サリサは頭をひねったが、いいアイデアは出てこなかった。
鈍竜は、馬に引かれてのそのそ歩いている。二頭で引くにはバランスがとれないらしく、ミケが馬に戻ったのが救いだった。
だが、救い手は現れそうにない。
「とにかく……これ以上、先に進まれたら、逃げた人たちを救えなくなちゃうよ。うーん」
盗賊二人はどこに向かうのか、馬をゆっくり進めている。
鈍竜は歩みが遅いので、馬のスピードにはついていけないのだ。力があるから、方向を上手くつけないと、馬のほうが引きずられてしまう。二人はこちらをみない。
「とりあえず、隠れて知らんぷりして……それから考えよう」
サリサは、荷台の影の、さらに荷物の奥に隠れた。そこで、考えようとして……そのまま寝込んでしまった。
ふだんはしない肉体労働が響いたのだ。熟睡してしまい、目が覚めたのはお腹がすいたからだった。
「……どこにいったんだ?」
ふと耳を澄ませると、ミケの声がした。
ざわめく人の声。
「はっきり言え! 俺の子猫ちゃんをどこにやったんだ! って聞いているだろ?」
「いえ、あの……。私たちにはさっぱり」
サリサは慌てて荷物の影から様子を見た。
あたりは既に暗くなっていて、ほのかなカンテラの光しかない。
どうやら、サリサが逃げたと思い、ミケとネコは、引き返していて、客たちを再度捕まえたのだ。
「逃げ出して、お前らのところに行く以外、ありえないだろ! どこに隠したんだ!」
ミケの声は苛々している。
(そこまで、僕って価値があるのかなぁ?)
鈍竜を引いて客に追いつくのは、なかなか至難の業だっただろう。旅慣れていないエーデム族が、逃げ出したまま遠くへ行けなかったことも幸運だったが。
しかし、ここでサリサは迷った。
「はーい、僕はココです!」
などと飛び出したら、先ほどの続きが待っているだけだ。
ミケとネコは、またサリサを連れて、鈍竜と荷物を奪って、客たちを見捨てるだろう。見れば、客たちは夜の寒さに凍えている。
隠れていたほうがいいみたい……。
サリサはそう判断した。
「子猫ちゃんが見つかるまで、お前らは監禁だ! 馬車に乗り込め!」
どうやら客たちは凍えずに済むだろう。
だが、朝がきたら隠れていられない。明るくなってしまえば、見つかってしまうだろう。それにお腹がすいているし。
おかしな時間に寝てしまったせいか、サリサは眠れなかった。いっそのこと、夜の闇にまぎれて逃げ出そうかとも思ったが、今度はサリサが凍えてしまうだろう。
「うーん……。困ったなぁ。とりあえず、誰か助けて! って、念じておくか」
サリサの心言葉など、どこにも響かないだろう。でも、やらないよりはマシだ。
「神官くらいの能力がないと、伝書の言の葉を飛ばすことなんて無理だし」
無駄な努力と思いつつ、サリサは意識を集中させた。
次に気がついたときには……。
体が動かなかった。
誰かに押さえ込まれている? と思ったが、単に荷物が落ちてきて、下敷きになっただけだった。
どうやら意識を集中させすぎて、回りに注意を払わなかったらしい。その間に、荷物が頭にあたり、気を失ったようだ。しかも……。
(う、うわ! がんばりすぎて、力、出ないかも?)
しかも、寒い。気温だけではなく、体温も下がってしまった。
闇であるが、それは荷物に埋もれているからであって、もう既に朝らしい。
ざわざわと人の気配。それも大人数だ。
(とりあえず、皆さん、死なずに済んだみたい)
荷崩れの原因となったのは、再び乗り込んだ客たちにあるらしく、その点はほっとした。だが、この人たちが馬車から降りない限り、サリサは身動きが取れない。
(お腹がすいて死にそうだ。それに湯たんぽがほしいよう)
どこかから、いいにおいがする。
パンケーキの香りだ。どうやら、客たちがざわざわしていたのは、朝食のためらしい。
これは、マサ・メルに命じられた苦行よりも辛い。
サリサは、飛び出して一緒に食べたいと思った。それで、ミケの抱擁を受けても仕方がないと思うほどに。だが……。
(えーん。体が動かない。それに、声もでないよぅ)
声だけが響いてくる。
「うーん、いったい子猫ちゃん、どこへ行ったのかなぁ?」
ミケの声。
それに答えるネコの声は、口に何かをほおばっているのか、少しもぐもぐと響いた。
「この荒れ地で落としてきたなら、もう死んでいるさ」
(勝手に殺さないでよね)
サリサは、唾を飲み込みながら、心の中でブツブツ呟いた。
でも、このままでは死んでしまうかも知れない。
(しかしまぁ、重いよ、重いよー! 誰の荷物だよー!)
