ソーサリエ〜アガサとアガタと火の精霊

第4章
 テスト本番!


(2)


 テストを前に、緊張しているのは、アガサだけではない。
 実は、マダム・フルールもいつもの彼女らしからぬ緊張をしていた。
 学長室の椅子に座って、精霊たちに命令して、次から次へとリラックスできるハーブ・ティーを運ばせていた。
 なので、やや広さのある明るい部屋は、心地よい香りに包まれていた。
 が、テストの監視員として呼ばれているプロフェッスール・モエは、アレルギーを引き起こし、何度もくしゃみと鼻かみと眼鏡の上げ下げを繰り返していた。
 それにも負けず、マダム・フルールは緊張を解くため、いつものミステリーを読んでいた。
「ああ、もう心臓が止まりそう……」
 彼女は、本を胸に抱きしめて言った。そう、ちょうど犯人にヒロインが追いつめられている瞬間だった。
 マダム・フルールは、確かにこのテストに緊張していた。
 ……だが、緊張で、動じるマダムではなかったのだ。
 彼女の今日は、全く日常とは変わらない。
 見かけも中身も、やはりマダム・フルールは、マダム・フルールなのである。

 結局、マダムはアガサについて色々推理を展開したが、読んだミステリーの結末が常に正解でないように、ひとつも正解にたどり着けなかった。
 散々考えた末、フレイがドジだった……という、最初の答えに戻っていた。
 だが、問題はファビアンの脅しだった。彼にフレイを任せるのは、さすがに危険がある。
 そのために、火水の精霊を封印した方法を、ファビアンに伝授する必要がある。
(でも、わすれちゃったもんね。わすれたことは教えられないわ。だいたい、できたこと自体、偶然だったしぃ)
 その偶然の産物で、マダムの学長の地位は確保されている。そんなことがばれたら、大変である。
(ファビアンに弱みを握られるなんて、ほんと、うかつ)
 マダム・フルールは、ふとため息をついた。そして、ぽんと本を投げ捨てた。
「名探偵登場で、すべて解決。また、予想が外れたわ……」

 でも、マダム・フルールには切り札があった。
(ようするに……。アガタさんを合格させればいいってことよ)
 もちろん、アガサの合格はソーサリエの学校に火災の危機を招く危険性がある。誰も、賛同しないだろう。
(ようするに……。ロウソクに火がつけばいいってことよ)
 火災の危険性については……。
(まぁ、心配してもね。私って幸運だから大丈夫じゃない? だいたい、火水の封印に触れて大丈夫なんだから)
 そこで、人生すべての幸運を使い切った……なんてことを考えるマダムではなかった。
 マダム・フルールはニコニコ微笑みながら、精霊オールに命令した。
「今度は、ハイビスカス・ティーでお願い」


 学長室の窓の外に、フワフワと浮かぶ物が二つあった。
 だが、それに気がつく人はいなかった。
 マダムは、窓に背を向けて机に向かってお茶を飲んでいたし、モエは目がしょぼついて、眼鏡を何度も拭いていた。
 そして、入ってきたアガサは……緊張のあまり、何も見えていなかった。
「大丈夫かしら? アガタ……」
 イシャムの絨毯の上で、イミコが心配そうに呟いた。
「大丈夫ですよ、イミコ。たとえ天と地がひっくり返ったって、アガタが受かるはずないですから」
 カエンがしゃあしゃあと囁くと、イシャムがカエンを捕まえて握りしめた。
「あんたさん、そいつは言ったらあかんのマリモ羊羹」
 誰も意味が分からなかった。
 さすがのジンさえ、フォロー不能であった。
 それはイシャムのせいではなく、翻訳しているマダムせいなのだが、時々その事実を誰もが忘れ、イシャムをヘンなヤツに仕立ててしまうのである。
 アリの絨毯が重なるように近づいた。
「ああ、アガタ姫のあの顔色! 真っ赤ではないですか? 熱でもあるのでしょうか?」
「青いよりは、マシだと思うけれど……。緊張しているな」
 ジャン‐ルイも、窓を覗き込むようにして不安気に眉をひそめた。

 誰もが、今日の日のためにできる限りのことをした。
 まったく成果のほどは現れなかったが、努力だけはした。
 それですべてが許されるほど、この世はミラクルがあるとは思わない。
 でも、最後まで見届けよう!
 それが、仲間たちの一致した意見だった。

 アガサは、ゆっくりとマダム・フルールの前へと歩を進めた。
 右手・右足が同時に出たけれど、気がつかない。後ろでドアがバタン! としまった時、さすがに驚いて跳ね上がってしまった。

 ――フレイ……。入ってきているよね? み、見えないだけだよね?

