ソーサリエ〜アガサとアガタと火の精霊

第1章 入学試験


(3)

「ちょ、ちょ、ちょっと待って! マダム! 何でアガタは入学できないのさ! おいら、どうなっちまうのさ!」
 ブンブンとせわしい羽音を立てて、フレイはマダム・フルールの周りを飛び始めた。
 マダムは、何度かフレイを目で追ったが、これ以上見ていると目が回ると判断したらしい。そっと目を伏せた。
「アガタ・ブラウンは、ソーサリエの血筋にありません。フレイ、おまえが彼女を選んでしまったのは、おまえの間違い・勘違いです」
 フレイはその言葉を聞いたととたん、ショックで机の上に落下してしまった。さらに机を焦がしてしまったが、マダム・フルールは優しくフレイを指先でつまむと、机の上にあった 燭台の中に投げ込んだ。
「きゃあ!」
 今度の悲鳴はアガサである。
 何が起こったのか理解に苦しんでいたアガサであるが、自分の精霊が火に焼かれてしまうとなれば、黙ってはいられない。
「マダム! 何をするんですか! ひ、ひどすぎます!」
 あら、心外……とでも言いたげに、マダム・フルールはアガサのほうを見た。
「誤解なさらないで。フレイは火の精霊。気を失ったので、火の中に入れて介抱しているだけですの」
「あ……あ、そう……」
 声のトーンがおもわず下がる。確かに、フレイは気持ちよさそうに眠っているようにも見える。

「アガタ・ブラウン。あなたには本当に悪いことをしました。普通の家に育ったあなたにとって、フレイの存在は本当に厄介だったことでしょう」
 するすると歩み寄って、マダム・フルールはそっとアガサの肩に手を乗せた。
 いかにも慈愛・慈愛・慈愛の微笑みである。
「でも、もう安心してください。あなたは家に帰れます。熊さんの魔法も解き、火事で死ななかったことに書類を書き換えます。今ならまだ、訂正も可能でしょう」
 そう言いながらマダム・フルールは軽く指を鳴らした。
「また、精霊にあなたを下界まで送らせます。そして、お詫びをこめまして、あなたの残りの人生を祝福しましょう」
 一陣の風が起きたかと思うと、緑色の髪をした精霊がたちまち現れて、マダムとアガサに会釈した。
「お呼びでございますか? マダム・フルール」
 品のある顔立ち。そして、等身大――いや、精霊の掌サイズではない。普通の人間の大きさである。
「ええ、風の精霊エアリアよ、この少女を下界まで送りなさい」
 エアリアと呼ばれた精霊は、うやうやしくアガサの手をとった。その手の感じはフレイのそれに似ているが、もっと冷たくて頼りなかった。
「ま、まってください! マダム・フルール」
 アガサはおもわず手を引っ込めていた。
「あの、あの、私の精霊……いえ、フレイはどうなっちゃうんですか?」
 マダムは驚いたような顔をして、手を口元に持っていった。どうやら、それはあくびを隠す仕草だったらしい。
「アガタさん、もうあなたには関係のないことです」
 アガサは、恐る恐る聞いてみた。
「ま、まさか、火に戻っちゃうとか、そんなことないでしょうね?」
 ちらりと見ると、ろうそくの光の中からふらふらとフレイが出てきていた。
 目に生気は見られない。
 少しは元気になったものの、彼の命は風前の灯にも見え、頼りなかった。
 そのフレイに、マダムは天使の笑顔を見せて一言呟いた。
「ドジ」
 思わず耳を疑うほど、このマダムには似合わない言葉である。
 しかしマダムは整然として振り向くと、さらに優しそうに微笑んで、アガサの質問に答えた。
「ごく普通の人間に迷惑をかけたのです。当然、フレイはもとの火に戻ってもらいます。そして、二度と過ちを犯さぬよう、1千年間の再生を禁じられることとなります」
 すっかりしょぼくれたフレイの様子を見ていると、それは精霊にとってかなり厳しい罰になるのだろう。
 少しかわいそう……。
 素直にそう感じてしまった。

 アガサは、ソーサリエなどではなかった。
 アガサの家族にも祖先にも、ソーサリエなどいなかった。
 ――つまり、どうやらフレイが何か勘違いして、私が生まれたときに私に付いちゃったってこと?
 で、私に散々普通じゃないことをさせてしまっていたってこと?

 今まで起こしてくれた大騒動や、アガサにかけた迷惑の数々を思い出すと、フレイの間違いは人間一人の人生を狂わせるほどの大罪だといえる。
 でも……。
 アガサは、小さな頃から火の精霊と過ごしてきたのだ。
 返事はもらえなかったけれど、何度も話しかけてきたし、何度もお友達になろうと思った。
 むしろ、アガサが変人と思われた理由は、諦めきれずに何度も火の精霊と話をしようと試みた結果なのだ。
 物心ついた時から、フレイはアガサの側にいた。アガサにとって、フレイがいることは当たり前なのだ。
 それに……。
 ――フレイは、私を火事の中から救ってくれた。今度は私が彼を救う番だわ!
 アガサは気合を入れた。

「あんまりです!」
 思いのほか大きな声になって、アガサは自分でも驚いた。が、ここでひいてはいられない。
「今までの私の苦労って何? 変わり者扱いされて、私の居場所なんかどこにもなかった! そして、ここに連れてこられたとたん、今度は、『あなたは普通の人ですから』ですって? そんなのあんまりです!」
 アガサは髪の毛を逆立てるほどの勢いでまくし立てた。
 マダム・フルールは涙目になった。が、実はあくびをかみ殺したかららしい。
「まぁ、おきてしまったことですから。アガタさん、後ろ向きに考えるのは健康にも美容にもよくないことですよ」
「私は、アガサです! ちゃんとTHぐらい発音してください!」
 マダムの眉がピクリと痙攣したのを、アガサは身逃がさなかった。
 どうやらマダム・フルールは、外国語の発音が苦手な口らしい。それを指摘されるのは、どうもかなり嫌いなことのようだ。
「まぁ、あなたはすぐに下界に戻って普通の女の子になるのですから、今更怒っても仕方がないでしょう?」
「冗談! 私はフレイに、この学校に入学して勉強する義務があると、はっきり言われたわ!」
「ですから、それは間違いです。フレイには厳重な処罰を……」
 マダムの言葉を遮って、アガサは叫んだ。
「私、フレイの処罰なんて望んでいません! それに私、普通の女の子じゃありません。変人なんです! 今更、普通の女の子なんてなれるもんですか! ちゃんと落とし前、つけてください!」
 アガサの目は赤くて釣っている。
 実は、それほどきつい性格ではないのだが、見かけはけっこうきつく見える。
 さすがのマダム・フルールも、アガサの語気に身を引いた。
「お願いですから、私の入学を認めてください!」