しかも、なんだか動くような? 体を動かしてみたら、声がした。
「あああ、私、もうだめ。とらわれの身になって、死ぬんだわ。佳人薄命、そのままに……」
ちょっと中年っぽい女性の声。それに続くネコの声。
「なんだい? このオバン。散々パンケーキ食いながら、悲劇の主人公気取りかい? あんたはここで捨てていっても死にそうにないよ」
「す、捨てないでくださいな。ああ、さっきから、めまいが」
違う。めまいではない。
サリサは、やっと気がついた。重たい荷物の正体は、このおばさんだったのだ。
サリサが動こうとして、じたばたするたびに、このおばさんはめまいだと思っているらしい。
(おばさんの下敷きなんて……。あーあ、女難の相だなぁ)
サリサは、ため息をついた。しかも、これからの長い人生、女難の相がつきまといそうで怖い。
「そんなに太っているからだ。おまえが重いから、鈍竜の歩みも遅いんだ」
ネコは、そうとうこのおばさんが嫌いらしい。
「そんなこと言わないで。私、本当に体調が悪いの。えーと、たしかこのあたりに薬が……」
というおばさんの声とともに、サリサの体は軽くなった。と同時に、少し明るくなった。
おばさんが、お尻をよけて、荷物の中を探りはじめたのだ。ふと、荷物を覗き込むおばさんと、目が合った。みるみるうちに、おばさんの目が丸くなり。サリサは焦って、唇に指を当てて、「しーっ!」と合図した。
エーデム族とは思えない、丸々と太ったおばさんである。しかも、ほほも鼻も唇も、まるでまんじゅうのように丸くて、ほんのり桃色である。
エーデム族には、簡単に暗示がかからない。声を出されて、万事休す……と思ったが、おばさんは機転が利く人だったらしい。
「ごほ、ごほ、ごほ……! 本当に苦しいわ。薬、薬……。ああ、水もいる。あっと、その前になんだか吐き気が……」
「ここで吐くなよ、あっちへいけ!」
ネコのあきれた声が聞こえた。
「はいよ、今、薬をとって、あうあうあう……水水。薬、薬」
おばさんは、訳の分からないことを言いながら、サリサの襟首をつかんだ。ひえっ! と思ったが、今度はおばさんが「しーっ!」と言う番だった。
(あんた、あの盗賊どもが探している【子猫ちゃん】だね)
心話に近い小さな声で、おばさんが言った。
(そうだよ、お願いだから、あの人たちに突き出さないで)
(そんなことしないよ。ごめんよ、気がつかないで、お尻の下にしたままで。今、出してあげるからね)
でも、ばれる……と思ったときには、サリサは荷物の間から引き上げられていた。このおばさん、エーデム族とは思えない怪力……いや、サリサが軽すぎなのかもしれない。
しかも、おばさんは幅もある。ネコたちから影になるように、おばさんは上手にサリサを隠してくれた。
「うえ、うえ、吐きそうだよ。よろよろよろ……」
おばさんは、前屈みになって、胸を押さえながら、馬車から降りて歩き出した。その豊満な胸の間に、サリサを抱きかかえながら……である。
あまりの演技の上手さに、ネコはサリサに気がつかなかったようである。そりゃそうだろう。このようなおばさんに、機転がきくと思えるほうがおかしい。
おばさんは、少しくぼみになった砂地にサリサを下ろすと、げーと吐くまねをした。その口元にいる身としては、ちょっと嫌かもしれない。
おばさんが大柄で助かった。
砂のくぼみで小さくなりながら、サリサは思った。
この辺り、多少の起伏はあるものの、地形がほぼ平坦で、低木とわずかな草しかない。逃げても隠れるところがないのだ。
たとえ、ほふく前進で逃げたところで、夜の寒さで凍死するのがいいところだろう。毛布と火を熾すものと、それを運ぶ鈍竜がいないと駄目だし、それでは馬に追いつかれてしまう。
「本当に災難よね。薬師は信頼が第一だからって、器量を買われて商人になったのに。げろげーろ!」
おばさんは、わざとネコたちに聞こえるように、話の途中で吐くまねをする。時々、つばが飛んできて、サリサはげんなりした。
「おばさん、銀色の髪をしているけれど、純粋なエーデムの人ではないんだね?」
「あら、ばれたかい? 髪は色抜きしているんだよ。でも、目と肌の色は、元々さ。ほら、エーデムでもかつて戦争があっただろ? わたしゃ、リューマ族との混血でね」
「僕は、子供だけれど、ムテだから……」
おばさんの血を読んで、納得した。道理で、エーデム族にしては、力持ちなわけだ。
「それにしても、困ったものだよ。どうやって、あいつらから逃げようかね? げーろげろ」
サリサは、おばさん越しに一行を見た。
ミケは、サリサを見つけられなくて、がっかりしたのか、荷台の上で煙草を吸いながら、ぼけーーとしている。ネコのほうは、そろそろ出かける支度をはじめだし、エーデムの人々を荷台に乗るように追い立てている。鈍竜は、ぼけっとしながら草を食み、馬は鼻を鳴らしている。
