(2)
イミコは緑茶を入れていた。ただし、ここはイミコとアガサの部屋ではない。ジャン‐ルイの部屋だった。
彼は、下手な嘘が禍して一日自室謹慎なのである。
「でも、おかげさまで助かったです……。あの、これ……」
お礼のカリントウと緑茶を出すイミコの周りで、カエンがくるくる回っていた。
ジャン‐ルイは少しうつむいたまま、イミコの進めるがまま、カリントウを受け取った。
「はぁ……。パスを失敬するほどの根性があるのならば、話をあわせてくれるほどの機転があればよかったのに……」
どうもこの最悪の事態を免れた結果に、ジャン‐ルイは不満のようである。短めでピンと立ち上がった前髪を、指ですき上げた。
悪だくみの恥ずかしさから、赤い顔のまま、イミコはアガサを弁護した。
「いえ、パスを盗んだのはアガサのアイデアじゃないですもの。私の精霊が……」
「いいえ、あのアイデアはフレイのものであり、私は協力しただけです」
カエンは相変わらず涼しい顔をしている。
その言葉に衝撃を受けて言葉を失ったとしても、助けてくれるアガサはいない。イミコはカエンを無視した。
「それに……そこまでかばってもらうなんて……。アガタは、これ以上迷惑をお掛けしたくなかったんだと……」
「迷惑なんてとんでもない!」
ジャン‐ルイは、ぶほっと緑茶を噴き出した。
言葉に驚いたのではなく、実は、初めて飲む緑茶がまずかったからである。
彼は、その失敗にかすかに頬を染め、椅子から立ち上がった。
その様子に、イミコのイジケ心は大いにうずく。
――あぁ、きっと。
ジャンジャンはやっぱりアガタのことを好きなんだ。
うるるる……。
そうよね。私って根が暗いし、日本人で鼻ペチャだし、アガタに比べて成長不足だし、全然いいところないんですもの。好きになってもらえるはずがないわ。
しくしく……。
ああ、もう死んじゃいたい!
ところが、ジャン‐ルイは、すたすたと机のほうまで行くと、そこから何かを取ってきた。
「アガタって……本当に妹みたいな気がして……。たまらないんだ」
イミコの前に差し出されたフォト。イミコは驚いて目を丸くした。
「こ、これって?」
「僕の妹」
写真の中には、まだ若干幼いジャン‐ルイと、真っ赤な髪の女の子が写っていた。
光あふれる庭なのだろうか? 椅子に座った女の子を、ジャン‐ルイが後ろから抱きしめているような、仲良しの写真だった。
でも、イミコが驚いたのは、その女の子の顔だった。
「あ、ああああ、アガタにそっくり!」
「顔がね……。それと、名前が一緒。妹の名は、アガタっていうんだ。でも、全然違う」
イミコが手に取った写真を、すっとジャン‐ルイは取り返す。どこか寂しそうだった。
「妹は……生まれつき体が弱くて……ほとんど寝たきりなんだ」
「え?」
小さな疑問符を投げつけて、イミコは言葉を失ってしまった。
「この写真を撮った日は、たまたま体調がよかったから、車椅子に乗せて庭を散歩した。でも……こんな日は、一年に数日しかないんだ」
女の子の椅子は、ジャン‐ルイが押していた車椅子。二人のはち切れんばかりの笑顔は……たった年に数回しか訪れない貴重な微笑み。
「十二歳なら歳も同じ。元気だったら、妹もアガタのようにこの学校で勉強しているはず……」
ジャン‐ルイの目が、下界の妹を思って遠くなった。
イミコは、自分の心のあまりの狭さにうつむいてしまった。
アガサとケンカした日、ジャン‐ルイは、何と言っていただろう?
うーん……。
似ているといえば、似ている。似ていないといえば……。
どっちでもないかな?
でも、僕を兄だと思って頼ってくれていいよ。
そのほうが、僕もうれしいかな?
それを聞いて、イミコはすっかり落ち込んでしまい、部屋に戻ったとたんに泣き出し、そして……。
――私、アガタとケンカしちゃったんだわ!
こんなそっくりな妹さんがいて、名前まで一緒で、しかもアガタみたいに元気じゃなくて、寝込んでいたら……。
アガタを他人に思えなくて当然じゃない!
アガタが元気そうなのをうれしそうに見たって、当たり前じゃない!
それなのに、私ったら!
「ご、ごめんなさい……。私……」
ジワリと涙。
「何で謝るの? 君が泣く必要なんてない」
ジャン‐ルイの言葉に呼応するかのように、カエンも口を挟んだ。
「イミコが泣く必要はまったくありません。人の弱みに付込むアガタさんとフレイが悪いのです。それで、学生牢から落ちてしまっても、自業自得というものです」
カエンの言葉に、イミコは真っ赤になって否定しようとした。
「そそそそそ、そんな!」
だが、ジャン‐ルイのほうは、カエンの言葉に見せたこともないような厳しい顔をしている。
「学生牢から落ちる?」
「アガタさんは、浮きせんから」
さあっと音を立てて、ジャン‐ルイの顔から血が引いた。
「もしかして……まったく? 上下できないだけでなく、浮かない?」
「ううううう、浮かないと何か困るのでしょうか?」
おそるおそるイミコが聞いた。
「困るも何も……。あぁ、どうして僕は自室謹慎なんだろう!」
苛々と辺りを歩き回ったあげく、ジャン‐ルイはドアを開けて外に出ようとした。
そこには、マダム・フルールの束縛魔法が踊っていた。
強力な魔法バリアーである。
自室謹慎の生徒で、その魔法を打ち破ったものはいない。
「あほれれ、そいやそいや、よさこい、そーらん、おーれぇおーれぇ……」
四大属性を含んだ魔法の人形が、万国博のようなユニホームで手を繋いで輪になって踊っていては、この空間から出て行くことは不可能である。
「まいまいまいまい・マイムのでべそ! ぱらっぱらっぱぁ!」
その様子を見たジャン‐ルイの精霊バーンはぐったりして言った。
「はぁ……。マダムの魔法には、本当に生気を吸い取られてしまいますねぇ……」
そう、未だかつてこの魔法に生気を吸い取られなかった精霊もいないのだ。中にはうっかり魔法に捕まって、一緒に踊り狂うヤツもいた。
そうなってしまえば、どのように優秀なソーサリエであっても、ただの人に成り下がる。
精霊がいてのソーサリエである。
ドアを閉めるしかない。
「明日までもってくれれば……アガタ」
悔しそうにジャン‐ルイ。
あわれ、アガサ。
すでに兄と慕う人の助けは期待できない。