ソーサリエ〜アガサとアガタと火の精霊

第3章
 夢の超特訓


(3)


「じゃあさっそく指をつめますか?」
 氷の微笑みを持ってファビアンが言った。
 倒れてしまって一抜けしたイミコ以外、みんなが大きくうなずいた。が……フレイはうなずいたというよりも、がっくり肩を落としたというほうが正しい。
「おいら、やっぱ、指ちょんぱ? それって、嫌だなー」
「いいえ、まるでジャパニーズやくざのようで、かっこいいではないですか?」
 間違いなく本心とは思えない顔で、カエンが微笑んだ。騙されるもんか! とばかりにフレイがふくれた。
「カエン! テメーは主が寝てるんだから、いっしょに寝ていろ!」
「私も半分に切られてお供してもいいですよ」
「いらーーーーん!」
 こんなヤツに分身の術をつかわれたら、面倒が倍になるだけである。
 フレイは大量のカエンに囲まれている想像をして、大きく首を振った。
 そんな精霊のやり取りの横で、ジャン‐ルイだけが考え込んでいた。
「でも……切ったところで呼び合ってしまう習性については、何の解決策もない」
 今の実験でも、あっという間にフレイはくっついてしまった。離れていたとしても、5秒から10秒というところだろう。
 しかし、ファビアンのほうはジャン‐ルイの心配をよそに、ゆっくりと緑茶を飲み干した。
「けっこうなお味で……」
 この態度は明らかにジャン‐ルイを苛つかせた。
「けっこうでも何でも、この問題が解決しない事には何もならない」
「問題はないよ。これがあるから……」
 ファビアンが取り出したのは、中央医療センターにあるエア・シューターの容器である。
「これに入れておいたら、精霊の力は99%発動しない。つまり、フレイはすぐに元には戻れないってわけだ」
 うわー、さすがだぁーと唖然としながらファビアンを見つめているアガサの横で、ジャン‐ルイは苦笑いしていた。
「ファビ、何で君がそれを持っているわけ?」
「この間、失敬してきたのさ」
 つらっとウインク。
「さすが、学校始まって以来の『優等生』だね」
 やれやれ……と天を仰いだジャン‐ルイの横で、イシャムが満足そうにヒゲを撫でた。
「ってことはよ、アリの野郎の入院もアガタ姫の役にたった! ってことなんだなぁ?」
 イシャムの精霊・ジンが大げさな顔をしてイシャムの回りを飛び回っている。
「さっすがです。イシャム様。これでアリ様も満足なさる事でしょう」
 まるで、風が吹けば桶屋が儲かる方式の理論である。
 アガサは、ファビアンにぼーっとしていたり、切られるフレイに同情したり、倒れたイミコを心配したりで、何一つ言葉も出てこなかった。

 苦い思い出の透明容器。
 フレイは渋々その中に入った。
 ただし、指一本だけ容器の上から差し出して。
「この指とーまれ! じゃないんだよな」
 ブツブツ文句を言いながら、目をつぶっている。
「あのー。もしかして、やっぱり、痛い……とか、ある?」
 アガサは、フレイの深刻そうな顔を見て、何だか不安になってきた。
 ハサミを握ってにやりと微笑むファビアンの顔も、心無しか恐そうな微笑みに見える。
 顔にかかったプラチナの髪をすっと耳に掛けながら、ファビアンは唇をなめた。
 ちょいと悪魔ッ子っぽい。
「精霊には痛感はないはずだから」
「そ、そう?」
 と言いつつ、アガサには疑問だった。

 ――だって。
 フレイって、いつも「イテエ! 何するんだ!」とか、怒鳴っていない?
 本当は、けっこう我慢していたりしない?

「いい? パチンと切った瞬間に、容器の蓋を閉めるんだよ。少しでもタイミングが遅れたら、やり直しになってしまうからね」
 ファビアンの言葉を聞いて、アガサは我に返った。
 指を切り落とした瞬間に蓋をして本体と指を隔離しないと、フレイは再び合体してしまうのだ。
「は! はい!」
 アガサは大きな返事をして、思いっきり蓋を閉めた。
 とたん。

