(4)
イミコはベッドにぐったり寝込んでいた。
彼女は、人を半分に切ったら血が出る、肉が出る、死ぬ……という常識からはなれられない。
精霊が人間でないと知っていてもダメなのだ。切っても再生するとか、くっつくとか、そんな説明では頭の深層が理解できていない。
必死にナメクジやらアメーバーやらプラナリアやらを思い出した。精霊は、人間ではなく単細胞動物なのだ、と言い聞かせた。
理科の時間にプチプチ切って、ほら大丈夫、切った分だけ頭が再生……という説明を思い出したりもした。
だが、努力のかいもなく、想像の中でフレイの頭が五個できたとたん、気を失ってしまったのだ。
カエンが顔の近くで飛び回って風を送ってくれている。
気持ちがいい……といいたいのだが、具合が悪いイミコにとっては羽音がうるさすぎる。顔をしかめながら、起き上がるしかなかった。
「みなさんは行ってしまいましたよ。我々は、つまり、役立たずってことです」
カエンがつらっとしている。イミコは当然がっかりした。
「わ、私……。アガタの役に立てないの?」
「そうです」
カエンは容赦なく言った。
イミコはどっと泣き出した。
「ひ、ひどいわ! わ、私って役立たずなの?」
「役立たずではなく、お邪魔虫です」
ますますイミコの泣き声が大きくなるが……これは、いつものことである。
「てめーら! 何茶番してるんだよ! つまんねーぞ!」
この横ちゃちゃもいつものことである。が、今回は姿が見えない。
イミコとカエンは、回りをきょろきょろ見渡した。
が、いつもの部屋と変わらないし、アガサもフレイもいない。
「そら耳だったのかも?」
「そのようですね」
いつものワンパターンを続けていたら、つい条件反射的にフレイの声が聞こえたとしてもおかしくないだろう。二人は納得した。
ところが……。
ガタガタガタ……。
ガタガタガタ……。
まるで幽霊が出てくる前のラップ音。
突然、何かが揺れる音がした。
「ね、ねえ……。カエン。今、何か音がしたけれど……ここって、私とあなただけよね?」
「あと、いる可能性があるとしたら、幽霊です」
「きゃーーーー!」
叫び声とともに、イミコは再びベッドに中に飛び込んだ。
どんなに臆病者でも、恐いもの見たさというものはある。しばらく毛布を被っていたイミコだったが、こそっと部屋の中を毛布の中から観察した。
すると突然ニョキ!
「きゃーーーー!」
「そんなに声をあげたら隠れていても無駄だと思います」
顔を出したのはカエンだった。
「だだだだだ……っだって!」
「だいたいまだ朝なんですけれど。幽霊には早すぎますよ」
「カエンは冷静過ぎよ!」
と言いつつ、イミコは起き上がった。
確かに日が昇ったばかり。幽霊を怖がる時間ではない。
しかし、音はまだ続く。
コト。コトコトコト。
イミコは思いきって音のほうへと歩き出した。
「トントントン……。何の音? 風の音。ああよかった……」
「やめてよ、カエン!」
人間、恐怖に駆られると意外と火事場の馬鹿力である。
耳元で邪魔するカエンをひっぱたいてたたき落とし、イミコは抜き足差し足で歩いた。
居間のほうを覗いても何も異常がない。いつものように……いや、今日はいい天気で、太陽がさんさんと差し込んでいる。
これじゃあたとえ幽霊だとしても、日光浴で死んでしまいそうだ。命があれば。
それでもイミコは歯をガチガチさせながら、ゆっくり部屋の中を歩き回った。
ガタガタ揺れているのは戸棚だった。
「ああ、そういえばそこにファビアンが何か入れていたけれど……」
床に落ちたまま、カエンが言った。
ファビアンという一言で、イミコはほっとした。
彼が入れたもののせいで音を立てているとしたら安全だ。と、思ってしまった。
ここが、自分以外の人がやる事なら完璧……と、思い込んでしまうイミコの欠点である。
彼女は戸棚に近づくと、そっと引き出しを開けてみた。
すると……。
透明な容器があり、中でフレイが暴れている。
「ああ驚いた。フレイが騒いでいただけなのね」
イミコはほっとして胸をなで下ろした。
フレイは必死に何か叫んでいるようだけれど、聞こえない。
カエンがひらひら飛んできて、容器越しにノックした。フレイはますます暴れている。
「この容器は密封されているから、開けないと音が漏れないんですよ」
楽しそうにカエンが言った。
逆にフレイは悔しそうである。
「カエン、そんなことしたら、フレイがかわいそうじゃない!」
安心したせいか、イミコが今度はカエンに説教した。
「でも、出してやるのはどうかと思います」
カエンが胸を張って言った。
イミコは意地悪な精霊に辟易して、言葉を無視して蓋を回した。
そのとたん!
目の前が真っ白。
気がつくと、イミコはしりもちを付いていた。
床には粉々になった容器が散らばっている。
「……フレイは、ファビアンが封印して行ったのですから」
「……遅かった……みたい」
フレイの姿は、当然ながらどこにもない。当然ながら、とてもまずいことになったのかも知れない。
だが、イミコにはまだその実感がなかった。なので、窓から飛び降りる事態にもならなかった。
とりあえず、自分がやらかしたことを深く考える前にお茶を飲む事にした。
だが、カエンは事態を把握しているようである。
「さすが、お邪魔虫です」
と、一言。にやりと笑った。
さて。
こちらはハグレ地のアガサたちである。
みんなが固唾をのんで見守っている中。
「火よ! つけ!」
短いアガサの命令に透明フレイは見事に答えた。
池に浮かんだコップの中のロウソクが見事に灯った。
「やった! アガタ。成功だよ!」
真っ先に声をあげたのは、ジャン‐ルイだった。彼はアガサに駆け寄ると、まだ信じられないという顔のアガサをぎゅっと抱きしめてしまった。
その横でイシャムは小躍りしているし、ファビアンも腕を組んで満足そうに微笑んでいた。
だが……。
どっかああああああああーーーーん!
時間差を置いて、いきなり雷が落ちてきたような光と音。
「危ない!」
アガサはジャン‐ルイに抱きつかれたまま、押し倒されていた。
ジャン‐ルイ越しに、空に火の玉が浮かんでいるのが見えた。それが、どんどん膨張して落ちてきそうだ。
イシャムが絨毯の上で、何度も拝礼している姿が見えた。が、火はますます大きくなる。
「イシャム! 無理だ! 飛び込め!」
ジャン‐ルイは叫ぶと、アガサを抱いたまま、池に飛び込んだ。同時に起きた水音から、イシャムも飛び込んだらしい。
水の中で、アガサは3人の姿を確認した。だが……。
(ファビアン! ファビアンがいない!)
ブクブクしながら、アガサは焦った。
慌てて水の上に顔を出そうとしたが、再び誰かに引きずりこまれ、水を飲みかけた。
(ぎゃーーー! お、溺れるじゃない! バカ!)
アガサは気を失った。