ソーサリエ〜アガサとアガタと火の精霊

第3章
 夢の超特訓


(1)


 フレイの名誉のため、明らかにしておかねければならないことがある。
 アガサをいたずらに驚かせるために、彼は一時的な別れに神妙だったわけではない。
 ただ、行くのが嫌だったからだ。
 フレイの持つ壮大な記憶が、預かり所という場所に【ユウウツ】という名前をつけてしまうのだ。だから、死んだような気分にもなる。

 精霊預かり所は、あまり居心地のいい場所ではない。
 なんせ、硝子容器という身動きの取れない場所に入れられて、能力のすべてが封じられている。
 これは、人間で言うと、棺桶に入れられているような気分だ。
 目が回るような管の中をしゅるるーんと移動してきて、地下にある保管所にすぽんと落ちる。
 それを、保管所担当の用務のおじいさんが、きれいに選り分けてくれるのだが。
「おい! おいら、火の精霊! 土じゃない、火!」
 ちょっと力が弱っていて赤黒いフレイは、ややもうろく気味のおじいさんに勘違いされ、土の精霊の中に入れられてしまった。
 容器に入っている限り、声が届かない。まぁ、力も届かないから、あまり問題もないのだけれど……。
「あーあ、気分が落ち着かねーな。早くアガタが呼び出してくれねーかな?」
 フレイはため息をついた。

 預かり所は薄暗い。
 飛び回っている精霊は、この用務員のおじいさんの精霊一匹で、風の精霊だ。エア・シューターの管理もしている。
 仕事のために飛び回っている姿は、緑がかった炎にも見える。並んだ容器を墓石に例えると、まるで人魂のようである。
 ふと見ると、なんと向かいにレインがいる。
「ちぇ! じーさん、もーろくし過ぎだぜ。火の精霊の近くに水の精霊を置くなんて、最悪だぜ!」
 しかも、フレイはなぜかレインが嫌いだった。
 レインだけじゃない。その主のファビアンも嫌いだった。
「何で嫌いかと言われても……説明つかないんだけどな、でも、嫌いは嫌いなんだよな……」
 容器の中で、フレイはゴロゴロしながら考えていた。

 ――どこかで出会っていて……すんげー嫌なことされたような気がする。

 だが、それは生まれ変わる前のことかも知れない。
 なんせ、精霊はソーサリエが死ぬと、一度それぞれの属性に分解してしまうのだが、新しい相棒の誕生とともに再生する。
 物忘れとかはするけれど、記憶力は人間よりもずっと確かだから、ものすごい記憶量なのだ。
 どこかでトラウマになるほど嫌な事をされていたとしても、記憶を引き出すのは難しい。
 しかも、レインはフレイに嫌われていることを知っているのか、うっふんとばかり、細い体で悩殺ポーズを取って挑発してみせる。
「ホント、やーなやつ!」
 フレイがぷいと横を向くと……。
 今度は、隣の容器に入っていた土の精霊と目が合った。なぜか、悲しげな顔をしている。
 その原因はすぐにわかった。
 土の精霊は、フレイの目の前で崩れ落ち、土に還ってしまったのだ。
「う、ううう……」
 ここは、救急医療センターの精霊預かり所である。
 ソーサリエだって命がある。
 先生、生徒、用務員たち。みんな若者とは限らない。運ばれてきても間に合わず、ぽっくり死ぬヤツだって、たまにいる。
 そうなると、預けられた精霊だって、ソーサリエの命とともに消えてなくなるのだ。
「ちくしょー! 目の前で死ぬなよなーっつ! アガター! 早くしてくれよーーー!」
 ……こんな日もある。


 火の寮に戻ってきた時、アガサは上機嫌だった。
 いや、すでに精霊預かり所にフレイを迎えに来た時から上機嫌で、まるで人が変わったかのようである。
 フレイを頭に乗せたまま、その存在を忘れているかのように、時々むふふ……と笑う。
 手には、白い包帯を巻いたまま……。
 そのケガが自分のせいだと知って、フレイはしょげた。
 だが、アガサときたら、いいのいいの、笑うだけだった。
「ねーさん、ごめんよー。確かに勘違いさせたおいらが悪かった。でも、そのにへらーって顔、やめよーぜ!」
 と、話しかけても、目が向こうへ行ってしまっている。
 ソファーの上にごろんと横になり、クッションを抱きしめてニマニマしている。
「いったい、どーしちまったんだよ、ねーさん!」
 頭の上から転げ落ちそうになり、ふわふわ飛びながら、フレイは怒鳴った。
 イミコがお茶を入れながら言った。
「どうやら、次回の訓練から、ファビアン・ルイが加わるみたいなの」
 フレイはもう少しでお茶の中に落ちそうになった。
「げーーー! 真面目にか?」
 イミコがこくこくうなずいている。
「それだけではありません。ヴァンセンヌ殿の話によると、水曜日でなくても時間が許す限り、協力すると言ったそうです」
 カエンが付け足す。
 フレイの火の気は引いてしまい、一瞬髪の毛が青白くなってしまった。

「ところで、アガタさん。その手ですが」
 大真面目にカエンが話しかけてくる。
「エア・シューターに吸い込まれてはれ上がったのならば、包帯を巻くよりも冷やしたほうがいいと思われますが?」
「ああ、そうよ。アガタ。冷やしたほうがはれが引くわよ」
 珍しく、カエンとイミコの意見が一致した。
 だが、アガサは聞く耳を持たない。

 ――だって。
 この手よ。この手を、ファビアンが握ってくれていたのよ。
 絶対今日は洗えない!

 そう思って、再びにまにまするアガサであった。