ソーサリエ〜アガサとアガタと火の精霊

第2章 アガサのその後


(3)

 落ち着いたはずのイミコだった。
 ところが、ジャン‐ルイがカエンを使って下るエレベーターの速度はどこかの遊園地のフリーフォールのような速さで、イミコは結局、悲鳴を上げ続け、ジャン‐ルイにしがみ続けていた。
 そのけたたましさのおかげで、二人がモエの元に着いたときには、なんだなんだと野次馬が押しかけ、大人数になってた。
「よって、判6つ! 学長に報告するまでもなく、アガタ・ブラウンを退学処分します!」
 モエの声は、廊下に集まった生徒たちの耳にも入り、ざわめきが起こった。
「待ってください! 意義ありです!」
 勢いよくドアを開け、ジャン‐ルイが飛び込んでいった。

 モエは、無礼な生徒総監の顔を睨むと、眼鏡を再び5度も上げなおした。
「あれま、意義などとは……。いくらヴァンセンヌの御曹司とはいえ、この決定を覆すことはできませんよ。現行犯なんですから!」
 アガサといえば、この頼もしい助っ人の声を聞いて……喜ぶどころか震え上がってしまった。
 何が辛いといっても、親切を仇で返した相手の顔を見るほど、情けないことはない。
 ――顔……見たくないよぉ。
 そんなアガサの願いも虚しく、彼はツカツカと部屋に入り、アガサとモエの間に立った。
 一瞬、ジャン‐ルイがアガサのほうを見た。
 アガサは恥ずかしさのあまり、顔を伏せてしまった。
 ジャン‐ルイは、それにはかまわず、モエの机の上に置かれた罪状認否の文章を読み返した。
「アガタ・ブラウンは、火のソーサリエの食堂で出される食事に文句をつけたうえ、食堂で人々を扇動した」
 廊下で生徒たちがざわつく。
「アガタ・ブラウンは、ジャン‐ルイ・ド・ヴァンセンヌから精霊を使ってホール・パスを盗み出した」
 イミコが思わず顔を両手で覆った。
「アガサ・ブラウンは、中央食堂に忍びこみ、扇動した仲間と事件を起こそうとたくらんだ……か。なるほど」
 ジャン‐ルイは大きな声で読み終わりと、いきなりそれを破り捨てた。
「こんなのは、嘘っぱちです!」
 モエは、真っ赤になって怒った。
 まさに火のソーサリエ、口からぼおおおっと火でも吐き出しそうな勢いである。実際は、つばが飛んできただけだった。
「嘘じゃありません! この子は、食い意地が汚い上に、仲間と暴動を起こすつもりだったのです!」

 実は、これはジャン‐ルイのたくらみのひとつだった。
 ドアの向うで野次馬根性丸出しの者たちは、先日ジャン‐ルイの演説に大いに賛同した者たちだ。
 この罪状が嘘であれ、本当であれ、誰もがやらかして欲しいと願っていることである。それくらい、食事の不満は強かったのだ。
 アガサは、ここに集まった生徒たちの同情を大いに受けることとなる。
 権力に屈することになろうとも、モエには脅威の世論となる可能性があり、上手くすれば判決を覆すこともできるかもしれない。
 もちろん、それだけではアガサを救えないことも、ジャン‐ルイは知っていた。
 
「確かに食堂で演説した者がいる。でも、それは僕です。それに、別に扇動したわけではありません。こんなのは罪じゃない!」
 ドアのほうから、そうだ、そうだ! と声がした。が、モエがきっと睨むと、声はだんだん小さくなった。
「忍び込んだのは罪でも、実際はお菓子を食べたわけではない。防犯装置をかじってみただけだ」
 モエは、ばかばかしいとばかりに笑った。
「お菓子と間違えてかじっただけの話です」
 実は、そうなんです……と、内心アガサは思ったが、余計な口を挟むのは止めておいた。
 それは、正しい選択だった。
「だいたい、扇動がなかったのに、暴動をたくらめるわけがない……」
 確かに、アガサが仲間を扇動しているというのは、モエが作ったでっちあげである。
 山なりに連なった生徒たち、そして演説の張本人がいる。実際にその場の証人が揃っているのだから、この罪を貫き通すのは難しい。
 モエは、何度か咳払いを繰り返した。
「よろしい……。その部分は証拠不十分といたしましょう。だが、確実に3つの判は押されます。彼女の退学は揺るぎません!」
 再び眼鏡を6回上げて、モエは言った。
「偽証罪。侵入罪。それと、あなたのホール・パスを盗んだ窃盗罪。これは、覆せない事実です」
「偽証罪?」
 さすがに、ジャン‐ルイもこれは考えてはいなかったらしい。
「は、はめられちゃったんです!」
 思わずアガサが叫んだ。
「不敬罪」
 モエがにやりと笑った。

