ソーサリエ〜アガサとアガタと火の精霊

第2章 バルバルの人々


(2)

 重量オーバーのイシャムの絨毯からアリの絨毯に乗り移って、アガサは空の散歩を楽しんだ。
 どうも妙にアリに気に入られてしまったようで、仕事もそっちのけで飛び回ってくれる。その間、イシャムはまじめに働いていた。
 言葉使いから、イシャムのほうが先輩そうだし偉そうなのにいいのかな? と、アガサは不安になった。
「良いのですよ、イシャム様に任せておけば間違いありませんから」
 そう言って、アリはアガサの肩に手を置いた。なぜか、白檀のいい香りがした。

 学校に初めて来た日、アガサは人間大になっていたフレイに抱かれて、学校上空を飛び回った。その日から数日しかたっていないというのに、遥か昔のような気になってしまうから不思議だ。
 あの日と同様に、小山の上にはマダム・フルールの桃色の旗がはためいているし、中央の尖塔には羽を持つ精霊が白い旗を掲げていた。
 その美しい像を見ていると……ファビアンを思い出す。
 そのまま尖塔を巻くように絨毯は飛ぶ。そして、水のソーサリエたちの塔の方へと……あの日と同じ。
 だが、残念なことに、かつてファビアンを見た塔の窓辺に誰の姿も見ることができなかった。
 ああ……後ろ髪引かれる。
 と、思ったのは、フレイが絨毯の速度に付いてこられず、アガサの髪に捕まっていたからなのだが。
 絨毯は再び学校の中央の尖塔をくるりと巻くように飛んで、方向転換し、緑の旗が踊る風のソーサリエたちの塔の窓に飛び込んだ。
 一仕事終わったイシャムが、ふうふう言いながら後に続いた。

「うわあああ!」
 アガサの第一声である。
 火のソーサリエたちの寮も、アガサには充分の広さがある部屋だったが、アリの部屋はもっと広かった。
 ファビアンに会えなかった寂しさは、あっという間にアガサから消え去った。
 その単純明快な変化を読んで、フレイはアガサの頭の上で踊っていた。
「所詮、ねーさんはまだガキだしな。物欲、食欲のほうが、絶対最優先だよな」
 ファビアンをなぜか嫌うフレイの声はうれしそうだったが、アガサは全く聞いてもいなかった。
 部屋の豪華さ、不思議さに目も心も奪われていた。
 ソファーや椅子、机はなく、床には華やかな絨毯が敷き詰められ、その上には数えきれないほどのクッションがあった。
 そのどれもこれもが色とりどりで、美しい刺繍やビーズが縫い付けられていて、時に鳥、象、花などが描かれていたりもした。
 ああ、むずむず。クッション投げして遊びたい!
 しかし、アガサの希望は場違いだった。
「まぁ、お茶でも入れさせますから、お座りなさい」
 アリに進められて座ると、クッションはふわふわだった。
 壁にも布がゆったりと張られ、風にそよそよと揺らいでいる。どこもかしこも外から見た洋風な建物とは全く違う雰囲気である。
「まるでアラブかインドの王様の家みたい!」
 アガサの叫び声に、アリは微笑んだ。
「まさか。違います」
 と、アリ。
「そうそう、アリのヤツはなぁ、北アフリカの小国バルバルの国王なんですわ」
 そう言いながら、イシャムがお茶のセットを持って来た。
「え? ええええええーーーー! こ、こ、こけこっこぉ?」
 こけこっこではなく、国王と言ったつもりである。だが、動揺して口が回らなかったのだ。
 アガサが驚いても無理はない。しかも、驚きはそれだけではなかった。
「で、我が輩は、その奴隷なのよん」
 イシャムはあっけなく言った。
「へ?」
 アガサは、思わずクッションを引き裂きそうになった。

 どうやら……。
 大いなる相違があるようだ。
 言葉使いを考えれば、どう考えたってイシャムが王様で、アリは召使いというところ。

 バルバルでは主人がお茶をお客にふるまうらしく、アリは銀ポットにお茶の葉とミントの葉をたっぷりと入れた。激しく沸騰するお湯を入れた後、岩石のような大きな砂糖をこれでもか! と言うくらいに放り込む。
 甘党のアガサも、さすがに目が点になった。
「私たちの話し方と身分に違和感を持たれても仕方がありません」 
 アリは、再度お湯が沸くのを待ちながら言った。
 確かに、横にでんと控えているイシャムを見ると、アリは主人にお茶を入れる小姓のように見えてしまう。
「アリのヤツはよぉ、いいヤツでのう。学校では奴隷も国王もないって言いやがってよう、我が輩も良くしてやってるのさ」
 イシャムはあぐらをかきながらヒゲを引っ張った。どうやら、ヒゲを引っ張るのが彼の癖らしい。
 アリのほうは、長くてたっぷりの漆黒のまつげを伏せながら、手際よくお茶をグラスに注いでいる。
 黄緑の美しい液体が、高々と持ち上げられた銀ポットの口から糸のように流れ出て、ぴたっとグラスに収まる。見事なものである。
「マダム・フルールのいたずらですよ。我が国バルバルは、第二次世界大戦後、マダムの祖国フランスから独立しましたからね。今は、フランス語をやめてバルバル語を復活させたので、ちょっといじけて意地悪しているのですよ」
「マダム・フルールはのう、フランス語が一番と考えている人だからのう」
 つまり……。
 イシャムとアリは、ちゃんとした口の利き方をしているのだけど、マダム・フルールの翻訳がいい加減なのだ。
「そそそそ、そんなのでいいんですか!」
 アガサは驚いて叫んだ。
「いいのです。私もイシャム様も楽しんでおりますから」
 アリはにっこり微笑んで、ミント茶をグラスに注ぎ続けた。

 マダム・フルール、侮りがたし。
 自分の好き嫌いや、趣味、政治まで絡めて、学校のすべてを司る。

 本当にいいのかしら? と、アガサはお茶をすすった。
 硝子の器に湯気が立ち上り、アガサはほっとした。
 そのとたん、思った。
「うん、それでいいんですね」
 ソーサリエの学校は、それでいいのだ。
 赤毛のアガサも、いじめられっ子のイミコも、頼りがいあるジャンジャンも、国王のアリも、奴隷のイシャムも……。
 みんな、それなりに楽しそうだから。
 キリキリと生真面目そうなふりをして、自分の好き勝手にふるまうモエバーよりも、そのままのマダム・フルールのほうが、アガサは好きだと思った。
 それに、ファビアンのことも追求しなかったし……。
(私、この学校が好きだわ!)
 フレイもなぜかうんうんうなずいた。
「それがいい! アガタ。イミコのお茶にも砂糖を入れれば、飲み残して泣かれずにすむんだ!」
 アリの入れたミント茶は、甘くておいしかった。