ソーサリエ〜アガサとアガタと火の精霊

第3章
 ファビアンの陰謀


(2)


 水のソーサリエの寮は、火のそれとは違う。
 水のソーサリエの特徴というのか孤独を楽しむ者が多いため、個室が多いのだが部屋は狭い。
 ファビアンの部屋も独り部屋であり、狭かった。
 彼は、部屋に戻ってくると机に向かった。何をする……というわけでもなく、ぼっと考え事をしていた。考え事が趣味のような少年である。だが、その手は机の上にあったフォトフレームを引き寄せていた。
 真っ赤な髪をした二人とプラチナブロンドの一人。ファビアンとジャン‐ルイ。そして、ベッドの中にいる少女。
「アガサってアガタとはかなり性格が違うみたいですね。意外ですね」
 ファビアンの精霊レインが、もぞもぞとブロンドから顔を出す。
「レイン。話しかけないでくれないか。考え事をしているんだから」
 ファビアンの声に、レインは肩をすくめて再び髪の中に潜り込んだ。
 しばらくそのまま時間が過ぎた。

 ファビアンのブローニュ家とジャン‐ルイのヴァンセンヌ家は、家族ぐるみのつきあいがある。これは、ソーサリエの伝説以来続く長い交流であり、火と水にあって珍しいことでもあった。
 ファビアンも物心ついた時からヴァンセンヌ家に遊びに行った。ジャン‐ルイとは腐れ縁なのだ。
 そして……。
 妹のアガタとは……。 

 突然、ファビアンは立ち上がり、着替え始めた。
 一番白いシャツを出し、ピカピカに磨いた靴を履く。髪の毛を梳かしたので、ブラシに押されてレインが床に落ちた。
「ファ、ファビアン。どこへ行くの?」
 専属の精霊でありながら、レインにさえもファビアンの考えは読めない事があった。
「マダム・フルールのところへ」
 ファビアンはソーサリエのマントを羽織った。青い裏地が翻る。いきなり部屋を出て行ってしまった。
 レインはあわててファビアンを追って、ぎりぎりのところで追いついた。



「あらーっつ! こいつが犯人だなんて、絶対に許せないわーっつ!」
 老眼鏡をまるでモエバーのように上げ下げしながら、マダム・フルールは叫んでいた。
 この叫び声をあげるのは、読んでいるミステリー小説がもうすぐ読み終わるという儀式でもあり、毎度の事である。
 つまり……毎度、マダムの推理は外れるのだ。
 理由は簡単。マダム・フルールの頭脳は、ミステリー作家が及ばないほど、定石を逸しすぎているからだ。まあ、突飛ともいう。
 学長室の椅子に深々と腰をかけて、水の精霊・火の精霊・土の精霊・風の精霊をかわりがわりに呼び出しては、お茶やらケーキやらを運ばせる。
 ソーサリエの学校の学長は、実に気ままで楽しいお仕事なのである。
 それでも、一応は仕事である。
 突然のノックにマダムは慌てて本を引き出しにしまい込み、格好の悪い眼鏡を外し、コホンとせきをして居住まいを正した。
「どうぞ」
 品のある声で返事をすると、もう立派な学長なのである。

 ファビアンは、まるで優等生の鏡のような格好と態度で、学長室に入ってきた。
 呼び出しをしない生徒がここに来るのは珍しい事で、よほどのお願いがある時だけだった。
「あらら? ファビアン・ブローニュ。いったい何事なのかしら?」
「読書の邪魔をして申し訳ありません」
 ファビアンは礼儀正しかったが、相手を立てることはしない。
 マダム・フルールは、コホンとせきをした。誰もが知っていることであっても、あからさまに口にするのは御法度である。
「私に会いにきたのかしら? それとも、何か欲しいものがあったのかしら?」
 マダムはにっこりと微笑んだ。
 優等生であっても、学長が一本取られていてはしめしがつかない。
 ファビアンがアガサの資料を盗もうとした事は、未遂で終わっているのであるが彼の汚点でもある。
「欲しいものがあったので、お願いに伺いました」
 ファビアンは言った。
 意外にあっさり。
 マダム・フルールは、目をぱちぱちさせながら。
「私……。もうおばあさんなので、恋人にはなれません」
 その一言に、マダムの精霊たちとレインは、床にばたばた……と落ちて倒れた。
 だが、ファビアンは平然としていた。
「僕が欲しいのは……アガサ……」
「キャーーーーー!」
 今度は突然、マダムが悲鳴を上げた。
 よろよろと立ち上がり、飛び上がろうとしていた精霊たちは、再び床に伏してしまった。
「んまあ! ファビアン・デ・ブローニュ! この学校内では、不純異性交際は許されませんことよ!」
 さすがにファビアンの顔が歪んだ。
「マダム。読んでいた本は、ミステリーではなく恋愛ものですか?」
「ハードボイルド系ミステリーですわ」
 素直に白状するところが、初老マダムの乙女チック単純思考のところである。
「僕が欲しいのは、アガサではなく、アガサの精霊のフレイです」

 ――水のソーサリエが火の精霊をほしがる。
 これは、火の精霊を持つ恋人を持つよりも当然危険なことである。

 当然ながら、マダム・フルールは目を白黒させた。
「ファビアン。あなた、勉強しすぎて頭がおかしくなったのですか?」
「ええ、かなり勉強しましたよ」
 この部屋に入ってきてから、初めて彼は微笑んだ。
 美少年の微笑みは、何か企んでいることがあったとしても、女心を揺さぶるものである。
 だが、ファビアンの言葉はマダム・フルールを少しだけ不機嫌にさせた。
「僕は、無のソーサリエになって確かな力を手に入れたい。あなたのように。だから、あなたがなぜ、無のソーサリエになりえたのか、調べたのです」
 マダム・フルールは立ち上がった。
 そのとたん、部屋のカーテンというカーテンが締まり、ドアには鍵がかかり、学長室の回り十メートル範囲に魔法結界が張られた。つまり、小人さんが出てきて、やれはーほれはーと踊り始めたのである。
 丸く結い上げられていたマダムの白髪は爆発した。目が血走って火を噴きそうである。
 しかも、部屋中にどどど……と暗雲が立ち込めて、ピカッと稲光が走った。
「なんという子なんでしょう! 女性の過去を暴くなんて、最低ですわ!」
 これが……。
 本気で怒ったときのマダム・フルールだった。