(1)
――フレイ。
戻ってきてよ。
私たち、二人で生きてきたじゃない。
今更、私を見捨てないでよ。私だって、あなたを絶対に見捨てないから。
はっと気がつくと、朝だった。
いよいよテストの日が来てしまい、アガサは目覚めとともにどっと汗をかいた。
最低最悪の状態で、今日を迎えてしまったのである。
「フレイ?」
話しかけてみたけれど、やはり姿はない。
まだいじけているのか、それとも、イミコの力で押さえ込まれてしまい、力がでないのか。
いずれにしても、アガサはマダム・フルールのテストを一人で受けなくてはならず、間違いなく火をつけられるはずがない。
「フレイ。私を見捨てないでよ……」
アガサは小さな声でお願いし、勢いよくベッドから飛び起きた。
窓を開けて、空気を思い切り吸い込んだ。
すると、窓辺に赤いバラが一輪。見ると、かわいいリボンと手紙がついていた。
『麗しのアガタ姫へ。あなたの希望が叶いますよう。私は、いつまでもあなたを待っています。一緒に学校を卒業できますことを。――アリ・サファド・バルバル』
見渡しても、アリの姿もイシャムの姿も見えない。かなり前に来ていたのだろう。
アガサは、バラの香りをクンクンとかいだ。
「もう、諦めなさい……って、言っていたくせに」
ちょっとは応援してくれているのかも?
少しだけ元気が湧いてきた。
まだ、チャンスはある。
もしも、ジャン‐ルイの説が正しければ……。
フレイが弱っているだけならば、そして、アガサの側で頭ガリガリでもしていてくれれば……力がいい感じにセーブできて、火がつく可能性だってあるのだ。
「そう、私は諦めないからね」
アガサは、ソーサリエの制服に着替え、きゅっとネクタイを締めた。
イミコが、髪の毛を整えてくれた。多毛症過ぎるアガサの髪を、きゅんとリボンで押さえつける。ストライプのリボンは、ソーサリエの制服に似合った。
「うわぁ……。アガサ、なんだかとても似合うわー!」
イミコがうれしそうに言った。
制服といっても、生徒たちはあまり着ることもなく、特別な授業やイベントの時以外は、ラフな格好をしているものだが。
「これが最初で最後になるかも知れないけれど……」
アガサは、鏡を見ながら言った。
「単なる最初かもしれないじゃないの」
さらに、ふわりと何かが肩に掛かった。見ると、なんと火のソーサリエのマントだった。
「あのね、昨日ジャンジャンがね、これをアガタにって置いていったの」
真っ赤な裏地が輝いて見える。
「え? でも、私はこのマントを着る立場にはない」
そう、このマントを羽織れるのは、三年生以上のパスを持ったソーサリエだけなのだ。
「でも、ジャンジャンが着ていきなさいって。火のソーサリエとしての誇りを忘れるなって」
どうやら、ジャン‐ルイが着ていたマントらしい。
すこしだけ、少年っぽい香りがして、アガサはパンク好きの兄を思い出した。
「決戦の準備は整ったわ」
アガサは、鏡を見てうなずいた。
「……ただし、格好だけ」
風渡る中庭。
その日は、まるでアガサがこの学校に初めて来た日のように爽やかだった。
今いるのは、あの日のフレイとアガサではない。
芝生の上を、ファビアンはゆっくり歩いていた。が、その足取りはゆっくりになり、やがて止まった。
彼は空中に向かって手を伸ばし、くるりと何かを掴んだ。
「いやぁ、フレイ。元気なさそうだね?」
見事にファビアンの手の中に収まってしまったフレイは、キーキーと文句をつけた。透き通っているので、迫力はなしである。
「ちくしょー! 何でわかったんだよ、このヤロー!」
「レインが感知してくれたんだよ」
そう言うファビアンのブロンドから、ちらちらっとレインが顔を見せ、うっふんとばかりに、フレイにウィンクした。
「テメー、放せ! ええ加減にしろよ、この気取り屋めが!」
「放してもいいけれど、手を引く気はないね」
ファビアンが手を放すと、透き通ったフレイの体にきれいな指の痕が残っていた。
あらよ! とばかりに、フレイが回転すると、とたんに元通りになった。
フレイは、透き通ったままの姿で、はたはたとファビアンの鼻先まで飛び上がった。
「いいか? 今日、アガタの邪魔をしようったって、おいら、許さねーからな!」
「あれ? フレイはもう千年の封印を受け入れる覚悟だったんじゃなかったのかな?」
フレイは機嫌悪そうに言った。
「千年の封印なら受け入れるさ! でも、テメーの精霊の一人としてこき使われるのは、絶対にイヤーだからな!」
ふふん、とファビアンは鼻で笑った。その勢いで、軽くなったフレイは押し飛ばされてしまった。
「……それであの爆発以降、断食してより力を弱めて、テストに挑もうとしていたわけか……。でも、アガサに火がつけられるとは思わないね。君はやっぱり、僕の物になる」
「へっ! 冗談じゃねえ! テメーが邪魔さえしなければ、きっとアガタは受かるぜぃ。マダムの気持ちは、きっと、合格に動いてい……」
ひゅっつと、再びファビアンの手が舞った。だが、今度は空を切った。
「へへへ……。同じ手で捕まったりはしないぜ! おいら、テメーに邪魔なんてさせね……」
パカッツ!
突然、フレイの声が途切れた。
背後から迫ったレインに、エアシューターの容器に閉じ込められてしまったのだ。
「同じ手は食わないけれど、こっちだって同じ手はつかわないよ」
ニコニコしながら、ファビアンは容器を振って、ぎっしりと蓋を閉めた。
容器の中で、バカヤロー、バカヤローと、フレイが叫んだが、もちろん声は通らない。
あわれ、弱ったフレイは、ファビアンのマントの内ポケットに突っ込まれてしまった。
そして、ファビアンは、運命のマダム・フルールが待つ学長室へと向かったのだった。