 4つの罪状では、退学は免れられない。
 不敬罪と偽証罪は、かなり怪しいものではあるが、しっかりとモエ自身が聞き及んでいる。
 今のは卑怯だ! という叫び声が上がったが、モエが一睨みして、
「誰か、不敬罪に問われたいのですか?」
 の一言で、静まり返ってしまった。
 万事休す……。誰もがそう思った。
 あわれ、アガサは授業のひとつも受けることなく、たった一夜で学校を退学になるのだ。
 しかし、ジャン‐ルイは落ち着き払っていた。アガサの肩に軽く手を置き、一度だけアガサを見て微笑んだ。
 その笑顔の意味がつかめなかった。
「アガタは、別に僕のパスを盗んでなんかいません。僕が、貸してあげて返してもらうのを忘れてしまったんです」
 突然のジャン‐ルイの爆弾発言に、モエの眼鏡はズレ落ちてしまった。
 アガサも驚いて、ジャン‐ルイの顔をまじまじと見てしまった。
 ドアの向うで、イミコがボロボロ泣き出していた。
「あ、あ、あなた! 生徒総監でありながら……そ、そんなとんでもない嘘を!」
「嘘じゃありません。本当です」
 モエは眼鏡をかけなおそうとしたが、どうも手が震えてしまい、ついに諦めて机の上においた。
「そ、そ、それが本当ならば、あなたにも罰を与えなければなりません」
 モエは慌てて、書類を広げ始めた。
「そんなの! 嘘です!」
 アガサは後先考えず、思わず叫んでいた。
 
 アガサは焦った。
 こんな私を救うために、ジャンジャンはとんでもないことをしようとしている!
 もう充分にひどいことをしたのに、これ以上の迷惑なんかかけられない!

「アガタ。僕をかばわなくてもいいんだ。僕は、昨日の夜、君に自慢したくてパスを見せたよね? で、君はそれを手に持ってみたいって……。その後、つい、話が弾みすぎて、僕は返してもらうのを忘れてしまった……」
「そ、そんな……」
 アガサにそういいながら、ジャン‐ルイはウインクを繰り返す。話をあわせろ! ということだ。
 でも、合わせるにはあまりにもひどい作り話だ。
「僕は……その後のことは、よく知らない。食事の話で盛り上がっていたから、出来心で食堂を見学してみたかったのかな? それとも……君は学校に来たばかりだから、もしかして、僕にパスを返そうとして、道に迷っただけなんじゃないのかい?」
 その言い分にうなずいたら……アガサの罪は軽くなる。自室謹慎程度で済む。
 道に迷っただけが通ったら……もしかしたら、無罪になるかも知れない。

 でも。
 そんなの、まずいよ! いくらなんでも!

「あ、あった! ホール・パスをむやみに人に貸すことを禁ず。パスを持つ者は、責任を持って管理する義務がある……うんぬん」
 モエが再び眼鏡をかけた。
「ジャン‐ルイ・ド・ヴァンセンヌは、管理能力の欠如により生徒総監の権利を剥奪し、禁止事項を破ったことにより、一週間の自室謹慎に処す……でも、だからと言って、アガタ・ブラウンの罪がなくなるわけではありませんからね! 彼女は、一週間の学生牢行きです!」
 パタンと書類をとじ、モエはギッとアガサを睨んだ。
「さあ、アガタ・ブラウン! 真相はどちらなんです!」

 アガサは悩んでしまった。
 絶対にジャン‐ルイに罪を擦り付けたくはない。
 でも、アガサが退学になると、フレイは死ぬことになる。
 ささやくような声で、ジャン‐ルイが言った。
「いいんだよ」
 自室謹慎くらいなら……と、アガサは甘えようか? と思った。
 でも、ドアの向うから聞こえてきた声援が、痛かった。
 ジャン‐ルイは、生徒総監として、みんなに必要な存在なのだ。

 どうしたらいい? アガサ……。
 退学にはなりたくはない。
 でも、ジャンジャンに汚名を着せても平気なの?

 その時、フレイの言葉がアガサに届いた。
「バカヤロー! 学生牢に入るくらいなら、死んだほうがましだ!」
 その一言で、アガサの覚悟は決まった。

 フレイは……これ以上ジャンジャンに迷惑をかけてまで、生きていたくないんだわ。
 私たち、運命共同体だもの!
 私だって! もう、我慢がならない。
 コソドロしておいて、被害者にかばわれて助かるなんて!
 退学になったって、人に罪を擦りつけるわけにはいかないわ!

 アガサは息を吸って吐き出した。
「私は!」
 そこまで言ったとたん、突然部屋に突風が吹き荒れた。
「ひゃあああああ!」
 モエの悲鳴が響いた。