No.014.1 『白の魔弾』  サイドストーリー
(第三章と第四章の合間に位置します)
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『白の魔弾』 サイドストーリー

■灰色の計略

「こちらで」
 事務的な声でそう言って、草間を連れてきた男は立ち止まった。
 何の変哲もない、安っぽい応接コーナー。
 それが、男が揃えた指先で指し示した場所を表す言葉の全てだった。
 てかてかした黒の合皮に包まれた、いかにも座り心地の悪そうなベンチソファ。中途半端な高さの、角がはげた白いテーブル。
 それらが、革靴の底をきしませるリノリウムの床に味気なく据えられていた。
 差し渡し3メートルほどのそのスペースを囲うのは、三方に立てられたベニヤ化粧板と磨りガラスのさえないついたて。
 …デパートの占いブースだって、もうちょっと気が利いてるぞ。
 声にはせずにぼやいてから、草間は応接コーナーに足を踏み入れた。
 かすり傷だらけの天板の上に、すすけたスチールの灰皿があるのを見つける。
「世の中みんな分煙時代だろ。
 ここは構わないのか」
「ご入り用でなければ、片付けます」
 揶揄した言葉に動じた風もなく、男が答えてくる。
 彫像と話をしているような気分に、草間は肩をすくめながら首を横に振った。
 ジャケットからマルボロを抜き取り、
「で、いつまで待てばいいんだ」
 固いソファに身を投げて、尋ねる。
「秘書官は現在執務中です。
 準備ができ次第、お呼びします」
 返ってきたのは、テープレコーダーがしゃべっているような平板な言葉。
 結構なこった。
 半ばどうでもいいと言いたげに、草間は片手をひらひらさせて、マルボロをくわえた。


 東京都、市ヶ谷。
 防衛庁本庁の一室に、いま草間はいた。
 麗香から「96年のボツ原稿」だと、差し出された雑誌の切り抜き。
 そこに写されていた二人の男の姿。サミュエル・ハンターと大竹雅臣。
 リヒテ・ルルキアの語ったことがどこまで真実なのかを掴むべく、大竹を追おうと狙いを定めたとたんに、向こうの方からお迎えが寄越されてしまった。
 圧倒的な手並みで身柄を確保され、個人タクシーペイントでカモフラージュされたセルシオに乗せられて、そして草間が運ばれた先がここだったというわけだ。
 草間がどかりと腰を下ろした応接コーナーは、味気ない蛍光灯に照らされた、閑散としたオフィスの一角にあった。
 人けがほとんど無く、それに反してスペースはやけに広い。
 ざっと見渡して目につく職員の数の10倍以上のデスクとPCが準備されており、そのPCのほとんどが電源を入れられたまま静かにうなっていた。
 部屋自体の入り口にはIDカード式のロックが掛けられていたが、いざ中に入ってみると、別段警備の者がいるわけでもない。
 草間を連れてきた男も、応接コーナーを仕切るパーティションの隣に立ったまま。直立不動のその姿は、ますます彫像じみていた。
 なんだか知らないが、それなりに自由にはさせてもらえるようだ。
 誰にとはなくあざけるように鼻を鳴らしてから、草間はポケットから携帯電話を引っ張り出した。
 開く。やけに明るい液晶画面の左上で、「圏外」の文字が点灯していた。
 軽く舌打ちをした時、
「ここはシールドルームです」
 彫像は石臼を曳くような声で、そう口を開いた。


「草間さん。お待たせしてしまいました」
 間仕切り板の向こうから声が掛けられた。
 組んでいた腕を解き、顔を上げる草間。
 その視線の先に、ひとりの男が立っていた。
 人当たりの良さそうな笑みを細面の顔に浮かべ、黒髪をきっちりとなでつけている。
 歳は、草間よりも10上に行くか行かないか。
 写真よりも年を取ってはいたが、間違いなくそれは、
「あんたが、大竹さんか」
 大竹雅臣その人だった。
