(1)
「ぎゃああああ!」
いきなり悲鳴が響いた。
かなり甲高いが……間違いなく男の声である。
「ああ、なんてことを! バッラーの神よ! この私に何て試練をお与えになるのでしょう? あなたは!」
大げさな悲鳴は、アリのものだった。
「ア、アガタ?」
次の声は、イミコだった。
「ファビ? 何で僕の部屋にいる?」
さらにジャン‐ルイ。
「しかも、ちゅっちゅですかいのー」
イシャムの声だった。
アガサは、思わず目を丸くした。
「え? みんな、どうしたの?」
「どーしたの、だってぇ? みんなで、アガタを捜していたでしょう!」
怒鳴り声が見事に揃った。
怒られても当然だろう。
フレイがアガサを見つけられないと知って、誰もが汗をかいた。
このままでは、フレイが弱って死んでしまう。そうなれば、入学のテストどころの話ではない。
イシャムとアリは上空からソーサリエの学校中をくまなく捜した。
イミコは火のソーサリエの寮を、トイレのひとつひとつまで蓋を開けて捜した。
ジャン‐ルイは、ホール・パスを使ってあらゆるところを……ただし、中央食堂では微妙にすれ違ったようである。
結局、散々皆で捜したあげく、見つからないので、ジャン‐ルイの部屋で作戦会議を開くこととなった。
そこに、アガサがいて、しかもファビアンもいっしょで、何と、おでこにチューときたものだから、アリが絶叫してしまったのだ。
「キスじゃない。おでこから血が出ていたから……」
「そのような治療法は、あまりよろしいとは思えませんね。ブローニュ殿」
カエンが余計な一言を語り、レインの水鉄砲で打ち落とされた。だが、誰も同情するものはいなかった。ただ、優しいバーンだけが、カエンの着物に火をつけてあげた。
「ところで……僕の部屋で、いったい何をしていたのか、説明願いたいね」
ジャン‐ルイが聞くと、ファビアンはくすり……と笑った。
「キス」
「ぎゃあああ!」
今度の悲鳴はアガサである。
おでこのチューが信じられず、やはり夢かと思っていたのだが。
「ごめん。ふざけただけ」
あっけなく氷の王子はアガサの妄想を打ち砕いた。
「ただ、偶然のなりゆきで……あ、キスが、ではないよ……この部屋に飛び込んできてしまったんだ。フレイが爆発しそうになってね」
「フレイ?」
ジャン‐ルイがあたりを見回した。しかし、姿が見えない。
「あら? そう言えばどこにいっちゃたの? フレイったら」
アガサもきょろきょろしたが、見当たらなかった。
「心配はいらないよ。精霊はそれほどソーサリエから離れていることはないから。じゃあ、僕は失礼するよ」
「おい! ちょっと! なんの説明にもなっていないだろ!」
ジャン‐ルイの声を無視して、ファビアンは窓から飛んでいってしまった。
プラチナの髪に埋もれながら、レインが思い切り手を振っていた。
「あーあ……」
ジャン‐ルイは、またもや逃げられたとばかりに、両手を腰に当ててため息をついた。
アリは、ショックなのか、ずっと座り込んで影で暗くなっている。
イミコだけが、アガサに質問してきた。
「ねえ、アガタ。何があったの?」
「何があったって……もう、あんなヤツ!」
「……あんなヤツ! って言いながら、どうして顔がにやけているの?」
「え? に、に、にやけてないんていないわよ!」
アガサは慌てて言い返した。
だが、ちょっと今日は顔が洗えないかもしれない。おでこに防水用のバンドエイドでも張らなくちゃ。
「も、もちろん、それは、おでこを切ったからよ!」
「あの……脈絡ないんですけれど」
イミコが聞いている限り、アガサがにやけているのはおでこを切ったからになってしまう。もちろん、アガサはそんなマゾではないだろう。
ただ、少なくてもアガサの頭の中は、ファビアンに対する複雑な思いでいっぱいだった。
素敵な王子様……と、うっとりする部分。
よくわからない人だと、いぶかしむ部分。
本当は優しいんじゃないかな? と期待する部分。
気が合わない嫌なヤツだ! と、腹がたつ部分。
「とにかく! 私は青い目でも金髪でもないってことよ!」
「??? ???」
ますますイミコは頭をひねった。
「アガタ。もしかして、頭を打っておかしくなったんじゃない?」
「それを言うなら、フレイのほうがもっとおかしいですよ」
カエンがやっと乾いて飛び上がった。
「え? フレイ?」
アガサが最後にフレイを見たのは、レインの水玉から解放されたときだった。
だが、その場所にフレイはいなかった。
代わりに、何やら小さな精霊がいた。
「え? ええええ! フレイ???」
思わずアガサは叫んでしまった。
フレイは、頭の大きさが半分になっていた。
それもそのはず、いつも元気に跳ね上がっている髪の毛は、まるでぬれねずみのようにぺったりとなっている。
しかも、チョウチョのようにピンと伸びた四枚の羽も、まるで、蛹から抜け出したばかりのように、しなしなになっていた。
色も心無しか黒ずんでいた。
全然、いつものフレイではない。みんなが別の精霊だと思っても、仕方が無かった。
「ちょ、ちょっと! フレイ! あなた、どうしちゃったの?」