ソーサリエ〜アガサとアガタと火の精霊

第4章
 チェンジリング


(1)


 はぐれ地の池の中。
 イシャムが作ってくれたボートに、アガサはたった一人で乗っている。
 そこにフレイの姿はない。でも、アガサは持ち込んだロウソクに向かって、何度も呪文を唱えるのだ。
「火の精霊フレイよ、ロウソクに火を灯して!」
 当然、火はつかない。
 ただ、さわさわと風が水面を渡るだけである。
 アガサは手桶で水をすくい、水着の上にかける。万が一の爆発に備え、準備だけはしておく。
 風よけと寒さ対策の羊毛の毛布を被り、再び挑戦する。
「火の精霊フレイ! ロウソクに火をつけて!」
 やはり、火はつかない。
 ただ、ぽちゃん……と、魚が跳ねて水面に波紋を広げただけである。
 アガサは乱暴に手桶を水に突っ込み、さらに大きな波紋を作り、ジャバッ! と自分に水をかけた。
 そして、大きく息を吸い込み。
「火の精霊フレイよ、ロウソクに火をつけろ! って言ったら、つけろ!」
 半ばヤケのヤンパチである。
 だが、火はつかない。
 アガサは、怒りで燃え盛りそうになりながらも、再び大きく呼吸をして、精神統一を計った。


 岸辺で、ぼんやりとその様子を見ながら、イミコはため息をついた。
「何だか……もう見ていられない。アガタったら、追いつめられれば追いつめられるほど、がんばっちゃうみたいで」
 その横でジャン‐ルイもため息をついた。
「がんばるのがいいのか、諦めるのがいいのか……。本当にわからなくなってきたよ」
 入試テストまで、あと三日。何の進化もないままだ。
「フレイが諦めちゃっているんですもの、もう落ちるのは目に見えているものね」
「いや……それもあるけれど」
 ジャン‐ルイは、小さな石を池に投げ込んだ。
 ぽちゃん……と波紋が広がった。
「気になるんだ。フレイが間違ってアガタに付いたとしたら? 本当のフレイのソーサリエってどうしていると思う?」
「え? 私、そんなこと、考えたこともなかった……」
「本当のソーサリエは、精霊がいないから、本当の自分ではいられないはずなんだ。きっと、死んでしまったか……いや、それはないな。死んだなら、フレイだって消えているはずだから。でも、きっとそれに近い状態でいるんじゃないかな?」
 イミコは、ボートの上で苛々ながらも、フレイに命令を送り続けているアガサを見た。
「……もしかして、アガタがフレイを諦めたら、その子は助かるってこと?」
「いや、そんなにうまくいくはずがない。フレイは消えるだけだと思う。だって、彼はその子を認識できなかった。だから、アガタについたんだから。でも……」
 ジャン‐ルイは立ち上がった。
 そして、空中でアガサの訓練を見守っていたアリに合図を送った。もう、時間だ。これ以上は、アガサが風邪をひくだろう。
「でも? どうしたの?」
 イミコは不安気に聞いた。
「いや……。フレイは、きっと、アガサとその子の事を考えて、自分の間違いに報いようとしているんだと思う。消えて千年の封印を受け入れるつもりなんだよ。そうしたら、もう、アガタに苦労を背負わせないで済むだろうし、精霊のいないソーサリエの子には、別の精霊がつく可能性が出てくるから」

 ――アガサにも責任が持てない。きっと、本当のソーサリエの子にも。

「……まさか、だな」
「え? 何が?」
「いや……何でもない」

 いくら姿が似ていて、年が同じでも……。
 フレイの付くべきソーサリエが、自分の妹のアガタだったんじゃないか? なんて考えるのは、都合がよすぎる。
 そうなるためには、よほどフレイが狂っていないかぎり、ありえない。
 だが、ジャン‐ルイはそう思えて仕方がない。

 ――多分……兄という立場がそうであって欲しい、って思わせているんだ。
 まったく精霊の気配がないソーサリエなんて、あまりにもアガタがかわいそうで。


 ガチガチ震えてくしゃみ三回。
 アリのひらひら衣装に包まれて、さらに一回。
「ああ、アガタ姫。あなたは無理をしすぎています」
 アリが心配そうに話しかける。
「無理でも何でも……もう私たちには時間がないのよ」
「私たち? フレイはもう諦めていますよ」
 アリが囁いた。
「アガタ姫。これは、きっと、バッラーの神の思し召しです。あなたの危険は去りました。これからは、バルバルの王宮で暮らせということではないでしょうか?」
「王宮はいらない」
「大臣を説得して、第一夫人にしますから」
「そういう問題じゃないの! はっくしょん!」
「か、風邪ですか? 大丈夫ですか?」
 アリの優しさはわかるのだけど、アガサは時々疲れてしまう。
「今はただ、この学校に残り、フレイを助けることだけが私の望みよ」

 ――そのためにはどうしたらいいの?
 このままがんばっても、どうにもならない。
 いったい、どうしたら?

 フレイ! 
 あなたはいったい、どうしちゃったの? どうなりたいの?
 死んじゃいたいの? 消えちゃいたいの?
 あなたには、私の考えが読めるはず。
 お願い! 答えて!
 フレイ!


 部屋に戻って温かいお湯につかる。
 その中でも、アガサは何度も命令した。シャワーの上に括りつけたロウソクに向かって。
「火の精霊フレイ。お願いだから、私の言葉に耳をかして」
 もちろん、成功しない。
 アガサはお湯から上がると、苛々と鏡に向かって髪の毛をタオルで拭いた。
 髪は見事に赤いまま。
 ……ということは、フレイはどこかに必ずいる。
「フレイ! いじけるのもいい加減にしないさいよ! 私はあなたを諦めないからね!」
 アガサは鏡に向かって怒鳴ると、勢いよくバスルームのドアを閉めた。

 その間、フレイは……。
 見えないほど透き通った状態で、アガサの回りを飛んでいた。
 ふわり、ふわり……と、力なく。
「だって……もう仕方がないじゃないか、ねーさん。すべては、おいらが悪いんだぁ……」