ソーサリエ〜アガサとアガタと火の精霊

第3章
 アガサ強化プロジェクト


(2)

 いきなりすごい爆風。
 強烈な光と熱。

 イミコは何が何なのかわからないまま、ジャン‐ルイにしがみついていた。
 ジャン‐ルイもイミコを抱きとめたまま、目をつぶっていた。だが、精霊バーンに頬を叩かれて、目を開けた。
 あたりは修羅場だった。
 部屋がごうごうと燃えている。
 その中をバーンが飛んで行くのを見て、ジャン‐ルイは慌ててイミコを放し、バーンの後を追いつつ、呪文を唱えた。
「火は火で制す!」
 とたんにあたりは再び光りに包まれた。
 まだ、状況のわからないイミコは、思わず涙目になって顔を手で覆い隠した。
 そして、再び目を開けた時には……。

 何事もなかった。

「よくも私をたぶらかしてくれたわね!」
 その言葉をともに、アリの顔面にパンチを入れたアガサだった。
 だが、何とそのパンチは突然火を噴き、あっという間に大爆発となり、部屋中を燃やし尽くしたのだった。
 アガサとアリは、その事実を理解する間もなく焼け死んだはずだった。
 しかし、一瞬のうちに時間が逆流した。
 そして今、ジャン‐ルイとイミコの前に立っているアガサは、アリの顔面にパンチのまま、硬直していたのである。
 気の毒なアリは、アガサのパンチのわけもわからないまま、しかもパンチを受けたまま、やはり硬直していた。
 まるで、完全に二人の時間が止まったようである。
 ただ、形のいいアリの鼻から、つつつ……と、血がたれたことだけが、時間が動いている証拠であった。

「い、いったい何が起こったの?」
 おろおろとイミコがあたりを見渡した。
 火の海になったように見えた部屋は、普段と全く違わない。でも、何かが違う。
 ジャン‐ルイは、ほっとため息をつくと、アガサの足下で黒くなっているフレイを拾い上げた。
「フレイの力が一瞬にして解放されたんだよ」
 ジャン‐ルイの掌でぐったりしているフレイの元に、バーンがひらひらと舞い降りた。そして、必死に火をおこして温めている。
「どういうことなの?」
 イミコが恐る恐る聞くと、ジャン‐ルイは片手で額の汗を拭いながら言った。
「精霊は主であるソーサリエの命令には逆らえないんだ。アガサの何かがフレイに命令として働いて、大爆発を起こさせたんだよ」
 そのとたん、硬直していたアガサの体が崩れ落ちた。

「いいいい、今の悪夢は、私のせいなの?」

 あの瞬間、アガサはついに怒りを爆発させた。
 とたんに……火だるまになって……燃えて、熱くて……あの図書館のときと同じ。
 自分の拳骨に触れたアリの顔が、ブクブクと火ぶくれになっていく様子が目に焼きついて。
 はっと気がつくと、それはまるで夢のようだった。
 でも、夢じゃない。アガサには、はっきりその肌の感覚が残っていた。

「私! そんなつもりじゃないっ!」
「アガタ!」
 泣き崩れるアガサに手を差し出したのはイミコだった。
「アガタ、違うわ。今のはアガタのせいじゃ……」
「そんな嘘を言ってはいけません」
 必死に慰めるイミコの肩の上で、カエンがすぐに反論した。
「今のは、完全にアガタのせいなのです。アガタがフレイに『怒り爆発』の命令を出したのです」
 このような時に本当のことをいう精霊ほど嫌なヤツはいない。イミコはあわてて肩の上のカエンを払おうとしたが、一瞬遅かった。
 カエンはイミコの頭の上に移動し、さらに真実を告げた。
「アガタにはソーサリエたる素質がまったくありません。力を抑える能力がないのです。だから、下の世界よりもより強い力が働くこの学校では、とても危険な存在です」
「あ、あ、あ、アガタ、そ、そ、そんな事ないってば! 気にしないでね。カエンの言う事………痛!」
 カエンを叩こうとしたイミコの手は、見事に自分の頭を叩いて終わってしまった。
 しかも、今まで黙って考え込んでいたジャン‐ルイまでもが言い出した。
「確かに……今回は僕がいたから、すぐに魔法でカバーできたけれど。もしもいなかったら……。いや、それより僕がここまでの力を出せるとは……」
「まさに火事場の馬鹿力です。今回助かったのは、奇跡です。アガタは危険です」
 さらにカエンがうれしそうに言う。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 二人とも! ひどいわ! それじゃあまるで、アガタがものすごく悪いみたいじゃない? ただ、存在しているだけで諸悪の根源みたいじゃない? まるで調教していない猛獣みたいじゃない? ニトログリセリンか壊れかけた原子炉みたいじゃない? 原子爆弾を抱えたヒットラーみたいじゃない?」
 必死にアガサをかばうのはイミコだけだったが、正直いうとイミコの言葉が今のアガサには一番こたえた。
「どうせ私は世界で一番危険な女よ! 今までだって、学校の先生のヒゲは焼いちゃうし、家だって火事になっちゃったし!」
「家の火事は隣のばあさんの寝たばこだって……おいら、言っただろ?」
 ジャン‐ルイの手の中でぐったりしていたフレイが、ぼそりと呟いた。
「で、でも! どうしたらいいのよ? フレイに命令しないようにしないように、怒ったり泣いたりもいけないわけ? 猛獣を檻に閉じ込めるみたいに? ニトログリセリンを動かさないように? 原子炉をコンクリートで覆うように? ヒットラーを拘束するみたいに? 私に何も感じないようにしろとでもいうの?」
「少なくても……」
 涙と鼻水を流しているアガサの横で、鼻血を流しているアリがやっと口を開いた。
「私と私の王宮にとって、危険人物になるだろうことは、間違いないと思います。どうにかしないと、妻に迎えることはできない……」
 つい、もう一発殴ってやろうかと思ったが、アガサは口だけに留めた。
「何よ! 元を正せば、あなたが私を第四夫人にしようと企んだから悪いのよ!」
 アリの目が点になる。
「あの……それで怒ったのですか? では、順番を入れ替えて第一夫人にします」
「そういう問題じゃなく!」

