無題掌編
2003年6月20日 掲載

草村 悠太
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「今考えてること、当ててあげよっか?」
 助手席から、十歳になる娘の、場違いなぐらいいたずらっぽい声がかけられる。火もつけずにくわえていただけの煙草を口元から外して、彼女の方へと目を向けることもなく、先を促した。
「…言ってみろ」
「時間が戻せればいいって、思ってる。
 当たり?」
「…外れではない」
 軽く目をやりながら答えてやると、娘はいとも満足そうな表情で笑った。それから、
「仕方ないよ。渋滞は誰のせいでもないし」
勢いよくシートへ背を投げ出して、そんなことを言ってくる。
 彼女の勧めを聞かずにこっちの通りを選んだ父への、皮肉だろうか。
 私は「まあな」と適当な返事を返した。娘が小さな笑い声をもらしたのを最後に、車内に再び沈黙が戻る。相変わらず、連なるテールランプが前へと流れる気配はない。苛立ちが、つい舌打ちになって出た。
「…時間ってね」
 聞こえたのか、娘が不意に口を開いた。
「お弁当箱みたいなものなんだよ」
「…つまり?」
 私の方は言葉遊びに乗れる気分ではない。
「過ごし方が大事ってこと。その器の大きさじゃなくて、中に何を入れるのかとか、入れ方とかがね」
 そう言って屈託なく笑う、娘。その表情に、不出来な父はようやく彼女の胸の裡を掴んだ。
 ほんの数時間前、彼女は遺伝性の臓器不全だと宣告された。正直、一生知らずに済んだならと思わずにいられない。今でもだ。
 幼い彼女に残された時間は、あまりにも少ない。現実は酷薄だ。今も彼女の時間は渋滞で浪費されていく。そう、何もしなければ。
「…おいで」
 自分の腿を軽く叩いて促す私へ無邪気に微笑みながら、娘はすぐに抱きついてきた。
 やわらかくて小さな体の中で、人間に必要とされる部品の全てが、懸命に息づいている。
 ――――例えそのいくつかが、生まれながらの欠陥を抱えていようとも。
 車はまだ動かない。耳元で彼女の声がした。
「お父さん。明日、お天気だといいね」

《了》

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