ソーサリエ〜アガサとアガタと火の精霊

第2章 学校で一番問題の場所


(1)

 アガサには、フレイの気持ちがわからなかった。
 てっきり、ジャン‐ルイに迷惑をかけたくないから、
「学生牢に行くぐらいならば、退学を選んで死ぬ」
 という覚悟だったのだと思っていたのだが、どうも、フレイは本当に学生牢が嫌だったらしい。
 学生牢は、ソーサリエの学校の地下にある。かなり急な石段を、延々と下ることになったのだが、フレイは無口で飛び回ることもなく、ぐったりとアガサの肩に止まったままだった。
「でも、死ぬわけじゃないもん。三日こらえれば済むんだから、退学よりもずっといいじゃない?」
 連れられて地下に降りていく道すがら、明るくアガサは笑って見せた。
「それはさー! アガサが学生牢を知らないから!」
 とフレイが言ったところで、現場に着いた。
「さあ、ここです」
 モエが指し示した部屋に、アガサは足を踏み入れた。
 ガシャン! と鍵が掛かる。
 薄暗い空間ではあるけれど、堪えられないほどでもない。
 いったいどこから水漏れしたのか、低い天井から水滴が、ぽたんぽたん……と音をたてて床に落ちているが、じめじめしていて気持ち悪いほどでもない。
 それどころか、壁には白いインクで目立つように落書きが書かれていて、とても面白かった。
 一目でモエバーだとわかるイラスト。目の中に星を入れたマダム・フルール。そして、数々のメッセージ。

【もっとうまい物食わせろ! ばーか!】
【おまえこそバーカ! 中央食堂へ行けないヤツは死ね!】
【死ねとは何だ! アーホ!】
 なんと英語で書かれている文字もあり、アガサは驚いた。

 ――そうか、ソーサリエたちは精霊文字なんかより、やはり生まれ育った母国語のほうが、本音を書きやすいんだわ。

 アガサはほっとした。
 精霊の言葉に慣れていないのは、自分だけではない。慣れている人だって、やはり使い慣れた言葉が好き。
 精霊と話すには精霊の言葉が必要だけど、精霊抜きだったら……。
 アガサはふっと考えた。
(ファビアンは英語を話すのかな?)
 ファビアンはフランスから来たという話だ。では、英語は無理かも知れない。
 いやいや、彼は四大精霊語をマスターしているのだ。英語なんて、ちょろいちょろい。おそらく、たぶん、きっと……間違いなく。

「ねーさん、何をにたにたしているのさ! この人生最大の危機に!」 
 フレイが肩の上であきれ果てている。
 いけない、いけない。アガサは舌をぺろりと出して、肩をすくめた。
 フレイはアガサの考えていることを、時々読んでしまうのだ。すくめられた肩の上で、フレイはコテンとひっくり返り、慌てて飛び上がった。
 アガサは微笑んで、フレイの真似をしてターンをして見せた。あの時散々練習させられたターンである。
「なーんも! たいしたことないじゃない、学生牢なんて。あのモエの部屋に比べたら、まし……」
 そのとたん、アガサの足元の床が抜けた。
「ひえっ!」
 アガサは慌てて飛び避けた。すると、次の床も抜けた。
 床材が落ちた後は、真っ青な青空が見え、空気が吹き込んできた。
 アガサは驚いて、再び一歩足をずらそうとしたら……そこも抜け落ちた。
「ひゃあああ、何よ! これ!」
「だから! 学生牢だってばさ!」

 学士牢は、一番下層に存在していた。
 つまり、天空の一番崩れやすいところにあるのだ。しかも、毎日少しずつ落下している。
 かなり危険な場所ではあるが、ソーサリエならば誰でも空中に浮かぶ力を持っているので、精霊がいる限り、スリルはあったとしても命は落とさない。
 だが、アガサの場合は体を浮かせる力がない。牢の床材がすべて落ちたとしたら、まっさかさまである。
 アガサが死ねば、フレイも死ぬ。

「だから、退学のほうがましだっていっただろ! 退学だったら、おいらが死んでも、ねーさんは下界で強く生きていけるんだからな!」
「バカバカ! フレイのバカ! 説明が遅すぎるのよ! いつもいつも!」
 と、罪のなすりあいをしても、もう遅いのだ。
「モエバーのヤツ! 一番崩れやすい部屋をあてがったなぁー!」
 フレイが悲鳴のような声で怒鳴った。
 その瞬間、ついでに天井まで落ちて来て、危うくアガサはぺちゃんこになるところだった。