ソーサリエ〜アガサとアガタと火の精霊

第3章
 アガサ強化プロジェクト


(1)

 イミコ・タイフーンに翻弄された一日が終わり、アガサの自室謹慎も本日でおしまいである。台風一過のごとく、晴天の朝である。
 アガサは、大きく伸びをして、窓辺に向かい、カーテンを開けた。
 が。
「うわーっつ! な、な、な、何!」
 慌てて再びカーテンをした。
 アガサの頭の上であくびしていたフレイが、思わずしりもちをつきながら言った。
「どうしたんだよ、ねーさん」
「で、で、でたのよ!」
「でたって、幽霊? このすがすがしい朝に?」
「違う! あのとんでもないプレイボーイよ!」
 アガサは後ろ手にカーテンを握りしめ、真っ赤な顔をしていた。照れではなく、怒りで顔が沸騰していたのだ。
 逆立ちそうなアガサの髪の間から、フレイが立ち上がってカーテンの向こうを見る。
 青空にふわふわと青い色の絨毯がはためいていた。
「あれ? ねーさんの婚約者じゃないか」
「ち、違うわよ! あれはストーカーよ!」
 心の奥底で、つい二股を掛けてしまったアガサであるが、自分のことを棚に上げて男の子には厳しいのであった。
 フレイは、複雑な女心にふっと鼻からため息を漏らした。アリに同情したせいか、息は炎になってぼわっと広がり、アガサの髪を少しだけ焦がした。
「おいら、アガタには怒る権利ないと思うなー」

 さて、アガサがカンカンに怒っていると知らないアリは、寝ても覚めてもアガサの事ばかり思ってしまい、我慢がならなくなっていた。
 そこで、朝一番で様子を見に来たのである。
 当然といえば当然なのだが、彼はアガサが怒っているなんて、つゆとも鼻水とも思っていない。
「アガタ姫は、ずいぶんとお寝坊みたいですね。まだ、カーテンが開かないとは。とはいえ、バルバルの王たる者、覗き見なんてできません。はて、どうしましょう?」
「………」
 ひそひそひそ……と、フーリが耳元で囁く。
「窓を叩く? それは、少しスプラッターな想像をされそうではありませんか?」
「では、ロミオとジュリエットにしますか? 賭けてもいいですけれど、アガタにシェークスピアは理解できないかと思います」
 アリの脳裏に、一瞬「ああ、アリ様。あなたはなぜアリ様なの?」と嘆くアガサの姿が浮かんでは消えた。
「でも、アガタ姫はイギリス人ですよ?」
「せいぜいわかって、マック・シェークです」
 どこがどう変換されて、シェークスピアがマック・シェークになるのか、フーリのセンスはわからない。が、センスに乏しいアリは、それを不思議とも思わない。
 最近、バルバルの王宮の前にもMの看板が登場している。そのうち、このソーサリエの学校にも出店してくるかも知れない。
 アリは、フーリの提案に難色を示した。だが、内気なくせに影では大胆な精霊フーリは、ふわふわと窓辺に飛んで行った。
 と思うと、直ちに計画を実行したのだった。

 ――ガタタタタタ、ボワワワワア、ガタガタガタ……。

 ベッドの中でぼんやりしていたイミコが飛び起きた。
「きゃー、何? 嵐なの? すごい風の音!」
 それは、昨日のあなただよ……と言いたかったアガサだが、思い出されては困るのでやめた。
「とても晴天、晴れ晴れなのだけど、悪い風が吹いていて」
「晴天? そんなはずは……」
 アガサが止める間もなく、イミコはカーテンを開けてしまった。
 とたん。
 ばーんと音を立てて窓が開き、カーテンが天井に届くほど舞い上がった。
 先ほどまで、怒りで逆立っていたアガサの髪は、風で渦を巻いてしまった。

 青い空。白い雲。
 そして窓辺には美形の異国の王様……。
 この素晴しいシチュエーションに憧れない少女はいないだろう。
 だが、今のアガサがその最たる例外であることは、火を見るよりもあきらかだった。
 とっても親切なアガサの精霊・フレイがふぃらふぃら飛んで行って、アリに忠告した。
「今のねーさん、爆発寸前」
 しかし、残念な事に火を見ても状況を読めないヤツというのは、この世にけっこういるのである。そして、アリは間違いなくその一人である。
 渦巻いた髪の毛を逆立て、わなわなメラメラしているアガサに満面の微笑みを浮かべたのだ。
「私もあなたに会えて、心臓が爆発寸前です」

 アガサ爆発まで、あと二十秒。
 はらはらしているイミコの耳に、メラメラとは別の音が響いた。
 部屋をノックする音である。
「あ、誰かお客様だわ! 出なくっちゃ!」
 爆風を避けるいいチャンスとばかり、イミコは大きな声を上げて、その場を去った。
「アガタ姫。恥ずかしいのはわかりますが、何もそんなに赤くならなくても……」
 アリの声を遠くに聞きながら、イミコはドアを開けた。
「やあ、おはよう。アガタ、いるかな?」
 何と、お客はジャン‐ルイだった。
 きっと、彼もアガサを心配して、朝一番で様子を見に来たのだろう。
 アガサ爆発まで、あと十秒。
「恋敵とはち合わせとは……これは困った事になりましたね」
 硬直したイミコの耳元で囁くカエンの声は、困ったどころか楽しくて仕方がないような響きである。
「あ、あ、あ、あの……今は取り込み中で、あのあのあの……」
「着替え? シャワー? 待たせてもらうけれど、お茶くらい入れてもらってもいいかい?」
「いえいえいえいえい、あの」
 イミコが必死に押しとどめている横で、カエンが微笑む。
「いえーい!は、イエス」
 そのときだった。

「よくも私をたぶらかしてくれたわね!」

 どっかああああああああああんっつ!