(2)
誰もが驚いてフレイを覗き込んだ。
だが、フレイはますます縮こまり、ぺたんと座り込んでしまった。
「みんな……おいらを見ないでくれ」
と、言われて「はい、そうします」と言うメンバーは誰もいなかった。それどころか……。
「あなた、何か悪いものでも食べたの? らしくないわね!」
アガサは大きな声で言い、フレイをひょいと持ち上げた。一瞬、あっ……と思ったのは、フレイの食べ物が自分の頭であることに気がついたからである。
「……おいらのことは、放っておいてくれ!」
「と言ってもね、とりあえず、ロウソク風呂に入る?」
きっと、長い間アガサと離れていたから弱っているんだよ、と、回りでもひそひそ話。誰もが納得していた。
だが、フレイ本人はちっとも納得していない。
「どうせ! どうせ、おいらは……いじいじいじ……」
アガサの手の中で、火の涙をほとばせながらわーんわーんと泣いている。
アガサの顔は、少しずつ赤みを増し、ついに大きな声をあげた。
「ぎゃーーーー! あちちちちちちっ!」
手を振り回し、ふうふうした。
その勢いで、フレイはふらふらと床に落ちた。
バーンがひらひらとフレイに近より、肩を抱きかかえるようにして、助け起こした。
「もうかまわないでくれ! どうせおいらはもう、千年復帰しない!」
フレイはいきなり怒鳴ると、急にスカッと消えてしまった。それはもう、まるで手品のように見事に。
あまりにきれいな消え方なので、誰も何も言えず、呆然としていただけだった。
「今のって……何?」
やっとイミコが言った。
「つまり……フレイは消えていなくなったってことですか?」
アリが眉をひそめた。
「ちょ! ちょっと冗談はやめてよ! フレイが消えるって、そんな馬鹿な!」
アガサは、やっと事態の大変さを認識しだして、慌て始めた。
「でも、我が輩の目には、鮮やかに消えたように見えましたがな」
イシャムがヒゲを撫で付けた。
「きーえた、きえた、フレイが消えた」
精霊たちが輪になって躍っている。
「ちょっと! あなたたち、やめなさい!」
アガサの手の一振りで、輪はバラバラになった。
「消えたのは、事実だ」
ジャン‐ルイまで腕を組んだままである。
「じゃあ、フレイはもういないって言うの!」
思わずよろけたアガサを、イミコとアリが支えた。
――そんな! そんな馬鹿なことってある?
私たち、いつもいっしょだったじゃない! フレイのバカ!
しんとした空気に包まれた。
だが、その静けさを断ち切ったのは、ジャン‐ルイだった。
「フレイは消えたけれど、死んだわけではない」
「どういうことです?」
アリが不思議そうな声をあげた。
「フレイが死んで火に戻ったとしたら、アガタがそんなに元気であるはずがない」
ジャン‐ルイが言った。
「でも……アガタ、元気じゃないですけれど?」
イミコの言葉は、確かに事実だった。今まで、こんなにアガサがしょぼくれていることはなかったのだから。
「でもね、ソーサリエが精霊を失ったとしたら、そんなものではないんだ。生きているのがやっとくらい。立って歩くことも、座っていることも苦しいくらいに、魂が萎えてしまうんだよ」
何か思うところがあるのか、ジャン‐ルイはうつむいた。
「フレイは、何かショックを受けて、自分の実体を維持するほどの元気がないだけ。この部屋のどこかにはいるはず。アガタの近くに今もいるはず」
みんながあたりを見渡したが、それらしい気配は感じない。ジャン‐ルイの言葉は、今回は真実味を感じない。
「でも……。もしも、私がソーサリエじゃなかったら? フレイがいなくても弱ることはないんじゃない?」
「もちろん……そうだ」
「じゃあ、やっぱりフレイは消えちゃったんだ!」
アガサは声をあげて泣き出した。
ここに来て、ファビアンの言葉がアガサの頭に響いていた。
――君は、ソーサリエじゃない。
「違う! 君とフレイは、ずっといっしょにいたんだろ!」
ジャン‐ルイはアガサの手を取って握りしめた。
その時、アガサを支えていたアリとイミコが、何となく複雑な気分になっていたのだが、それは置いておく。
アガサは、泣きじゃくりながらも、ジャン‐ルイの顔を見つめた。
「アガタ。もしかしたら、今ならロウソクに火がつけられるかも知れない。もしも、フレイが本当に消えていたら、火はつかない。弱っているだけなら、火がつくはず」
アリが、アガサを奪い取るようにして、口を挟んだ。