 草間の言葉に一つうなずくと、大竹がパーティションを回り込んで応接コーナーに入ってくる。その手には、ゼロハリの小振りなアタッシュケース。
 テーブルの隣に立ち、その細身な男は向かいのソファを指さすと、「座っても?」と尋ねてきた。
「あんたのとこの備品だろ」
 勝手にしてくれ。と、肩をすくめる草間。
 大竹は軽く首をめぐらせるようにしてうなずき、スーツの裾を軽く払ってソファに腰を下ろした。
 それから、パーティションの横に立ったままの彫像男に視線を向ける。
 男は軽く目礼して、応接コーナーを離れていった。
「さて」
 暫時その背中を目で追っていてから、仕切り直すように口にして、大竹は軽く両手を広げた。
「お呼び立てしておきながらお待たせして、恐縮です」
「忙しいようだな。なにかと」
「秘書官の職務なんていうものは、雑務ばかりなんですよ。
 草むしりと同じで、終わったと思うと別の場所にまた仕事ができてる」
 皮肉な響きを込めた草間の言葉に、しかし、大竹は難儀そうな笑みを浮かべてまなじりを下げた。
 無言でマルボロを一つふかす草間。
 うろんな視線を隠そうともしない怪奇探偵に、もう一度「さて」と呟いてから、
「早速ですが、本題に入ってしまっても?」
「待たされてたのはこっちの方だ」
「我々の方は、数日前からお待ちしていたんですよ」
 辛辣な物言いを切り返して、大竹。
「…なんだと?」
「草間さんが、リヒテ・ルルキアと接触を持った時から、我々はあなたをお待ちしていたんです」
 いぶかるように問い返す草間に、大竹は、事務的ではないにしろ淡々とした口調で、そう言った。
「あのカフェテラスの一件以来、ずっと俺たちのあとを尾けてたってことか」
「現場の手法は、私の関知するところではありません」
 上出来だよ。
 声にはせず、だが態度に表れるのを抑えようともせずに、吐き捨てる草間。
「うらぶれた探偵の追っかけをしてるとはな。
 CIAの真似事か? それともよっぽどヒマなのか」
「お気持ちはお察ししますが、我々にとってあなたはうらぶれた探偵ではありません」
「ほお」
 強く紫煙を吐きながら、草間は呟いた。
「『和製シャーロックホームズ』とでも?」
「とんでもありません」
 茶化すようなその言葉へ、大竹は生真面目な表情で首を横に振り、そして続けた。
「あなたは超一級の危険人物です」
 さらりと持ち出された、あまり気持ちのいい響きではない、その言葉に。
 呼吸二つ分ほどの間、相手の目を見据えていてから、
「…俺よりよっぽど凶暴なのを、いっぱい抱えてるみたいじゃないか」
 さっきまでそこに立っていた彫像男が消えた方へ、顎をしゃくってみせる。
 大竹は、少し困ったような微笑みを口元に浮かべ、
「彼らとは種類が違います。
 敢えて申し上げましょう。
 草間さん。警察庁には、日付を入れていないあなたの逮捕状が準備されています」
「…ここは霞ヶ関か? 市ヶ谷だと思ってたんだが」
「市ヶ谷ですよ。
 ですがこの分野において、警察庁と防衛庁は緊密な態勢を敷いています」
「…この分野?」
 訝しげに、草間。
 大竹は腰をかがめて、足元からゼロハリのアタッシュケースを取り上げた。
 デスクの上に置き、慣れた手つきで上蓋を上げる。
 そして、中から額装できそうなサイズの写真を取り出すと、それを草間の方へと差しだしてきた。
 受け取る。
 視線を手元へ落とし、そこになにが写っているのかを理解するや、草間はそれを無言で握りつぶした。
「草間さん」
 両手の平を胸の前で組むようにして、その上に軽く顎を乗せながら、大竹が口を開く。
「現状で、一般的な呼称はありません。全くと言っていいほど、表面化していませんからね。
 ですが我々はその分野を、素直に『心霊戦』と呼んでいます」
「…貴様…」
 絞り出すような、草間の声。
 大竹は小さく首を横に振りながら、言葉を続けた。
