(4)
地面に叩きつけられて即死。……したのかもしれない。アガサは目を固くつぶっていた。しかし、地面にぶつかった衝撃はなかった。
カチカチになった体に、何かが触れているような気がして、アガサはそっと目を開けた。そして、目を丸くした。
足元には空気しかない。そして、はるか下に燃える我が家が見えた。
もくもくと上がる黒い煙の中に、時々オレンジの炎が見える。しかし、臭いはしない。たぶん、死んだから……かもしれない。
庭先に救急車や消防車が着いている。サイレンの音は何も聞こえないが、あわただしい人々の動きは見える。
母も父も真っ黒だが助かったようだ。姉も横にいる。運び出された妹は、酸素マスクをしているがどうやら生きているらしく、救急車にすぐに乗せられた。
――私は?
「アガサが! アガサがまだ中にいるんです!」
不思議と声だけが聞こえてきた。
父が火の中に飛び込もうとして人々に止められている。母が泣いて父にすがった。
父には疎んじられていたと思っていた。
母は、父が嫌いなのだと思っていた。
私は、両親の喧嘩の元だと思っていた。
その様子をぼんやりと見ながら、アガサは思った。
こうして宙に浮いているのって……やはり、死んだから? だよね。
なんだか……へんだよね。
他人事みたいだ。夢みたいだ。
両親の姿を見ていると、自分が死んだということよりもなによりも、なんだかすまない気持ちになってきて、鼻の奥がじわんとした。
やがて、消防士の一人が叫ぶ。
「お嬢さんを発見しました! ですが……」
「お母さんは見ないほうがいい。火に巻かれて、必死で窓から飛び降りたのでしょう。むごい姿だ」
母がよろりと父の腕の中に崩れた。
「ああ……神様」
自分の死。
それが、こんなにあっけなくて、苦しむ間もなかったなんて。
アガサは不思議だった。
目の前に、死んだ自分を見る……だなんて。
消防士4人が、担架に乗せたものを運んでいる。おそらく、アガサの焦げた死体に違いない。
一応念のため、酸素マスクをつけている。そして、心臓に電気ショックをかけているらしい。点滴の用意もされたが、すぐに片付けられてしまった。
気丈にも、父がその姿を確認しようと覗き込む。そして、すぐに天をお仰いで小さな悲鳴を上げた。
よほど……だったのだろう。胸が痛んだ。
こんなことになっているのに、どうしても死の実感がわかない。
確かめなければいけないような気がした。
勇気をふり絞り、目を凝らす。
「はぁ?」
アガサはおもわず声を上げた。
担架の上には、なんとアガサの誕生日プレゼントだった熊のぬいぐるみが、焼け焦げた状態で乗っていた。
救急隊員が必死になって、ぬいぐるみに向かって必死に酸素マスクをつけたり、電気ショックをかけたりしている様は、はっきりいっておかしすぎる。
医者らしき人が、真面目な顔をして脈を図っているのだが、ボッコ手の熊の脈は、さぞかし計りにくいだろう。案の定、彼は鎮痛な面持ちで言った。
「脈はもう……ありません」
ぬいぐるみに脈があったら、それこそ怖い。
父が男泣きして熊にすがる姿も、母が卒倒している姿も、深刻そのものだけに余計におかしい。
いったい、どうしちゃったのだろう? 私は死んだはずなのに。
あまりに奇妙な下界の様子に笑っていいものやら、落ち込んでいいものやら、さっぱりわからなくなってしまった。
「滑稽だね。笑えば?」
突然、耳元で声がした。
アガサはびっくりして、飛び上がった。……いや、語弊がある。アガサの体は、すでにずっと空中にあったのだから。
しかも、アガサは一人で浮いていたのではなかった。明らかに、別の存在に支えられて、空にいたのだ。
「あ、あなたは?」
アガサの肩を支えていた存在は、振り向いて笑った。
普通の倍はありそうな頭……いや、それは髪の毛が逆立っているせいなのだが、とにかく大きい。でも顔は小作りで、切れ上がった目が印象的だ。少しばかり意地悪っぽい顔である。
神様・イエス様・マリア様にお祈りしたからとっいって、ソイツが天使なんかではないことは、一目瞭然である。
アガサは、その顔をよく知っていた。忘れたくても忘れられない。
「おいら、ねーさん付きの精霊だ。名前はフレイ。よろしくな」