「マカロン!」

 いきなりのジャン‐ルイの声に、みんなの注意が彼に向いた。
「今の騒動ですこしつぶれたけれど、アガタの処分終了お祝いに買ってきたんだ。なぁ、みんな。少し落ち着いて話さないか?」
 生徒総監らしい落ち着いた態度で、ジャン‐ルイは提案した。
「あ、あたし……。スコーンがあるから。ヨーグルトとジャムも。トーストもできるし。それで、朝食にする? よ、用意するね」
 イミコがいそいそと立ち上がった。そして、そそくさと台所に消えた。
 アガサはすっかり意気消沈して座り込んだままだった。
 ジャン‐ルイは、フレイの介抱をバーンに任せると、くるりとアリの方に向き直った。
「さて。アリ。君はどうしてここにいる? 僕が知っている限り、こんな朝早くに別の寮から火のソーサリエを訪ねてくる者はいなかった」
 アリはハンカチで鼻を押えながら、似合わない鼻つまみ声で答えた。
「あぐぅわたひめがしんぷぁいどぅわったからです」
「はぁ?」
 ジャン‐ルイがうまく聞き取れなかったらしいと知って、フーリがふわふわ飛んできた。そして、アリの言葉をひそひそとジャン‐ルイに告げた。
 少しだけジャン‐ルイの顔が歪んだ。
「そうじゃなくて、どういう方法で来たかってことです」
 鼻が折れていなくて幸いだったが、アリの鼻血は中々止まらない。 
「クァゼのまほうのそらとふちゅーたんをつくぅわってですにょ」
 その言葉を聞いて、ジャン‐ルイはうーんとうなり、腕を組んで考えこんだ。そして、いきなりにやっと笑いアリに握手を求めた。
「鼻血にはつっぺが一番だよ。仲良くしよう、アリ」

 昨日まで自分をはさんでぎこちない空気が蔓延していた二人――特にジャン‐ルイがニコニコしながらアリと握手している姿は、アガサをますます呆然とさせた。
 アガサの精霊・フレイは机の上でバーンに介抱されて仲良くやっているし、イミコはカエンと食事の支度をしている。
 何だか自分だけ一人ぽっちで、しかも何かをやらかすとみんなを危険にさらすかも知れない凶暴な女だと思うと、さすがのアガサも落ち込んでしまう。
 学校なんか退学になったほうが良かったのかも知れない。フレイだって、こんな女の振り回されるくらいなら、一度火に戻って千年後にやり直した方が、ずっと楽かも知れない。

 そんな気分になっている時に、ジャン‐ルイがポンとアガサの肩を叩いた。
「アリのこと、許してやってくれないかな? それに、君だってまだ結婚を決めていたわけじゃないんだよね?」
 そうなのだ。でも、やはり女の子としては許せない。
「爆発するくらい怒るつもりはなかったんだけど、あまりにも馬鹿にした態度が許せなかったのよ」
「ば、馬鹿になど、していな……!」
 慌てるアリを手で制して、ジャン‐ルイは言葉を続けた。
「確かに僕たちの感覚ではね。でも、わかってあげてほしい。バルバルって国は歴史は古いけれど、独立国家となったのは、そう昔ではない。王の元に権力を集中させるのには、大変な苦労があったんだ」
「それと、三人も奥さんをもつ事と、どういう意味があるのよ?」
「つまり……政策結婚」
「はぁ?」
 アガサは目をまんまるにして、アリの顔を見た。
 アリは照れくさそうに、鼻を押えた。見つめられて舞い上がり、一度は止まりかけた鼻血が再び吹き出したのだ。
「バルバルの有力者と婚姻し、国内をまとめる……だろ?」
 アリが恥ずかしそうに小声で言った。
「実は……いまだに妻の顔と名前が一致しなくて」

 アガサは開いた口が塞がらなかった。
 その結婚に納得できたわけではない。だが、アリには同情さえ感じる。
 それに、プレイ・ボーイというのも、大いなる誤解らしい。
 事情もよく聞かないうちに、アガサは短気すぎたようだ。
「ご、ごめんね。痛かった?」
「大丈夫です」
 無理して笑うアリに、本当に申し訳ないと思う。
 と同時に……こんなことでいちいち爆発している自分って……と、ますます落ち込むアガサであった。
「朝食にしましょう」
 イミコの声。
 今日はきっと、イミコのほうがよっぽど明るい女の子だろう。