「今お見せした写真にあるのが、心霊戦で用いられる兵器です。
 一見して、全く人畜無害に見えるでしょうが」
「ストーカーの次はのぞき趣味か…!」
 吐き捨てるように。
 草間は、くしゃくしゃになった写真をテーブルへ叩き付けた。
 いびつな団子状になった写真が薄い合板の上で跳ね、乾いた音とともに床へ転がる。
 大竹はそれを目で追っていてから、小さなため息とともにそちらへ手を伸ばした。
 リノリウムの床から拾い上げ、広げる。
「草間さん」
 呼びかけながら、顔の前に写真をかざした。
 光沢のあるその表面に、草間の瞳が幾重にも映る。
「目を背けていられる時間は、もう終わりました。
 我々は真実と向き合わなければならない」
 砕けた鏡を通して見る像のような、乱雑に折れ曲がった写真の中で。
「…ふざけるな…」
 零がいつものマルボロのカートンを抱えて、興信所近くの路地を歩いていた。
「あなたが霊鬼兵を手中に収めた時、我々には希望的な観測が一つ、ありました。
 それは、このまま心霊戦というもの自体が無くなっていく、というものです。
 霊鬼兵はあなたの妹として扱われ、社会への順応も順調のようだった。
 このまま何事もなく、全てが歴史とともに風化していくことを我々は期待しました。
 だからこそ、今まで草間さんの手元に霊鬼兵を残してきたのです」
「いいか」
 言葉を遮り、指を突きつけると、
「まだ俺に聞かせたい話があるなら、あいつを「霊鬼兵」と呼ぶのをやめろ」
 平板な声でそう命じる、草間。
 だが大竹は、ゆっくりと瞬きをしてから、
「草間さん」
 掲げていた写真を下ろし、静かに続けた。
「真実から目を背けていられる時間は終わった、と申し上げたはずです」
「…何が言いたい」
「お分かり頂いているはずです」
 開けっ放しのアタッシュケースに写真を収め、
「もはや威力外交としての心霊戦が、絵空事ではなくなりつつある、ということですよ。
 ミサイル防衛とも自動火器での白兵戦とも違う。もちろん艦艇や航空機を伴う大規模運用とも違う。
 全く新しい国防のあり方が、今、問われているんです」
「…またどこかと戦争しようって言うのか?
 60年経って、痛みを忘れたってのか」
 草間は戦争の世代の人間ではない。だがそれが生み出す狂気を、よく知っているつもりだった。
 零の顔が思い浮かぶ。
 中ノ鳥島にいた頃の、張りつめた、だが空虚な表情。
 「笑え」と命じられて笑う少女の、仮面のような顔。
 だが。
「我々は防衛力です」
 大竹の答えは、判で押したようなものだった。
「我々は、一億二千万の生命と財産を守ります。
 それだけですよ」
「…その気になれば中国と戦ったって制空権を取れるだけの軍備があるんだろ?」
 視線をアタッシュケースに落とし、軽くため息をついてから、大竹がそれに答えた
「我々は軍備ではありません。
 ですが…戦闘効果を単純に比較すれば、そういう分析もありえます」
「だったら、何を今さら大戦末期の遺産を掘り起こそうとしている」
 口に出しながら、むなしい言葉だと、草間は自分を呪った。
 もう一度、大竹がため息をつく。今度は切り替えるように、音のないスタッカートで。
 それから、
「大戦末期、遺産はもう一つ残されました」
 ご存じですね。と、視線で問いかけてくる。
 草間は答えなかった。
 大竹の手が再びアタッシュケースにすべり込み、クリアフォルダに挟まれた資料を取り出す。
 それを静かに草間の前に置くと、
「こちらにも、正式な名称はありません」
 そっとその表紙から手を離した。
 蛍光灯を照り返す透明なプラスチックの表紙の奥から、草間を捉える、『白の襲撃者』の視線。
「資料のほぼ全てが、世界中のどこかに分散してしまいました。
 東京、ベルリン、ローマ、プラハ、パリ…そして世界の7割を占める海のどこかに、U−ボートとともにね」