この人たちを全員救うとしたら、馬も鈍竜もすべてを奪わなければならない。助け手でも現れない限り、無理だ。
「あーあ、本当に私、ドキドキしているんだよ。薬でも飲まなきゃ……。げーろげろ」
おばさんは、言っているほどに焦っていないように見える。これぞ、リューマの血が入っている証拠だろう。他のエーデムの人たちは、数では圧倒的に勝っているのに、まるで羊みたいに言いなりだ。
「薬……? おばさん、薬師なの?」
突然、サリサはひらめいた。
「ああ、そうだよ。この容姿だと、信頼されるんだよ。リューマの薬は、怪しすぎるからね。げーろげろ」
「ねえ、おばさん。今、どんな薬を持っているの? 眠り薬とか、ないの?」
「あいつらを眠らせるって魂胆かい? 残念だよ。私の持っている薬は、痛み止めと咳止めと強壮剤とホレグスリと……はぁ、しかもね。みかけはエーデムっぽくても、薬の中身はリューマそのものなのさ」
「たとえひどい精製でも、暗示の効果を加味すれば、どうにかなるよ。おばさん、薬の一覧表があるかな? 僕がなんとかしてみるよ」
「あるけどね。げーろげろ」
なかなか戻ってこないおばさんに、ネコが声を張り上げている。
「おーい、そこのおまえ! そろそろ出るぞ! 吐き気は収まったのか?」
おばさんは、にっこり笑った。そして、サリサの頭をなでなでし、伏せて小さくなっているように、身振りでしめした。
「もう少しまってくださいよー。うえっぷ! ……今、薬の箱を持ってくるね」
そっと様子を伺うと、おばさんはネコに小言を言われるたびに、げっぷを繰り返し、何やら荷物の箱を丸ごと馬車から降ろすのに成功したようだ。
吐き気が収まらない、薬をいろいろ試す……などとでも言っているのだろう。
重そうな箱を片手でひょいと肩に乗せて、こちらに戻ってきた。具合が悪いわりには、元気過ぎ……と、サリサは苦笑したが、ネコとミケの頭では、そこまで思いつかなかったらしい。
おばさんが持ってきた薬は、サリサからすると、まさしく怪しいものばかりだった。中には、こんな精製をするのなら、薬草を煎じて飲んだ方がましなものもあった。逆に、訳のわからない混ぜ合わせで、かなり危険を伴いそうなものもあった。
よこで、げーげー言いながら、おばさんが薬の説明をしてくれる。
「これは、ムテで取れる貴重な竜花香の根を煮だして、三ヶ月間、ゆっくりと濾過した貴重な胸の薬で……」
サリサは、クンクンにおいを嗅いだ。
「ニンジンの根の煮汁に香り苔の香りを移しただけの水だよ」
残念ながら、胸の病には効かない。ただ、少しのどがスウスウするので、効いたような気がするだけだ。
「でも、香り苔は安息効果が高いから、うまくいくかも?」
おばさんは、少し意気消沈したが、再び思い出したのか、「げろげーろ!」と叫んだ。
「こちらは、ホレグスリだよ。これを想い人に飲ませると、ただちに心を囚われる……」
「幻覚作用のある芥子の花粉に小麦粉を混ぜたものだね。下手すると、心の臓を止めちゃうよ」
ムテでも、これを香にして炊き、暗示の力を増幅することをする。危険な薬ではあるけれど、使える。
「こちらは、痛み止めさ。どんなケガにもよく効くよ。げろげーろ!」
「うっ。毒蛙を酒で浸けたものだね。確かに、神経系を一定時間麻痺させるよ」
これでなんとかなりそうである。
祈りを込めながら、この3種類の薬を混ぜ合わせる。水と酒と粉である。瓶に入れて、振り回す。
「本当に大丈夫なのかい? げーろげろ」
おばさんは、元が怪しい自分の薬だけに心配そうである。
サリサは、混ぜた液体を、布に含ませた。これを、口に当てて、三秒間。おそらく気が遠くなるはず……だが、試してみることはできない。
いったい、どうやって、ネコとミケの口元に、この薬を運べばいいのやら?
その時である。
「うわーお! 愛しの子猫ちゃん、みっけー!」
いきなり背後から声がした。ミケである。
「抱きしめて、ちゅーしちゃお!」
――ぶちゅ!
タッチの差で、ミケの口に布を押し付けた。あぶなかった……。
しびれを切らしたネコが、ミケに様子を見に行くよう、お願いしたのだ。
おばさんも、サリサも、あまりに薬に夢中になっていた。
おかげさまで、試すこともなく、何の苦労もなく、一瞬技で見事に一人目は成功した。
だが、一難さってまた一難。
その様子を、遠くからネコは見ていたのだ。
「てめー! ミケに何をした!」
遠くからでもわかる形相で、腰からナイフを抜き、走ってくるではないか!
サリサ、大ピンチ!
●さて、どうなる?
1・サリサがネコを撃退
2・おばさんがネコを撃退
3・別の誰かがネコを撃退
4・撃退しそこねて、もとのもくあみ
5・その他、ご意見募集中。
下記アンケートにお答えください。今後の展開に影響いたします。(07月21日締め切りです)
アンケートより、皆さんのコメントを見ることができます。
|