ソーサリエ〜アガサとアガタと火の精霊

第4章
 チェンジリング


(4)


 ば、爆発するううううう!

 だが、爆風は来なかった。
 アガサはぎゅっとつぶった目を、そっと開けた。
 いつの間にか床に伏せていて、しかも目の前が何となく青い。それもそのはず、ファビアンの青いマントがアガサを覆っていた。
 起き上がろうとしても、起き上がれない。何か重たい。
「? どうして爆発しなかった?」
 ファビアンの声が響くと同時に、アガサに覆いかぶさっていたものがなくなった。
 ふと見ると、ファビアンが不思議そうな顔をして、髪をかきあげていた。
 とたんにアガサは恥ずかしくなった。
 いきなりのことでわからなかったが、フレイが爆発すると思った瞬間に、ファビアンはマントをアガサに掛け、そのまま押し倒したのだ。
 そして、身を挺してアガサをかばってくれた。
 本当に爆発していたら、それで助かったとは思えないが、かばってくれたっておうことが、アガサには信じられなかった。

 フレイは、また姿が見えなくなっていた。
 爆発を自粛して、また縮んでしまったのか、それとも、爆発すかしで消滅したのか?
 どちらにしても、消えてしまった。
 そのかわり、へなへなと崩れ落ちているイミコと、やはり崩れ落ちているカエンがいた。
「あ、あ、あ、私。どどどどどどーしたの?」
 イミコが動揺している。だが、それを聞きたいのは、アガサのほうである。ついでに、お嬢ちゃん座りができるイミコに感動してしまう。
「どうやら、フレイの爆発を防いだのは……この人らしい」
 額を伝わる汗を拭きながら、ファビアンが呟いた。
「君はどうやら、ジャンジャン以上に力がありそうだね。恐れ入ったよ」
「え? あ、わ、あ、わ、私がぁ……?」
 イミコは声が震えていた。
 学校一のソーサリエであるファビアンにお墨付きをもらえるとは、イミコもたいしたものである。が……。
「そんな……私は、愚図でのろまで何の役にも立たなくて……。しかも、フレイを死なせてしまったんだわ!」
 褒められたのに、どわーっと泣き出すイミコ。
 カエンが回りをひらひら飛びながら、ぺこりと頭を下げた。
「ブローニュ殿。お気になさらず。イミコは褒められるのに慣れていないので、動揺しているだけです」
「そ、それに、私の髪が赤いまま。フレイは死んでいないわ」
 アガサも、思わずイミコの実力に圧倒されていた。
「イミコのおかげで助かったわ。ありがとう」
「あ、アガタ。私……」
 うるうるるん……とした目で、イミコはアガサの手を取った。アガサも思わず目の中に星を浮かべてみた。
 手に手をとって、女の友情を確認する二人だった。

「でも、これでアガサが学校にいる危険性が、よくわかっただろう?」
 突然、冷静さを取り戻したファビアンが言い出した。
 はっと、手を取り合ったまま、硬直する二人。確かに、今回はどうにかなったが、常にイミコの力が発せられるとは限らない。
 アガサは、やはりとても危険な存在なのだ。
「僕が、マダムと取引したとかしないとか、そんなことじゃない。アガサがこの学校にいることは、とても危険が伴う。アガサのことを思っても、学校の安全を考えても、アガサはここにいるべきではないんだ」
 そう言われても、ぐうの音もでない。
「マダムは気まぐれだ。アガサの仮入学を気まぐれで許したように、本入学も気まぐれで許すかも知れない。気まぐれでこの学校を燃やすわけにはいかないだろう?」
 アガサはうつむいた。
 確かに、フレイと一緒にいたい。でも、今の爆発の時でさえ、自分一人では何もできないことを思い知らされた。
 根性だけでは、何も解決しないのだ。
「わかったら……君からここを去るべきだ。これは、君のためでもある」
 ファビアンの言葉は、とても説得力があった。

 ――確かに私一人じゃあ、フレイを抑えきれない……。

 もう、学校を去るしかない?
 アガサの頭の中に、諦めの文字がちらついた。
 でも、本当にダメ? 本当に本当にダメ?
 冷たい水のソーサリエの瞳を見つめる。じっと……。