 草間からの答えはない。
 大竹は「どうぞ」というように資料を指し示して見せた。
「ここにあるのは、どうにか回収出来たごく一部の資料と、その後の研究から掴めてきた概要についてです。
 本来は学術論文のようなものだったのですが、私のような素人にも分かるようにまとめ直してもらいました」
「…神聖兵器のことなら、知ってるさ」
 手を伸ばそうともせず、草間。
 呼吸二つ分の間のあとで、
「…その呼び名は、ルルキアから?」
 大竹が、手のひらを上向けるようにして軽く指先を向けてきた。
「能力もな」
 固い声で続けながら。
 草間はマルボロを引き抜き、唇の端にくわえた。
 鎮静剤のアンプルを切るような音を立ててジッポの上ぶたを撥ね、火をつける。
 大竹は軽く目を細めた。
「他にも、何か聞いたことが?」
 紫煙を強く吐き出しながら、草間は向かいに座った防衛官僚に一瞥を投げ、
「お前達が人命救助にかこつけて、『おおすみ』で誰に中ノ鳥島をご覧じさせていたのか、とかもな」
 そう口にする。
 大竹の瞳の奥へ、鋭い光が走った。
「…あの時点で、『おおすみ』は中ノ鳥島に一番近い位置にいました。
 自衛艦艇が草間さん達を救出に向かったのは、純粋にそれだけの理由ですよ」
 抑えた口調の大竹。
 草間はマルボロを軽く灰皿の縁に当て、皮肉げな笑みを浮かべた。
「輸送艦が転進して近海の島に向かうのが、海保の沿岸警備艇出動より早いのか。
 海上保安庁は今でも帆船を使ってるのか?」
 その言葉に、今度は大竹が口元を笑みの形にゆがめる。
「救助要請の第一報が海自に入ったんです。
 そこから所轄官庁を飛び越える時間を考えれば、海自が動く方が早い」
「ずいぶん慌ててたようだな」
「間違った判断ではなかったと思いますが」
 笑みを崩さないまま、そう言いきってから。
「それに、そう警戒なさらなくても、我々には碇女史をどうこうしようという意志はありませんよ」
 続いた言葉に、マルボロを挟んだ草間の指がピクリと動いた。
「…俺の知り合いってだけで、誰でも国家反逆者か?」
「私は『どうこうするつもりはない』と言ったんですよ」
「そもそも、麗香はこの件に無関係だ」
 にらみ据えるような草間の眼差しを受けながら、大竹は苦笑いで首を横に振った。
 そして。
「碇女史に、中ノ鳥島の一件を秘密裏に調査したいならいつもの自衛官は使うな、と伝えてください」
 舌打ちする代わりに、マルボロを唇へ当てる草間。
 その様子に、
「やはりあなたは、我々が予想したとおりの方ですね。
 草間さん」
 大竹はおもしろそうに目を細めた。
「…古い知り合いをかばうのが、そんなに珍しいことか」
 不快感を抑えながら、それだけ返す。
 軽く首をかしげるようにしながら、
「かばい方が、ですね。
 なるほど、あなたにお越しいただいたのは正解だったようだ」
 と大竹。
 草間の鼻にしわが寄った。
「…何が言いたい」
 紙巻き煙草を揺らしながら、苦々しく。
「草間さん」
 大竹は軽くソファへ腰掛け直すと、膝の上で両手の平を結んだ。
「ここであなたに隠し事をするのはやめましょう。
 いかにも、我々は『おおすみ』で民間人を中ノ鳥島に近づけました」
「サミュエル・ハンター。
 国防総省出身が民間人か?」
「あのときにはもう軍人ではありませんでしたし、私人としてのハンター氏は、尊敬できる好人物です」
「古い知り合いだからな。かばいたくもなるだろうさ」
 揶揄の言葉に、大竹は軽く笑って、
「ハンター氏は民間人ですよ。
 そうであればこそ、IO2にも米軍にも気取らせることなく、『おおすみ』に乗せることが出来た」
「…ずいぶん慎重だったんだな」
「そうすることが必要でしたからね」
 草間は大竹から目をそらさないまま、無言でマルボロを深く吸い込んで、
「サミュエル・ハンターを中ノ鳥島に近づけることがか?