 アガサは、チラチラと部屋の隅を目だけでぐるりと見渡したが、やはりそれらしき気配を感じない。
 マダム・フルールは本を精霊に拾わせ、自分でしまい、ニコニコと微笑んだ。
 だが、先に声を掛けてきたのは、いつもにもまして、厳しい顔のモエだった。
「アガタさん、ロウソクに火をつけるテストですけれど、公正にお願いします。いいですか? ポケットにマッチを隠していませんか? 手の中にライターはありませんか? チャッカマンもダメ、瞬間焚き付けも禁止、火打石も、ルーペも、全部、出しなさい!」
 モエは、眼鏡をひくひくとあげた。
「出せません」
 アガサは、小さな声で言った。
「どうしてです? 出せない時点で、あなたの合格は認めがたいですわ!」
「だって……持っていないんです」
 モエは、ううう……と唸った。
「そ、そうですか。でも、どうやら火の精霊もお持ちでない。それは、試験に対する冒涜と思いますが?」
「たぶん、見えていないだけで、いると思うんですけれど……」
 アガサは不安になった。
 まさか、先生にも見えていないなら、本当にいないとか?
 その不安を打ち切るように、マダム・フルールが口を開いた。
「いてもいなくても、火がつくかどうかがすべてです。アガタさん、覚悟はいいですね?」
 マダム・フルールが、燭台を出した。バラの花をあしらったかわいい台に、ピンクの細いロウソクがのっている。
 アガタは、息をのんだ。
「もちろん……です!」

 精神統一。
 はあーっと息をすい、もう一度、吐き出す。
 アガサは目をつぶり、手を合わせ、その手を大きく回して、パン! と前で叩いた。そして、手をガシガシすりあわせた。
 別に意味はないが、そのほうが精神統一ができると思ったのだ。
 そして、集中。
 呪文を――

 ぱっ!

 とたんに、ロウソクに火がついた。
「まーっつ! おめでとう! アガタさん! がんばりましたのね!」
 いきなり、マダム・フルールが立ち上がり、満面の笑顔で拍手しだした。
 その横で、モエが固まっていた。眼鏡が半分と両肩、それに顎がガーンと落ちていた。
 アガサも何が起きたのかわからず、呆然としていた。
 だが、マダム・フルールが駆け寄って、アガサをはぐはぐ、そして両手を取って大きく振り回すのだった。
「これで、あなたもソーサリエの学校の生徒ですわ!」

 窓の外でも、一瞬の静寂のあと、歓喜の声が上がった。
 イシャムとイミコは抱き合って喜び、アリも涙を流していた。
 だが、ジャン‐ルイだけは違った。
「……何か、ヘンだ」
「はい?」
 仲間が一斉に固まった。

 だが、もっと固まっていたのは、アガサだった。
 はぐはぐを繰り返すマダム・フルールの耳元で、ついに、疑問を囁いてみた。
「あ……あのお……。私、まだ、呪文を唱えていなかった……」
 でも、マダムはアガサの言葉を遮るように、首根っこを捕まえ、ほっぺにキスをした。
「いいの、いいの。どのような方法でも、火がつけば合格。その後は勉強すればいいんですのよ」
 たしかにもっともと言えるが……。
 アガサは疑問で頭がいっぱいだった。

 ――でも、呪文を唱えない魔法って、あり???

 その時だった。
 学長室のドアが、ノックも無しに開いた。ファビアンが現れたのだ。
「マダム、遅れて申し訳ありません。アガサの行方不明の精霊・フレイを連れてきました。テストは、これから……でいいですか?」
 つらっと涼しい顔で、氷の王子は言ってのけた。
 アガサを抱きしめていたマダム・フルールが固まってしまった。
 モエがファビアンに歩み寄り、手の中の容器のフレイを観察した。
 眼鏡を上げ下げしながら、精霊の姿を確認したのだった。
「たしかに、アガタさんの精霊フレイですわ。となると……今の炎は???」

 ――精霊無しに、魔法を使えるソーサリエはいない。

 あたりが急にシーンとした。
 やはり、その静けさを破ったのも、マダム・フルールだった。
「あ、あらー? モエちゃん、嫌だわぁ……。ちょっと冗談。冗談だったのよぉ。ほら、アガタさんってかわいいから、ちょっと夢なんか見せてあげてもいいかしら? なーんて。ほほほほほほ……」

 窓の外の仲間たちが、ガーンとショックを受け、絨毯が墜落しかけた。
 ジャン‐ルイが、ふうとため息をついた。
「やっぱり? そんなことだと思った……」
 イミコが不安気に言った。
「やっぱり……。マダム・フルールは、アガタを合格させたかったんだわ。でも、ファビアンは、それを恐れていた。だから、アガタの邪魔にきたの。もう……きっとダメだわ!」
 ついにイミコは泣き出した。
「ファビが……そこまでアガタの邪魔をするなんて……」
 ジャン‐ルイも天を仰いだ。