(5)
再び帰り道もジャン‐ルイの魔法に頼ることとなる。いつの間にか、フレイも戻ってきていた。
どこにいっていたかは、後で問いつめてやろうと、アガサは思った。フレイはアガサの心を読めるけれど、アガサにはフレイの心のうちは読めないのだ。
「本当にありがとうございました!」
別れ際、アガサが大きな声でお礼をいうと、ジャン‐ルイはすこしだけ切なそうな顔をした。
「アガタ。君は……とても元気なんだね?」
「はぁ?」
気の抜けた返事をしてしまうと、ジャン‐ルイは苦笑した。
「いや……なんでもない。ちょっと、妹を思い出して……」
「私って、妹さんに似ていますか?」
「うーん……。似ているといえば、似ている。似ていないといえば……。どっちでもないかな? でも、僕を兄だと思って頼ってくれていいよ。そのほうが、僕もうれしいかな?」
アガサにとっても、ジャン‐ルイは兄を思い出す。が、彼は兄とは似ても似つかない。
そう……彼は……アガサが憧れていた理想の兄に近いのだ。
「ありがとうございます! 困ったことがあったら相談します!」
アガサは、元気いっぱいに答えた。
それに答えて、ジャン‐ルイはウインクして微笑んだ。
「でも……ファビにラブ・レターを渡してほしい、っていうのは、お断りだよ」
さすがは、生徒総監に選ばれるだけの洞察力がある。フレイでなくても、アガサの心は読まれていた。
アガサは思わず苦笑した。
「はい……。自分で渡せるよう、がんばります!」
バカ正直なアガサであった。
名残惜しくもジャン‐ルイと別れて、部屋に戻ってきた瞬間。
イミコが突然泣き出してしまった。
「きっと、ジャンジャンはアガタのことが好きなんだわぁー!」
「はいぃ?」
泣き崩れたイミコを助け起こそうとして拒絶にあい、アガサは困惑してしまった。
「それなのに、アガタったら……。ファビアンが好きだなんて認めちゃうんですもの! きっと、彼、今頃傷ついているに違いないわ!」
人間誰しも自分と同じように繊細だと思うのは、とてもばかばかしいことだと思う。
「確かに……好意はもたれていると思うけれど」
それは妹程度のもので……という言葉は、イミコの号泣に遮られてしまった。
「私、アガタのために身を引くわ! 私のことなんか考えないで、彼と幸せになって!」
「ちょ、ちょっとお! どうしてそこまで話が飛躍するのよ!」
さすがのアガサも、堪忍袋の緒が切れた。
「どうせ私なんか、どうでもいいのよ!」
「ええ! どうでもいいけれど、勝手に人の気持ちまで決め付けないでよ! 私は、ファビアンが好きなんだから!」
「水のソーサリエと火のソーサリエは、恋人にはなれないのに!」
「そんなの、分別次第でしょ!」
「分別なんかないじゃない!」
「分別なくても、私、火のソーサリエなんかじゃないもの! ただの凡人ですもの!」
「はい! それまでです」
激しく言いあう二人の間に、カエンが舞い降りた。
涙でぐしょぐしょのイミコと、怒りで真っ赤なアガサは、同時にカエンの冷め切った顔を見つめた。
「お二人とも、本来の目的を全く忘れてはいませんか? どうして女というものは、恋の話題にはこうも醜くなるものなのでしょう? 嘆かわしいことです」
本来の目的――それは、火のつけ方を知る方法だった。
すっかり忘れていた。
「お二人とも。大事な情報を聞き漏らしていたのですね」
アガサもイミコもしょげてしまった。
仲良くやっていこうと思っていた友人と、男の子のことで大喧嘩するなんて、本当に情けない。
しかも、本来の目的まで見失ってしまっていたとは。
「じゃーーーーーーん! だから、おいらのような、アッタマいい精霊が、アガタには必要なんだよーん!」
カエンの横に、ひらひらと踊りながらフレイが舞い降りてきた。
「あ・ったま・いい?」
「アッタマって、ここ、ここ!」
全く意味を捉え切れていないアガサの困惑に、苛立たしげにフレイが自分のピンピン頭を指差して見せた。
「あなたって……頭よかったっけ?」
フレイは床にビタンと音を立てて落下したが、すぐに羽ばたいて上昇し、アガサの鼻先で怒鳴りだした。
「何年、おいらと付き合っているんだ! ばっきゃろー! おいらが頭いいから、アガサもそれなりに生きてこれたんだぜ! おいらが頭が悪くなったとしたら、それはアガサの頭食っていたからなんだからな!」
「う……道理で、です」
自分の頭を食べてきた精霊が、賢いはずはない。
納得したアガサの様子に、フレイは偉そうにうなずいて見せた。
「では、これから我々火の精霊が考え出した計画を披露します」
カエンが机のほうに向いながら言った。フレイも踊りながらついてゆく。
アガサとイミコも手を取り合って立ち上がり、ブンブン飛んでゆく精霊たちの後を追った。
アガサとイミコが机まで到達すると、カエンとフレイは、1・2・3と号令をかけて、一枚のカードを持ち上げて見せた。
彼らにとってはドアぐらいの大きさがあるが、アガサたちにとってはトランプほどの大きさである。
Jean-louis de Vincennes
『ジャン‐ルイ・ド・ヴァンセンヌ』
最初に目に入ったのは、なんとアルファベットの文字。
その下には、アガサには記号にしか見えない文字。
しかし、イミコにはその意味がわかったらしい。
「そ、そそそそそれって、あなたたち!」
イミコの顔色は、真っ青になってしまった。
カエンとフレイは、声を揃えって平然といいのけた。
「そうです。これは、ホール・パスです」
「あ、ああああああなたたち! なんてこと! ジャンジャンのホール・パスをぬぬぬぬ、盗んだのですかーーーーー!」
今度は真っ赤になって、イミコがこれ以上ないくらいの大きな声で叫んだ。
「それ以外、どうやったら、コイツがここにあるっていうんだい?」
ケロリと得意げなフレイである。
「どどどどど、ど泥棒ですよ! それって!」
「無断でお借りしただけですよ。また返しますから」
と、冷静にカエン。
「で、でででで、でも、泥棒ですよ! それって」
まっとうなイミコには、どうしても火の精霊たちのやったことが信じられないらしい。
「ジャン‐ルイさんのお話を聞いていたでしょう? 禁断の中央図書館へ行けば、他の属性に向けた魔法の書があるのです。そこには、火のつけ方も解説されているはずです」
「おいら、これしか方法がないと思っていた。で、向うの精霊のバーンの気をカエンに引いてもらっている間に、おいらが失敬してきたんだ」
イミコの目は怒りで充血し、体は震えていた。
「でででで、でも、あなたたち! ジャンジャンはあんなに親切にしてくれたのに! あんなにあんなに親身になってくれていたのにっ! それを裏切るような行為じゃない! 卑怯だわ!」
精霊は、そんなイミコを無視して、ことの成り行きに呆然としているアガサを見つめた。
「ねーさん。ねーさんもおいらを責めるかい? ねーさんが嫌ならば、おいら、頭を下げてこのパスを返しにいく。ねーさんの気持ち次第だ」
アガサは考え込んでいた。
兄と思ってくれていもいい……と言ってくれたジャン‐ルイに対して、これは確かに裏切りにもにた卑怯な行為である。
でも。
フレイの鋭い燃える瞳の奥に、これしか生き残る方法はないと、はっきりと書かれていた。
フレイが選んだ方法なのだ。
「わかった、フレイ。あなたと私は、運命共同体だから」
アガサは、卑怯者になる覚悟を決めた。