 それとも秘密裏にハンターを『おおすみ』に乗せることがか」
 紫煙とともに、言葉を向ける。
 片方の頬だけを引き上げるようにして、大竹は笑った。
「両方です」
「なんのためにだ」
 訝しさに、草間の眉根が寄る。
 大竹は軽くうなずきながら、
「ハンター氏を含め、我々は――――あなた方と霊鬼兵を、一度この目で確かめる必要があったのです」
 小さく、膝の上で両手の平を広げた。
「…覗き趣味以外の意味を感じられないな」
 灰皿に吸い殻をねじりつけ、草間。
 剣呑なその視線をまっすぐ受け止めて、大竹は続けた。
「アメリカは、過去に大きなプロジェクトを立ち上げたことがありました。
 来るべき心霊戦に備えた、特殊部隊創設に関するものだった。
 軍を上げて最新技術を取りこんだ高度な兵器を開発しながら、もう一方では、科学とも迷信ともつかない分野に分け入っていたのです。
 もちろん、秘密裏にね。
 しかし、ここで一つ誤算が生じた。試行錯誤をしながら成長していく中で、その特殊部隊は、不倶戴天の敵と接触してしまった」
「…IO2と虚無の境界か」
 乾いた響きの、草間の声。
 大竹はうなずいた。
「悪い冗談のような二つの組織が、お互いを知ってしまった。
 容易に国境を越える心霊テロリズムに対抗すべく、IO2は大きく指針を転換しました。
 その結果、IO2は「虚無の境界としか戦えない」組織へと変貌した」
 大竹の言わんとしていることが、草間には読み取れた。
「…世界警察…」
 あのカフェテラスでルルキアがIO2を評した言葉が、甦る。
 国家を離れ、自らを人類の利益代表として行動する組織への変革。
 それはつまり、「国家の境界を飛び越えて活動することが許される代わり、どこかの国家のために活動することは許されない」組織だ。
 国境のない心霊テロリズムと有効に戦うためには、確かにそれは必要な変身であり、そして同時に、
「――大いなる誤算でした。
 アメリカにとっても、我々にとってもね」
 草間の思考を見抜いたかのように、あとを続ける大竹。
「…自分の家だけ守らせたかった番犬が、ご近所の平和に目覚めちまったわけだな」
 草間は皮肉な言葉を、ただ淡々と。
 そして、ご近所の平和に目覚めた番犬は、家を守ることができなくなる。国連軍という組織が、その好例だ。
 向かいに座る大竹が、その視線を逸らさないまま、ゆっくりと口を開いた。
「今はまだ、IO2は事実上アメリカの指揮下にあります。
 しかし、それを公にはできないし、いずれその指揮権もアメリカの元を離れるでしょう。
 しかもそれは、最悪のタイミングでこそ起こりうる変化です」
「……あんたらの懸念は読みが深すぎて、しがない探偵には理解不能だよ」
 次の一本を唇へあてながら、草間。
 ジッポをつける。揺らめくオレンジの炎の向こうで、防衛官僚が苦い笑みを浮かべた。
「心霊戦という新しい戦争のあり方が、国際社会に認識されたときにこそ、アメリカはIO2を正式に手放さなければいけなくなるということです。
 IO2は国際色を強めすぎた。
 対心霊戦闘――裏を返せば心霊戦そのものへのIO2の強力な装備とノウハウをどこか一国が握ることは、世界のバランスを崩すことになる。
 たとえて言うなら、その時のIO2は「国連が保有する核」というのと同じことです。国連が保有する心霊戦争抑止力と言い換えてもいい。
 そのスイッチを、アメリカだけが握ることは決して許されない」
「なるほどな」
 その言葉にぞんざいな相づちを打つと、
