ソーサリエ〜アガサとアガタと火の精霊

第1章 虹の雲と闇のトンネル


(4)

 闇の世界を抜けると、今度はまぶしいほどの青空だ。サングラスが欲しい。
「空を見ないほうがいいよ、ねーさん。人間の目には紫外線が強すぎるからさ」
 そう言われても、アガサは青空の誘惑に負けていた。
 どこまでも晴れ渡った青空の下に、アガサは憧れていたのだから。いや、今は空の上にいる。
 涙目になりながらも、下界を見下ろした。
 雲が浮かんでいる。その隙間から、ところどころ町が見える。でも、たいがいは畑だったりする。あまりにも綺麗に整備された畑とところどころに散らばった村は、まるで細胞のようにも見えて、アガサは不思議な気持ちになった。
 その世界で、アガサも生きていたのだ。顕微鏡の中でうごめく微生物のように、せわしなく。
 突然、暗くなった。
 大きな雲でもあるのだろうかと、アガサは見上げた。そして、驚いた。
 巨大な円盤形の物体。岩石でできている。まるで、青空という名の海にある島だ。
 それは、アガサが長年UFOだと思っていたものだった。
「な、何? あれ?」
「うん? あれが学校」
 フレイはあまりにもあっけなく答えた。

 ソーサリエの学校。
 それは、まさに空中に浮かぶ学園なのである。

 驚いて口が閉まらないアガサを抱えて、フレイはさらに高く飛び上がった。
「こんな時じゃないと学校を上空から見ることなんてできないから、サービスしてやるよ」
 フレイの声がうれしそうなのは、よほど自慢の学校だからなのだろう。アガサは返事もできずに、なすがままになっていた。
 円形の岩の塊の中央部に、学校はある。まるで、孤島に建てられた巨大なお城のようだ。

 いや、城のまわりを切り取って空に浮かべたような……。島の小ささと建物の大きさのバランスが、いかにも不安定で、それが返って建物を迫力あるものにしている。

 それに、使われている石材が黒いせいで、建物が大きさ以上に重々しいのだ。

「ゴシック建築かしら?」

 教科書に載っていた古い教会の写真に似ていたので、アガサはそう呟いたが、実は建築様式なんて何も知らない。

 知ったかぶりをしてみたけれど、フレイが笑いをこらえているようなので、言わなきゃよかったと後悔した。

「この学校の建物は、ずーっとずーっと古いんだぜ! 人間の歴史で計ったら……ざっと1万年前かな?」

「う、うっそー! じゃあ、まだ猿人とかの時代じゃない!」

 実は、それもちょっと違ったらしく、またフレイが笑いをこらえていた。触れた背中に微妙に震えが伝わるから、笑われているのがわかるのだ。

「ねーさんも猿みたいなもんだしな」

 嫌な精霊である。

 

 フレイは建物の下を潜り抜けた。

 巨大な建造物を支えるだけの厚みはある。ところどころに穴があるのは……。

「学生牢。地下にあるんだけれど、浮いているからなぁ。地下というよりも、空の上。もちろん、底が抜けたらまっさかさまさ。悪さはしないでおくれよね。ねーさん」

 反論しようとして舌を噛み、痛がっている間に反対の岸につく。

 断崖絶壁の岩壁……下が見えなくて当然だろう。

 見えるのは、細胞壁に囲まれたような、アガサがいた下界だけなのだから。

 崖っぷちには城壁が張り巡らされている。人が住んでいるとしたら、たぶんこの壁がなければ危険だろう。
 天空に浮かぶ島の端は、まさに今にも崩れ落ちそうになっている。
「時々、強風の日なんかは、ぱらぱら落ちているんだ」
「え! じゃあ、下界の人は危ないじゃない!」
 フレイは少し笑った。
「あの『何もない境目の空間』と、『虹の幻の雲』があっただろ? 同じ空間にあるように見えて、下界と天空は繋がっていやしないから、別になんともないさ」
 アガサは、ふーんと唸った。
 だから、UFO――もとい、ソーサリエの学校は、ぷかぷか浮かんでいたとしても、飛行機とぶつかったりはしなかったのだ。

 ほぼ円形の島の端の一箇所は、小高い山になっている。城壁はその小山と一部一体化していた。
 その頂上に小さな旗が立つ。桃色のかわいい旗だ。
「現学長マダム・フルールの旗だ」
 よくよく見ると、旗の中央にややローズピンクの薔薇の絵が付いていた。学長は、かわいい趣味の人なのかもしれない。
 学校は、小山よりもさらに高くて大きな建物だった。
 4つの平方の塔と1つの尖塔を持つ重厚な建物で、黒い石を積み上げて作られている。
「あの4つの塔とその下の建物は、それぞれの属性で別れた寮になっている。すべての学年が全部一緒なんだ。赤い旗の校舎が『火』青が『水』黄色が『土』緑が『風』そして、中央の尖塔に立っている白い旗は『無』だ」
 高度をやや下げながら、フレイは得意そうに言った。
「あの尖塔の下の大きな建物は、イベントホールや図書館があるんだけれども、一年で入れる者は少ないな。まぁ、がんばって勉強してホール・パスをできるだけ早く手に入れてくれよな」

 他にも細々と学校のことをフレイは説明するが、早口過ぎた。しかも、地に足の着いていないアガサの耳を、言葉は見事に素通りしていた。アガサには、フレイの説明は一度にたくさんすぎて、あまり理解できなかったのだ。
 それよりも、目は建物の壮大さや美しさに、耳は風を切る音に捕らわれ、心はここにあらず……である。
 特に……。

 アガサをも突き抜けるのでは? と思われるほどの高い尖塔のうえに、羽を持つ精霊の姿の像。
 その精霊が、天高くかざしているのが白い旗であり、アガサは旗よりも何よりも、精霊の像の凛々しさに感動していた。
 尖塔を巻くようにして飛び、青い旗の近くまで降りてゆく。

 そして、アガサは、ふと塔の窓に本を読みながらくつろぐ人影を見た。

 ほんの一瞬だった。
 でも、その人と目が合った。
 間違いなく人間であったけれども、まるで尖塔の上の銅像のモデルとも思われる印象的な少年。
 彼は、肩で切りそろえられたプラチナブロンドの髪を風になびかせていた。目に掛かった髪を払おうとして、ふと、空を見上げたのだ。
 瞳は冷たい水の色。かすかに開かれたピンクの唇に、驚いている様子が伺える。間違いなく彼もアガサを見たに違いない。
 風にブラウスの白いリボンがなびいた。
 繊細な指先を動かして本を閉じる姿が、まるでスローモーションのように、アガサの脳裏に焼きついた。

「アガタ?」
 フレイの呼びかけに、アガサは名前を修正することもできなかった。
「アガタは、火の精霊使いだから、赤い旗の塔だ。こちらの青い旗の塔には縁がない」
 機嫌を損ねたのか、フレイがブツブツ呟いた。
「よりによって、アイツかよ……」
「え?」
 アガサは聞きそびれて聞き返したが、フレイの機嫌は直らなかった。
「まだまだ、この学校には見所があるんだぜ!」
 すっかり話をそらすように、フレイは急上昇した。
 まるで何かに対抗するように、それぞれの塔の上をフレイは旋回して見せたが、せっかくの建物の壮大な鳥瞰も、もうアガサの興味を引くことは無くなってしまった。
 アガサは、すっかりぼうっとしていた。

 ―王子様を見ちゃった!
 あの人もソーサリエ? ここの生徒?