(3)
「怒らないでください。マダム」
ファビアンは少し媚びを売るように目を伏せた。
「僕は……ただ、あなたのように立派なソーサリエになりたいだけです。あなたが犯した危険だって、そのために必要だったとあれば……僕だって挑戦したい」
マダム・フルールの髪の毛は、まるでおどろおどろの蛇縄のようにのたうち回っていた。そして、背後には炎と波しぶき、火山の噴火と突風の五色の旗が舞踊っていた。
「いけません! あなたにはまだ早いわ! あなたはこのソーサリエの学校を消滅させるつもりなの?」
「そんなつもりはありません。マダムが協力してくれたら、僕はフレイを半分封印できるはず……」
マダム・フルールの背後にあった旗は力なく消え、マダムもどっさりと椅子に落ちた。
「つまり……あなたは私を脅すってことね?」
「そんな。脅すなんて……。僕は口が堅いですから、こんな重大な秘密を吹聴する気はありません」
「脅しているじゃない……」
マダム・フルールは、大きなため息とともに引き出しを開け、大きな手鏡を取り出した。そして、髪の毛を整えながらブツブツ言った。
「ああ、嫌だ。また、白髪が増えちゃった」
増えたのではなく、すべてがもともと白髪なのだが。
さらに大きなため息。
「あなたには負けたわ。ファビアン・ルイ・デ・ブローーニュ」
ファビアンは、微笑みとともにゆっくりとお辞儀をした。
「確かに、私は若い頃、ソーサリエの伝説にある火水の精霊の結晶を利用し、4つの精霊を分断して閉じ込めた。それによって無のソーサリエとなりえたのだけど、下手をすれば火水の精霊の封印が解けるところだったわ。これがばれると処罰ものね」
「マダムと同じ穴の狢になりたいのです」
「……よくいうわ」
髪の毛を整え終わると、マダム・フルールは立ち上がった。
同時に、部屋のカーテンというカーテンがぱっと開き、あたりは明るい日差し差し込むもとの部屋となった。
「アガタの精霊・フレイを分断し、あなたに授けましょう。ただし、あの子が万が一、テストに合格してしまったら別よ。フレイをそのままにしてあげる約束だから」
ファビアンの顔に安堵の色が見えた。
「ありがとうございます。あの子はソーサリエじゃないから、成功しません」
マダムは、あきれたとばかりに大きなため息をついた。
「私の調べたところによると、あなた、あの子に協力していたんでなくて?」
「協力しました。でも、それで確信しました」
マダム・フルールはちらりとファビアンの顔を見た。そこには、ミステリーで完全犯罪を企む悪人のような微笑みが見えた。
それを裏付けるように、ファビアンは言った。
「フレイは僕のものだ」
ファビアンが部屋を出て行った後、マダム・フルールは再び椅子の上に落ちた。
引き出しから読みかけの本を出す気にもなれない。
「あーあ、出来過ぎの子ってかわいくないわ……」
ぽん! と手を叩くと、水の精霊オールが現れた。
「お呼びでございますか? マダム・フルール」
「用事がないときに、私があなたを呼んだことがあって?」
「いいえ、お茶汲みやら、フェイスマッサージやら、花の水やりやら……」
マダム・フルールは、手を振ってやめさせた。今日はご機嫌斜めなのである。
「ファビアン・ブローニュを調べてちょうだい。ただし、精霊のレインに気がつかれないよう、上手にやってちょうだいね」
「御意」
オールはすっと消えた。
マダム・フルールは、次にくしょん! とくしゃみした。
「お呼びでこざいますか? マダム・フルール」
今度は火の精霊・フュメが現れた。
「用事がないときに、私があなたを呼んだことがあって?」
「いいえ、風呂の準備やら、足ツボマッサージやら、温感パックやら……」
「あなたはフレイやカエンに気づかれないよう、アガタ・ブラウンを探ってちょうだい」
「ラジャ」
フュメも消えた。
マダム・フルールは、どすん! と椅子から飛び降りると、大きなため息をついた。
「お呼びでございますか? マダム・フルール」
「用事がないときに、私があなたたちを呼んだことがあって?」
次に現れたのは、風の精霊・エアリアと土の精霊テラである。
「いいえ、どろんこパックやら、植木の植え替えやら、部屋の掃除やら……」
「冷房調整やら、カラオケやら、お菓子調達やら……」
「お黙り! 私は頭が痛いのだから」
珍しいマダムの怒鳴り声に、精霊たちは顔を見合った。
「ご免なさいね。女は時にナーヴァスになるものなのよ。特に、秘密がばれそうになると……」
その言葉に、精霊たちは悲鳴を上げて、お互い抱き合ってしまった。
「もしかしたら、私の旗の下を掘り起こして、封印の結晶を奪おうとする者がいるかもしれない。あなたたち、こっそり見張っていてくれないかしら?」
「当然!」
精霊のエアリアとテラも消えた。
独りになると、マダム・フルールは再び椅子に座り、物思いに耽った。
「無理よ……ファビアン。だって、私、精霊を閉じ込める方法なんて、もう忘れちゃったのよ。もうろくしてきたからね」
それに、結晶を使えたのだって偶然なのだ。たまたまやってみたらできちゃったってヤツだ。
マダム・フルールは、若かりし頃の自分を思い浮かべていた。
今から思っても、ずいぶんと恐いバクチを打ったものである。
若者は、いつの時代でも無謀なもの。
「それなりの美貌と才能を備えていたから、傲慢極まりなかったのよね。若気のいたり、いたり……」
――ソーサリエの世界の崩壊か?
――無の力を手に入れるか?
「ばれたら、怒られる……じゃすまないものね」
火水の精霊にかかわること。下手したら、再びソーサリエの世界を崩壊させることになりかねない。
こうなると、アガサにがんばってもらうしかないのだが。
「それも無理よね?」
……となると、不正を働く?
アガサが魔法を唱えると同時に、こっそり火をつけちゃえばいい。
でも。
「それも困るのよね。あの子を置いておくのは火水並みに危険だし……」
アガサ自身が爆弾のような存在である。学校の多くの生徒・教師たちを危険にさらすのは、学長として避けるべきことである。
マダム・フルールは頭を抱えた。
「ううう、どうしましょ? どうしましょ? どうしましょ?」
しばらく悩んだ後。
「あ、そうだ! そうしましょ!」
マダムはにっこり微笑むと、引き出しを開けた。そして、読みかけの本を取り出した。
「嫌な事は、忘れるのが一番」
そう言うと、マダムは老眼鏡をかけて、何事もなかったように再び読書に没頭し始めた。
このようにして、何一つ根本的な解決を見ないまま、物事は進んで行くのであった。