「それで、それとサミュエル・ハンターが俺たちを見に来たことと、どうつながる」
 突きつけるように。
 草間はマルボロを挟んだ指を向け、強く煙を吐き出した。
 もう一度苦笑いを浮かべ、
「いずれIO2はアメリカの手を離れる。しかし、アメリカは国家として心霊戦力を失うわけにはいかない。
 結論は一つでした。
 少しでも早く、第二の、そして今度こそ「アメリカ軍」としてのIO2を創ること」
 大竹は、そう答えながら軽く手を広げた。
「そしてそのための礎は、リヒテ・ルルキアを主任とする神聖兵器研究チームによって準備されていました。
 それが、草間さんもご覧になった『レナーテ』です」
「そいつは残念だな。神聖兵器は戻って来れないかも知れないぞ」
「その時は、『レナーテ』には期待された性能がなかった、という結論に至るだけです」
 まるで新開発の戦車の話でもしているような、その口ぶり。
「…モノみたいな扱いだな」
「彼女たちを無条件に人間扱いする方が不自然だとは、思われないのですか。草間さん」
 紙巻きをくゆらせていた草間の手元が、止まった。
「…彼女たち、だと?」
 不穏な響きの込められたその言葉に、直接答えることはなく。
 大竹は、仕切り直すように軽く手の平を広げて、
「適材を適所に配置する。非常に基本的なことです」
 事も無げに、そう言った。
 繋がりの見えないその言い回しに、
「どうして役人はこう、言葉遊びが好きなんだ?」
 苛立ちもあらわに髪をかき上げる草間。
 が。
「お言葉ですが、防衛は、遊びではありません」
 わずかに上体を乗り出すようにして大竹が返した言葉と眼差しは、
「その現場で自衛官たちが命を賭け、時に殺し、時に死にます」
 氷のナイフのように冷厳だった。
「あとでどれほど国会答弁を重ねようが、どれほど国債を発行して穴埋めしようが、何階級跳ね上がって勲章が贈られ、家族に補償金が支払われようが、絶対に取り戻せないものが現場では失われていく。
 それが、防衛です」
 その口調が抑えられているがゆえに、防衛官僚の胸の内がなお強く迫ってくる。
 それは触れれば切れそうなほどに張りつめた、義務感や責任感と呼ばれるものだった。
 草間は大竹の目を真っ直ぐに見据えたまま深くマルボロを吸い込んで、
「…防衛ラインで命を賭ける自衛官を侮辱する気はない。
 だが、それは彼らの職務だろう? 俺が探偵業で危ない橋を渡るのと同じだ」
 わずかに、声を和らげながら。
「彼らにも家族がいる。親もいる。恋人もいるでしょう。
 彼らには彼らの財産がある。等しくこの国が守るべき、一億二千万の生命の一つです」
「…そうだろうな。それを否定する気はない。
 だがな、俺が聞いているのは――」
「草間さん」
 探偵の言葉を遮って、大竹が口を開いた。
「適材を適所に配置する、と申し上げたはずです。
 私には、機関銃で攻めてくる相手に竹槍で応戦しろなどと防衛ラインの自衛官に命令することはできない」
「…なんの話だ」
「お分かりのはずです。
 霊鬼兵とまで言わなくてもいい。必要充分な力を持つ異能力者を相手に、今の自衛隊の装備も訓練も、竹槍同然だ」
 目を逸らさないまま、唇を閉ざす草間に。
「我々には、この国の人々を守る責務がある。
 そのためには苦渋の選択でも躊躇はしない。
 写真を拝見しました。もちろん『おおすみ』で実物も目にした。部下からの報告にも目を通しています。
 その全てが、草間零が可憐な少女だと告げている。
 レナーテにしても同じです。