 ――本当に、ファビアンの言う通りだわ。
 私一人じゃあ、フレイを抑えきれない。学校にいられない。

 アガサは、よろり……と壁にもたれると、カエンにロウソク漬けにされたレインを持ち上げた。
 見事にカチカチである。
「……そうよ、私一人じゃダメだわ。だから、一人じゃなければいいんだ」
 アガサは、レインを握りしめた。そして、再びファビアンのほうに向き直った。
「ファビアン!」
 急に大声で呼ばれて、氷の王子の眉がピクッと動いた。
 アガサは、大きく深呼吸して、さらに大きな声で言った。
「私とペアを組んでください!」
「はぁ?」

 アガサのいきなりの告白に、びっくりの声をあげたのは、イミコとカエンだった。
 告白を受けたほうのファビアンは、さすがに目を丸くしてた。
「ちょ、ちょ、ちょっと、アガタ! いったい急にどうしちゃったの?」
 イミコが、アガサのおでこに手を当てた。熱でもあると思ったらしい。
 その手を払いながら――といても、本当に熱があるほど、アガサは真っ赤になっていたのだが――アガサは大真面目な顔をしていた。
「私一人じゃ、フレイを抑えられないっていうなら、ファビアンが常に一緒にいてくれて、フレイを抑えていてくれればいいのよ。そうすれば、ホール・パスだって手に入れられるかも……」
 その言葉を遮るように、ファビアンが大きく手を振った。
「よしてくれ。どうして僕が君の世話をしなくちゃならないんだ?」
「あら? フレイの世話よ、フレイの。だって、あなたはフレイの力がほしいんでしょ? ほら、利害が一致した!」
 熱っぽい目で迫るアガサ。ファビアンは、たじたじと後退した。
「利害……って。一致していると思っているのは君だけだ。僕は、まったくありがたくはないね」
 クールな瞳をふとそらし、ファビアンは不機嫌そうに呟いた。 
「だいたい、どうして君はそういう奇抜なことを考えるんだ? 自分がダメなら人の力を借りよう……だなんて、調子が良すぎるじゃないか!」
 どうやら、ファビアンの頭の中には、この展開は予想外だったらしい。かなり、不機嫌そうである。
 だが、アガサのほうは大真面目なうえ、自分の恋路も掛かっている。
「調子が良くたって何だって、私はフレイと一緒にいたいもの!」
 そう、ファビアンとも。
 一石二鳥のいいアイデアであり、けして引けない。
「とにかく! 僕はこの話から下りさせてもらう!」
 苛々しながら帰ろうとするファビアンの前に、アガサは立ちはだかった。
「この話は断れないわよ! 私の手の中に、レインがいるもの!」
 水の瞳がますます冷たく冴え渡った。

 アガサの手の中に、蝋人形と化したレインがいる。
 レインを取り戻さない限り、ファビアンはソーサリエとしての力を発揮できない。そうなると、徒歩で水の寮まで戻らなくてはならないし、明日の授業も受けられない。
 それに、階段を自分の足で上り下りしなければならない。これは、とても疲れることであることを、アガサは身を持って知っている。

 さあ、ファビアン!
 毎日、階段を232段。それと、私とつきあうのと、どっちがいい?
 どうする? どうする? どうする?

 じりじり迫るアガサ。
 しかし、ふっとファビアンの表情が和らいだ。くすっと笑いが漏れた。
「どうぞ……。レインをお好きに。君とつきあうくらいなら、僕は階段で失礼するよ」
 意外な言葉だった。
「え? だって……」
「レインは置いて行く。僕には足があるしね」
 呆然とするアガサの横を通りぬけ、ファビアンはドアノブに手を掛けた。
 そこにイミコが割り込んだ。
「待って! ファビアン。あなたがレインを置いていったら、レインは死んじゃうかも? そうしたら、あなただってソーサリエとしての力を失っちゃうのよ?」
 精霊はソーサリエの頭を食べている。
 長時間、お互いを見失うと、精霊の命のかかわることとなる。
「かまわないさ。無理難題を押しつけられて、それに従わされるくらいなら。僕は、ソーサリエであることよりも、自分という人間でありたいからね」
 ファビアンは、最後にギッとアガサを睨みつけた。
 それは、アガサの心を凍り付かせるほどの、冷たい視線だった。
 ガシャン! と、ドアの閉じる音も乱暴に、ファビアンは部屋を出て行ってしまった。