「ぎゃあああああ!」

 容器の中からフレイの悲鳴が響いた。
 やはり指を切り落とすというのは、かなり痛かったのだ。
 ……と思ったら。
「まだ、切っていないんだけれど」
 ファビアンの声。
 よく見ると、アガサが押さえつけている蓋の間に、フレイの指が挟まっていた。
「あ、ごめん!」
「ごめんじゃねー! ねーさん、早く蓋を開けてくれ!」
 かわいそうなフレイは真っ赤な顔をして、口から火を吐いている。
 やはり、かなり痛そうだ。
 慌てて蓋を緩めようとして、逆に回してしまったらしい。蓋はピタッと密封されてしまった。
 中で、フレイが激しく踊り回っているが、もう悲鳴は聞こえない。
 ねじ切れた指を、ファビアンが拾った。
「ハサミはいらなかったね」
 その間に指のほうがみるみるうちに変形して、フレイの形になった。
 精霊の形になるやいなや、フレイはファビアンの手の中から飛び出し、アガサの鼻先にやってきて、きーきー怒鳴った。
「ねーさん、ヒデーじゃないか! 何でおいらの指を挟むんだよ! なんて事すんだよー!」
「ご、ごめん」
「ごめんですむなら、この世は天国。おいらは地獄。ぎゃーぎゃーぎゃー!」
 唾を飛ばしながらフレイは怒鳴っている。
 しかし、アガサはその言葉を真面目に聞いていなかった。
 もっと不思議なことに気がついたのだ。
「あの、フレイ? あの……」
「何だよー! 土下座でもおいら、許せねーからな!」
「それよりも、あなた……透けている」

 さすが、指一本分のフレイ。
 引き延ばされた身体の向こうがよく見える。
 アガサは、まるで幽霊のように透けている精霊に目を丸くしていた。

「イミコが眠っていてよかったですね」
 カエンが楽しそうに笑った。
 ジンやレインもフレイの回りを飛び回り、フレイ越しに手を振って遊んでいる。
「こらーっつ! てめーら、おいらで遊ぶな!」
 スプラッターな指切りから、今度は幽霊・オカルトもの。
 誰もフレイの言葉を聞いていない。
 あのジャン‐ルイさえも。
「興味深いなぁ。容器の中のフレイも同じ顔して怒鳴っている」
 などと、観察している有様である。
 ジャン‐ルイの横にファビアンが並んで、容器の中を覗き込んだ。
「本当だ……。面白いね」
 アガサの前で怒鳴っていたフレイが、透けた顔をギッと二人に向ける。
「面白がるんじゃねー!」
 その瞬間、容器の中のフレイも同時に振り返った。


 急にすくっとファビアンが立ち上がった。
「さて、のんびりはしていられないよ」
「なんだ、テメー! 散々おいらを見せ物にしておいて、のんびりとは、ぎゃーぎゃーぎゃー!」
 耳元で飛び回り、怒鳴りまくるフレイを無視して、ファビアンは続けた。
「指一本は、かすかな力しかない。途中で火が消えるように果ててしまうかも知れない。早く練習して元に戻さないと、フレイの力を一部を還元してしまうことになる」
「つまり、フレイの指一本は死んでしまうってこと?」
 アガサの質問に、ファビアンはうなずいた。
「焚き火から燃えさしをひとつ取り出したようなものだよ。もっと大きく切れれば、ふたつとも燃え盛るだろうけれどね」

 大変である。
 透き通っている! などと言って、遊んでいる場合ではないのである。

「すぐに出かけたほうがいいな」
 ジャン‐ルイも立ち上がった。
「我が輩の絨毯もパワーアップしましたぞよ」
 イシャムが誇らしげにヒゲを撫でた。
「私とイミコは居残り組です」
 カエンがつつしまやかに頭を下げた。
 そのイミコは、気絶したままベッドの中である。
「我が主は、少し鍛える必要があります。今後しばらくは、スプラッターとオカルトとホラーな映画を見せて、免疫をつけさせましょう」
 思わずアガサは苦笑した。
 カエンの微笑みに、とてもサディステックな色を見たからだ。
 イミコは、たとえ恐い映画を百本見たとしても、やはりスプラッターには弱いに違いない。
「行きましょう! 準備は万端よ!」
 アガサは胸を張った。
「その前に、これをどこかにしまいたい」
 ファビアンは、フレイの入った容器を取り上げると、軽く振ってみせた。
「ぎゃー! 振るなよ、この冷酷人間!」
 怒鳴ったのは、透明フレイである。
 その声も全く無視をして、ファビアンは戸棚の中に容器をしまい込んだ。
「万が一、アガサが呪文を唱えた時に呼び合ってしまう可能性もあるから、できるだけ離していたほうがいい」
 そう言って、ファビアンは戸棚に鍵を掛けた。

 こうして完全に準備は整った。
 アガサ、ファビアン、ジャン‐ルイ、イシャムとそれぞれの精霊は、ハグレ地まで飛び立ったのである。
 はたして……。
 これでアガサは火をつけられるのか?
 落とし穴はないのか?
「ないよ」
 絨毯の上でブロンドをなびかせながら、ファビアンが自信たっぷりに言った。