ソーサリエ〜アガサとアガタと火の精霊

第3章
 イミコ・タイフーン


(1)

 イミコは必死にジャン‐ルイの後を追いかけた。
 しかし、螺旋階段にたどりついた頃には、もう姿が見えなくなっていた。
 ジャン‐ルイは、相当腹を立てて駆け上っていったに違いない。どうにか追いつきたいイミコであるが、気力はあっても体力がない。
 階段の石壁にへばりついて、ふうふう息をする有様だった。
「イミコは体力がなさ過ぎるのですよ。いっそのこと、魔法で一気に上がりますか?」
 カエンの言葉に、イミコはぎくりとした。
 これは、先ほどの二の舞である。言葉を間違わず、はっきりと断らなければ。
「いいえ! いいです!」
 はっきり言ったつもりなのだが、とたんにカエンがにやりと笑った。
「イィエーィ! グーッドです!」
 純和風精霊のカエンが、何で急に英語になるの! と腹を立ててももう遅い。
 カエンはいきなり火の玉となって、再びイミコを包み込んだ。

「きゃーーーーーーー!」
 というけたたましい超音波の悲鳴。
 先ほどと同じ事態に陥ったのである。
 階段の中腹で一息ついていたジャン‐ルイは、結局同じように巻き込まれて階段を打ち上げ花火のような勢いで登る事となった。

 先ほどと違ったのは、階段の終わりに床に叩き付けられるのではなく、実際に花火のように打ち上げられてしまったことである。
 イミコの超音波のために、精霊たちは気を失っている。
 天井に届くほどには至らなかったので、ジャン‐ルイは上手く着地に成功した。だが、イミコのほうは、見事におしりから落ちた。
「あいたたたた……」
 イミコはすっかり涙目になっていた。
 普通ならば、死なないまでも尾てい骨くらい折れそうな勢いだった。しかし、イミコは運がよかった。
 ジャン‐ルイに助け起こされて気がつくと、イミコのおしりの下で、カエンとバーンがぺったんこになっていた。
 精霊たちには災難だった。ちょうどいいクッションになってしまったのだ。
「きゃーーー! ちょっと、大丈夫?」
 イミコはあわてて精霊を拾い上げると、まるで洗濯物を干す前のように、ハタハタと振ってみた。
 パンパン! と、切れのいい音を立てて、精霊たちはきれいに膨らんだ。
 イミコがほっとしたのもつかの間、背後からジャン‐ルイの堪えきれないらしい笑い声が聞こえて、顔から火が出そうになった。

 ――もう! どうしてこんな恥ずかしいことになってしまうの?

 おしりで精霊を押しつぶしてしまったところを、好きな人に笑われるなんて、もう死んでしまいたいくらいである。
 しかし、ジャン‐ルイのほうは、涙を流しそうな勢いで笑い続け、やがて落ち着いのか、一言。
「おかげで気がまぎれたよ」
 ぐったりしたままの精霊を両手で掴んだまま、イミコはジャン‐ルイの顔を見た。
 どこか寂しげに見えるのは、気のせいだろうか?
「あ、あの……」
 イミコは、聞きたいことを聞こうとして、ややうつむいた。

 アガタが無事だったのになぜ、先ほどはあんなに不機嫌になったの?
 それって、アガタがプロポーズされたから? 
 それって、もしかしてアガタのことが……。

 いや、とても怖くて聞けない。
 と、イミコが思っていたにも関わらず。
「ジャン‐ルイ・ド・ヴァンセンヌどのは、もしかしてアガタの事を好きなのではないでしょうか?」
 イミコの右手の中にいたカエンが、はっきりと質問した。
 イミコは思わず床にカエンを投げつけてしまい、自分のあまりの過激さに再び驚いてしまった。
「僕が? アガタのことを?」
 ジャン‐ルイは、びっくりして目を丸くした。
「あ、あ、あ、あの……。カエンの質問はちょっと失礼よね? そ、それは、もう、アガタは妹みたいな存在だから、あの、あの……」
 イミコは思わず両手を硬く握りしめ、話を変えようと必死になった。その手の間で、バーンがつぶれそうな状態になっていた。
「僕が……」
 まるで自分の気持ちを推し量るように、ジャン‐ルイは言葉を繰り返した。
 イミコはあわてて一歩踏み出した。そこで、床に落ちていたカエンを踏みつけたが気がつかなかった。
 カエンは自分で蒔いた種、バーンはいい迷惑である。

 ――僕はアガタが好きなんだ!
 なーーーーんて言われたら、私、死んじゃうかも?

 と、イミコは涙が出そうだった。
 が、ジャン‐ルイのほうは再びくすくすと笑い出した。
「……たしかに気になる子だけどね。たぶん、そんなのじゃないと思う」
 たぶん……が少し引っかかるが、イミコの手は緩められ、バーンがやっと握りこぶしから解放されて、ふらふらと飛び回った。
 ぐったりしたバーンは、ピンと立ったジャン‐ルイの短い赤毛のうえに座り込んだ。
それを一瞬上目で見上げて、ジャン‐ルイは続けた。
「僕はどうもおせっかいなたちなんだけれど、その分、自分が一番力になっていないと気がすまないところがある。それは、妹のアガタに対してもそうだから……」
「妹さん?」
 両手を胸の前で握ったまま、イミコは聞き返す。
 その時、イミコは両足揃えてカエンを踏んでいた。カエンの上にはイミコの全体重がかかった。
 イミコの名誉のために言っておくが、彼女はアガサほど体重があるわけでもなく、むしろやせっぽっちなのだ。
 だが、てのひら大の精霊にとってみれば、戦艦並みの重さに違いない。しかも、戦艦というものは海に浮かぶが、空中に浮かない。当然、宇宙も飛ばない。石製の床の上では、その重みは計り知れない。
 カエンがイミコの足下でブスブスくすぶったとしても、仕方がないことなのである。