「で、でも……それは危険じゃありませんか? もしも、火がついたとしたらですよ? 爆発の危険も……」
「爆発はない。ファビの計算では、フレイの力が指先以下なら、暴走を食い止められるはず。今なら爪先ほどの力もない」
イミコが震えながら言った。
「で、でも……こんな時に? フレイの力が尽きちゃうってことは?」
「もしも火がつけられたら、アガサはこの学校にいられる。火は、希望の火だ。フレイが弱った原因が精神的なものだとしたら、きっと元気になれるはず」
「よっしゃ! アガタ姫! そりゃ、やるしかないだわさー」
またまたよくわけのわからない訛りで、イシャムが胸を叩きながら言った。
フレイが生きているなら、火はつく。
フレイが死んでいるなら、火はつかない。
何だか、結果を見るのが怖い。
だが、ジャン‐ルイの話を聞く限り、ここでロウソクに火をつけられないとすれば、フレイはこのまま姿を現さなくなりそうだ。
あの、自信過剰で元気でそれでいてしっかり者のフレイを呼び戻すには、火をつけるしかない。
アガサは、大きく呼吸をした。
「やってみる」
ジャン‐ルイが、ロウソクを持ってきた。
机の上に置いたとたん、ぽっと灯が灯り、みんなが一斉に声をあげたが……。
「ごめん、今のは僕の予行だよ」
あっさりとジャン‐ルイが言った。
火は、全くついていない状態からつけるよりも、消えて煙が上がっているくらいのほうがつきやすい。ロウも気化しやすくなっている。
「さあ、今度はアガタの番だ」
誰もが息を飲んだ。
アガサは、ロウソクに向かい合い、そっと手をかざした。
感じないフレイを捜し、気を合わせるようにして……。目を閉じた。
「さあ、お願い。フレイ。ロウソクに火をつけて」
五秒、十秒、二十秒……。
一分、二分……そして五分。
「やっぱりだめだわ!」
ついに、アガサは机に顔をぶつけるようにして、泣き出した。
ごつん! と音がしたが、先ほど貼ったバンドエイドのおかげで怪我はしなかった。
「どうやら……やっぱりフレイは消えちゃった……ということみたいですね」
カエンが、呆然としているイミコの回りを飛びながら言った。
アリが、アガサを支えるようにして、助け起こした。
ジャン‐ルイも腕を組んだまま、何も言わない。
「やっぱり。私、ソーサリエじゃないからなんだ。ファビアンが言うように、赤毛のアガサ・ブラウンなんて、初めから存在していないんだ! 金髪のアガタが本物で、私は偽物なんだ!」
ここでの『アガサ』も、他の人の耳には『アガタ』に聞こえたのだが、ジャン‐ルイには、その違いが気持ちでわかった。
……と、同時に。
「ファビアン? 彼が何か言っていた?」
「私は、ソーサリエじゃないって……」
「……って、その前に……」
「本当のアガタは、金髪なんだって」
「金髪?」
「私の家族は、皆、金髪なのよ! だから、私だけが取り替えっ子だったの!」
急に子供の頃の悩みが、アガサの頭を駆け巡り、耐えきれなくなった。
アガサは、そのままアリにしがみついて泣いた。
アリは、よしよし……と言わんばかりに、アガサを抱きしめていた。
「ああ、かわいそうな私の美しい人。その苦しみを、私もいっしょに受け止めてあげましょう。そして、我が手で癒して差し上げましょう」
まるで、二人だけの世界に至ったようである。
が、その外で、ジャン‐ルイはひとつの確信に至っていた。
「……そうか! どうやらフレイの落ち込みの原因がわかったぞ!」
目を輝かせるジャン‐ルイの横で、イミコが涙を拭いていた。
「でも、今更わかったところで……。もう、フレイは存在していないのに」
ジャン‐ルイはにっこり微笑んだ。
まるで、その場にはふさわしくないような、楽しそうな顔だった。
「アガタ。フレイはまだここにいる。弱りすぎて、火がつかなかっただけだ」
「へ?」
アリとアガサは、きょとんとしてジャン‐ルイを見た。
二人だけの甘くも切ない時間は終わった。フレイが生きていることが嫌だったわけではないが、さすがにアリの顔が曇った。
「どうしてです? あなたは、火がつかなかったらフレイはいないと言ったばかりではないですか! どこにフレイがいるんですか? これ以上、悲しみを深めるような希望を、アガタ姫に持たせないでください」
ジャン‐ルイは、再びアガサに近寄ると、今度は燃えるような真っ赤な髪に触れた。
「証拠はこれ。アガタの髪は赤毛だってこと」
ますますわけがわからない。
誰もが、不思議そうな目で、ジャン‐ルイの言葉に注目した。