 だが、霊鬼兵や神聖兵器が戦闘を効率的に終結させることが出来るなら、私は彼女たちを最大限に利用することをためらわない。
 彼女たちが戦うことで、救われる幸せがあります。
 裏を返せば、彼女たちはそのためにこそ生み出された」
 大竹の手が、テーブルの上の資料に載せられた。
「それが、彼女たちの職務なのです。
 あなたが探偵業で危ない橋を渡るのと、同じだ」
 強い光を秘めた眼差しを正面から受けて、ようやく、草間にも構図が見えてきた。
 米国に力を貸しているのは、米国側から強要されているからではなく、
「……サミュエル・ハンターに協力することで、神聖兵器を融通してもらう約束でも取り付けたか」
 この国自身が、神聖兵器や霊鬼兵のような心霊戦闘力の拡充を計画しているからだ。
 防衛官僚が答えた。
「共同開発する約束です。
 成果は日米ともに還元される」
「そりゃめでたいな。
 開発は大成功だよ。レナーテはとんでもない破壊力を見せつけて暴れ回ってる」
 草間はスチールの灰皿へマルボロを投げ捨て、そして続けた。
「今すぐハンターに電話して、神聖兵器を引き上げさせろ。
 神聖兵器とお前たちが零にしたことは、忘れてやる」
「それはできません」
 言下に返された、大竹の言葉。
「…なんだと?」
 草間の声が一オクターブ低くなる。
 しかし、大竹は静かに続けた。
「これは神聖兵器の最終実地試験です。
 中断することはあり得ない」
「試験の結果は上々だろう。零を寸前まで追いつめたんだ」
 地下駐車場での激闘を思い出し、こめかみのあたりへ力がこもるのを感じながらの草間。
 しかし。
「草間さん。
 あの状況が霊鬼兵にとって最良の条件ではなかったことに、あなたはお気づきのはずです」
「最良の、だと…?」
「中ノ鳥島のように、極端に霊的要素の強い場所でこそ、霊鬼兵は真価を発揮します。
 そしてそうした状況下でなお神聖兵器が霊鬼兵を倒せるのかどうか、確かめなければならない」
「なぜだ。どうしてそこまでする必要がある。
 零だけじゃない。地下駐車場では、レナーテ自身死ぬ寸前だったんだぞ!」
 思わず、声を荒げた草間へ。
 大竹は、
「…その結果に、一億二千万の生命と財産の安全が、かけられるからです」
 静かに答えた。
「配備される際に神聖兵器へ求められる性能は、まさにそうした水準にある。
 圧倒的に不利な状況下でも、強力な異能力者に対して勝利できる必要があるのです」
「血税を注ぎ込んだ自衛隊は張り子の虎か?
 神聖兵器と混成で運用すれば、充分な成果を上げられるだろう」
「あなたを相手に、数字だけの破壊力の話をしなければいけないとは思っていません。
 密かに都市の中へ紛れた、霊鬼兵のような可憐な異能力者を狩り出すのに、航空戦力や機甲師団が実効を持つと思われるほど、あなたは楽天家ではないはずだ」
 目をすがめるようにして、大竹。
 草間はテーブルの上へわずかに身を乗り出しながら、
「ちょっと待てよ。何より分からないことがある。
 さっきから異能力者って連呼してるがな。この国が虚無の境界にでも狙われる理由でもあるのか」
「虚無の境界であれば、世界中どこであってもIO2が対応します。今までも、これからも。
 我々が対処しなければならないのは、我々の国を標的とした、敵国からの心霊攻撃です」
「そんな国が?」
「ない。とおっしゃるのであれば、あなたの現状認識は甘いというにも程がある」
 その瞳に宿る眼光を鋭いものにして、大竹。
「だいたい、どうやってその『敵国』とやらは異能力者を集めるんだ?
