4)ひとつめの恋
宴はまだまだ続いていました。
こっそりと抜け出した二人は、城の出窓のカーテンの影から、踊り揺れる人びとを見ていました。音楽は、まるで水の向こうから響くような、籠った音に変わっていました。
「おまえが……あまりにも踊りが上手いから、すっかり失念していたよ。すまなかったね、痛かっただろう?」
王子が話しかけると、口利けぬ侍女は、いいえ……とばかりに首を振りましたが、その瞳には涙がたくさんあふれていました。
きっと、無理していたに違いありません。王子のために。
王子は思わず侍女を抱きしめ、そして言いました。
「ああ、私は間違っていた! やはり、隣の国の王女とは結婚なんてすべきではない! 私はきっと、その人を愛せずに悲しませてしまうことだろう」
今、この瞬間にも、プラチナの少女はどこかで助けを呼び、叫んでいるのかも知れません。苦しんで血を流しているのかも知れません。
ただ、その声は、王子の耳に届かないだけ。
でも、愛の力だけが、王子の心ににその声を届けるのです。
「王女と結婚しなくても、私は同盟を強固なものにするよう、務めるべきなのだ。そして、隣国の協力を得て、あの人を探そうと思う。そしてもしも見つからなければ……」
口利けぬ侍女の冷たい体に、王子の声も震えていました。ですが、王子は侍女を抱きしめたまま、その耳元で誓いました。
「私はおまえと結婚する。海のセラが私に遣わしたもう、おまえと……」
侍女の冷たい手も、王子をそっと抱きしめました。
――けして、政略では結婚しない。
そのような結婚は、ただお互いに不幸になるだけ……。
だから、私は何の利害も絡まない身分なき者と結婚しよう。
あの人のかわりに、海が授けてくれたこの少女と。
王子はそう決心すると、翌日、王にそのことを告げました。
王はかんかんに怒って、この結婚はおまえのためだ、そのようなわがままは許されない、隣国の大使に恥をかかせるのか、などと怒鳴りました。
「私が直接、大使とお話します」
「何を寝ぼけたことを……」
王が怒るのは王子を愛しているからなのですが、王子は聞く耳を持ちませんでした。
そして、今度は隣国の大使の部屋へと向かおうと、廊下に飛び出した時……。
「お待ちを……」
聞き覚えある声が、王子を呼び止めました。隣国の大使の夫人でした。
王子は振り返り、その人の顔を見て、しばらく見続けて、驚きました。
「もしや、あなたは?」
そこには、美しい衣装に身を包み、まるで別人のようになっていた世話係の女がいました。
――奇跡のような、愛の成就。
王子は、羽根が生えたように速い船にのって、隣国の王女を迎えにいきました。
その船よりも先に、王子の心は王女の元へと飛んでいってしまいました。
隣国の王宮にて、軍隊の祝砲に迎え入れられ、王族らしい立ち振る舞いで、王女の元へと参じました。
隣国の王に手を引かれて現れたプラチナの少女は、仰々しい挨拶と笑顔で王子を向かい入れたのでした。
まるで絵に描いたようなお似合いの二人――両国の末長き平和を感じて、国民は喜びの声を上げました。
堅苦しいお見合いが終わったあと、二人はこっそり宴を抜け出し、城の中庭を散歩しました。
「これはまるで魔法のようだ。なぜ、あなたはあの村にいたのですか?」
王子が聞くと、プラチナの少女はいたずらっぽく微笑みました。
「本当にこれは魔法ですわ。怒らないで聞いてくださいますか?」
「もちろんです」
「私、政略結婚が嫌で逃げていたのですわ。病気になって、療養していることにしていて……。あの浜で毎日、よその国に捧げられる身を嘆いていましたの」
王子は怒るどころか、笑ってしまいました。
そのような日々に、少女は海辺で王子をひろったのです。
「では、きっと。海が私をあなたの元へと届けてくれたのですね?」
そう言うと、王子は王女に口づけしました。
「政略結婚なんて断ってしまいなさい。私はあなたに心から求婚するのですから」
王子の結婚式は華やかでした。
王女の国で、三日三晩に渡って行われ、王子の国に向かう船の中でも宴会続きです。出航の際には祝砲が鳴響き、空には花火が打ち上げられました。
王女も王子も幸せいっぱい。国中の誰もが祝いました。
が……。
たった一人、口利けぬ侍女だけが、青白い顔をますます青白くしておりました。
船旅も中にさしかかったある夜、にぎやかな宴会の会場を抜け出し、侍女は甲板で風を浴びながら物思いに沈んでおりました。それは、かつての王子のように……。
口聞けぬ侍女は懐から短剣を出しました。それは、魔剣でした。
人の手によるものではなく、海の底に住むという魔女が作ったものです。
かつて王子の前に姿を現す以前、口利けぬ侍女はこう呼ばれていたのです。
――北の海に住む人魚姫と……。