い喜んでいたのもつかの間、パパの顔を見たとたんに5分おきだった陣痛が、休みなくやってきた。
何かが挟まってくる感じがして、立っていられない。看護士さんを呼んでもらうと、すぐにLDRに入った。
おー後三十分で産めば今日かも・・・と思っていたが、そんなわけには行かず、
でも、経産婦の勢いはすごいとおもった。
「二人目は早いってあ〜このことだったのね。」と実感した。
 実際、ひっひっふーの呼吸は使うことなく、ずーっと、「スーフ〜」呼吸で乗り切ってしまった。
あまりの勢いの速さに体がついていかず、ぶるぶると震えだし、「地震だぁ」と笑えてきてしまった。
と同時に胃の辺りが圧迫されたのか、うえからはビニール袋をかかえて、吐きながら、うむことになってしまった。
 「じゃあ少しいきんでみて」
と言われ、少しだけいきむと、「あ〜すごいすごい」私よりも、看護士さんたちのほうが、ばたばたとしていた。「えーこの次にカーテンを閉めて、あっ立会い希望だから、だんなさんにも入ってもらわないと。あっビデオもスイッチ押さないと」と私はいいのかな〜と思いながらも、軽くいきむと、先生登場!「赤ちゃん苦しがってるから切ります」とまた切開されてしまったが、次の瞬間には、もう産声を上げていた。

 4月27日A.M00:37 2910gの女の子誕生!
産院についてから、入れる部屋が空いてないのでとりあえず、分娩台の上で色んな問診。
オリエンタルチックな助産士さん
『日本語は通じるのかな?』と思いながら話すと
日本語はぺらぺらの人でした。
と言うか、日本人でした。

横向きのまま、分娩監視装置をつけて測ってみると
またしても不規則の小さな波。
ガ━━Σ(゚д゚lll)━━ン
早すぎたかい?
またしても失敗したかも?
長時間コース?

と不安になりながらも
陣痛をスーフーで逃していたら、
隣からは、切なげな苦しみを迎えている妊婦さん。

ああ、その呼吸では無理じゃない?
と思っていたのに
慌しくなり、先生が到着。
『はい、切りますよ』
と切ったらしい後からしばらくして
『ほわーほわー』と甲高い声で
男の子誕生。

そうこうしてるうちに私のほうも
順調に5分おきの激しい痛み。
ひとり汗だくになって
陣痛の合間に
『タオルタオル』
といいながらも
合間に話ができないくらいの痛み。そのうち、ひっきりなしの今までにない痛みとスピードで変な感触
『だめ、なんか降りてきたから、看護婦さん呼んで〜」
と呼んでもらうと
7〜8センチ開大
お尻を押さえてもらったりしながら何とか逃しているうちに
ようやく9センチ

『あと少しなんだけどもう少しがんばって』と言われる。
『エー、いままでの産院は
9センチで<少しいきんでみて>って言ってくれたのに〜』
と思いながらも、分娩台の横のバーをつかんでしまうし痛みを逃せられない
ちょっと刺激してもらいようやく破水。
『ここまでこれば、もう少し』
とたかをくくっていたのになかなかいきませてくれない
ってか、先生、早く呼んでよ〜〜〜

しばらくして先生がやっと来てくれて私を見て、
あ〜このまま行くから、切らないからね力を入れないでがんばってね』と一言。
えーーーー
ずっと、分娩台の上にいた状態で、さらに監視装置がついてるし助産士さんとの呼吸もうまく合わない、要領も得なかったので変なところに力が入ってしまっていたのか、力が入ってしまう。
わたし的には苦しんだ時間は短かったけれど、一番へたくそなお産だったかも。

それでも何とか3.4回のいきみで
赤ちゃん誕生!

さっきとは対照的な低い声で
3回ほど産声を上げたまま
静かになっちゃった。

7月20日A.M2:38 2870gの女の子誕生!
かかった時間 計3日間
(16日3時入院〜18日3時出産
計2日間
26日朝9時入院 翌27日0:37出産
計4時間ほど
19日10時半入院
 翌20日2:38出産
うまれてから まだ、血液がいっぱいついた状態だったが、お腹の上に赤ちゃんが来た。
元気に一生懸命泣いている。
「あ〜この子が今までお腹の中で暴れていた子ね。」と思うと、なんだかジーンとして涙が出た。
パパを見るとパパも、ちょっと目が潤んでいた。

 その後は、また激痛だった。
 縫合は、気が遠くなるほどの痛さで、産むよりも痛かった。
二人目と言えども、痛いのは変わらない、しいて言えば、一人目のときは、無我夢中だったが、二人目になると結構冷静で、冷静な痛みがあった。
でも、生まれてすぐに、おっぱいをあげ、誰も教えていないのに、ものすごい勢いでおっぱいを吸ってくれたのはうれしかった。
でも、やっぱり、縫合は激痛だった。
二人目で、後もつかえていなかったからか、ゆったりとしたふれあいをさせてもらえた。

 6時間後、私を襲ったのは、信じられないくらいに痛い後腹だった。 
出産で疲れていたのもあり、パパにも、母さんにも帰ってもらい一人きりの部屋で信じられないくらいの痛みで驚いてしまった。
なースコールを押すことも出来なかった私は、一人で泣いてしまった。
産めば産むほど痛くなると言う後腹、これには、驚きました。
『いままでで一番顔の小さい子が生まれました』とぱぱが母さんに報告
結局無理な力が入り、少し裂けた部分を縫ったり色んな処置が終わり
(先生に対しての不満はあるけれど)
そのまま分娩台の上で
おっぱい丸出し状態で
赤ちゃんを抱っこ。片方のおっぱいを一時間、もう片方も一時間すわせて
カンガルーケア。
こうすることでお互いにいい刺激になるんだって。 
三人目でもやっぱり感動。
だって、何にも教えていないのに
一生懸命『チュッパ、チュッパ』
と音を立てて吸っている。
でも、、、そこは、谷間なんだけど(笑)
顔を乳首までもって行ってあげると落ち着いて吸えました。
2時間の安静後、部屋がないので
陣痛室へ。
そこはまたもや過酷な部屋。
だって、いまさっき、終わったばかりなのに、別の人の佳境の陣痛の苦しみを聞きながらの安静。
ってか、絶対無理だし。
分娩監視装置の音も聞きたくないし、カーテンの向こう側の人に
『その呼吸は間違ってるから』と教えてあげたかったけれど
知らない人だしね。
ご飯も『食べていいのかな〜』
って思いながら食べました。

その後、ビクスのスタジオに移動させられ、またもや陣痛室。

午後3時過ぎ。ようやく安息の地へ、。と思ったけれど
目の前が工事をしていてものすごくうるさい部屋でした。
ガクゥゥ・・(||__)/・・

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