 ミサイルや機関銃とは違うんだぞ。工場で生産出来るモノじゃない」
「草間さん。
 あなたにも分かっているはずです。霊鬼兵は、まさしく工場で生産された異能力者だ。
 そして、あなたがそうした事実を知りながら目をつぶろうとしていることが、あなたの霊鬼兵への入れ込みようを表している。
 それは言い換えれば、人々の生活に紛れ込んだ霊鬼兵を探し出して捕らえることが、いかに難しいかを表してもいる」
 草間は暫時口をつぐみ、それから、
「…どうして、零にこだわる」
 自分でも嫌気が差すほどに、利己的な質問を向けた。
「現時点で確認されているもっとも高い水準でバランスの取れた、そして我々が想定する最悪のケースにもっとも合致する異能力者が、霊鬼兵だからです」
 返された答えに反論の余地はなく、
「…中ノ鳥島の一件があった時から、決めていたんだな。
 必要とあらば零を神聖兵器の最終テストで使うってことを。
 …だからハンターを『おおすみ』に乗せて、俺たちや零を確認させた」
 大竹は目を逸らさないまま、静かにうなずいた。
 そして、
「心霊戦に備えた自衛力を持たなければいけないのは、アメリカだけではなく我々も同様です。
 草間さん。あなたは我々がまた戦争を始めようとしているのかと仰いましたが、それは実情を理解されていない意見と言わざるを得ません。
 自発的な開戦の意志がなくとも、今のこの国は、戦争に引きずり込まれる側に立っているのです」
 そう、続ける。
 草間はジャケットからマルボロを抜き出し、くわえた。最後の一本だった。
「あなたの手元に霊鬼兵を残した際の希望的観測は、残念ながら、早くも水泡に帰しました。
 我々が真実から目を背けていられる時間は、もう終わった」
 自身、苦渋の色をにじませて言葉を紡ぐ大竹を見やりながら、火を付けて、深く吸い込む。
 ――変な気分だ。腹も立たないとはな。
 天井に向けて、細く長く、紫煙を吐きだした。
 実際のところ、なぜ自分が大竹に腹が立たないのか、分かっていた。
 怒りをぶつけるべき相手は、彼ではない。
 もちろんハンターではないし、リヒテ・ルルキアやレナーテでもない。
 何かを守るために戦わなければならないという、世界そのものの有り様こそが、怒りの対象だった。
「…なんのために、俺をここへ?」
 ずいぶんと間があったあとで、草間はそう口を開いた。
「…あなたには、我々の考えを理解して頂く必要があったからです。
 来るべき時には、きっとあなた方の力を借りる必要が出てくる」
「零に刺客を差し向けるような奴が何を頼んだとしても、俺が手を貸すと思うか?」
「意地を張るかわりに百人単位の人が命を失い、それに連なる千人単位の悲しみが生まれます。
 それを癒す方法などないという事実を、あなたが無視して羞じるところがないというのであれば、ご自由に」
 平板な声でそう返して、大竹はゼロハリを閉じた。
「きっと必要になる。
 神聖兵器の報告書には、目を通しておいて下さい」
 テーブルの上の資料を示して言いながら、席を立つ。
 無言で見送る草間。
 大竹は、パーティションのわきに立ったところで一度足を止め、
「…お気持ちは分かります。
 私にも、娘がいる。あの子の未来と引き替えであれば、私は自分の命など惜しくはない」
 振り返ることなく、呟くようにそう口にして。
 再び集まってきた屈強な彫像男に目線で何か命じて、部屋を出て行った。

 残された草間は、テーブルの上からレナーテの資料を取り上げた。
 パラパラとめくってみる。
 かなりの枚数だ。一部に図表や写真が混じっているが、これに全て目を通すとなると、それなりに時間がかかるだろう。
 草間はそれを携え、ジャケットを手に応接コーナーを出ようとした。
 しかし、まるで自動ドアか何かのように、あの彫像男がパーティションの前に立ちはだかる。
「…なんだ」
「この部屋からお出しするわけにはいきません」
「なんだと?」
「あなたの安全のためです」
 相変わらず、テープレコーダーと話している気分にさせられる声だった。
 草間は無言で、座り心地の悪いソファに戻った。
 今ここで暴れても、状況は何一つよくならない。それならば、できることはただ一つだった。
 合皮の座面に腰を下ろすと、レナーテの資料を開く。
 それから、
「おい、マルボロとコーヒーを頼む」
 ついたての前の彫像男へ。
 さすがに怪訝な感情を示す方向へ動いた男の眉を見て、草間は簡単に補足してやった。
「探偵が推理をする時の、必需品だ」


   ――――『白の魔弾』第四章へ続く。

 

これは「東京怪談」にて連載の『白の魔弾』第三章のサイドストーリーです。

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(C) 草村悠太
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