『あなたがこれを見るとき、私はこの世にはいません。』
ビデオの中の彼女は、屈託のない笑顔で、そう言っていた。
機内では、甲高いローター音とエンジン音、そして200メートル下方で繰り広げられている戦闘の喧噪が渦を巻いている。
私は、大きく開け放たれた機体横のスライドドアから身を乗り出し、土埃と爆炎に覆われた地上に、わずかなサインを読みとろうとしていた。
『つまり、どんなに私が素敵に見えても、口説くチャンスはないってワケ――』
邪気のない言葉。自分で言っておいて照れたのか、ブラウン管の中で、まるで子供のように頭をかく。
視界の隅を、発光信号筒の、ストロボよりも白い光が射抜いた。
「いたぞ! 七時方向、距離1500!」
一定間隔で点滅するその光をしっかりと視界中央に捉えなおし、私は機内に叫んだ。
ヘリの機体が大きくバンクし、ためらいなく急降下していく。
銃弾の雨を突っ切り、砲火の下へ。
『私の臓器を移植するのがどんな人なのか、当たり前だけど、私には全然分かりません』
彼女はちょっとカメラから視線を外した。その膝の上に、相棒らしきミケ猫が飛び乗ってくる。
ヘリの外壁を、軽機関銃のパラベラム弾が乱打した。むき出した背骨を金属棒で直接叩かれるような、神経を打ちのめす音。
時折混じる、いかにも貫通力をうかがわせる高くて鋭い衝撃音は、強化装甲板でライフル弾が弾けるときのものだ。
『でも、ね。
私の心臓とか肝臓とか腎臓とか、そういうもので、ちょっとでも長生きが出来る人が、聖人でも大悪党でも、一つだけ約束してほしいことがあります』
画面の中で、彼女は微笑みながら、またその真っ直ぐな眼差しをこちらへと向けてきた。
ヘリのステップが乾いた地面にぶつかり、視界をふさぐほどの砂埃が巻きあがる。
私はすぐさま駆けだした。
『難しいことじゃありません。ほんのちょっと心に留めておいてもらえれば、それで充分』
そう言ってから、こぼれ咲く花のような笑顔と共に、彼女は続けた。
『ただ、感じてください。
私と一緒に、生きているっていうことを』
ヘリの機体を唯一の盾に、折り重なるようにうずくまっている一団へと駆け寄る。
かすり傷だけの者から、身体の一部が完全に吹き飛ばされている者まで。
同じ恐怖におびえる者たちが、身を寄せ合って震えていた。
『忘れないでください。
私の一部があなたに生きる力を与えるとき、私もあなたの力で一緒に生かされるんだってことを』
私は手近の一人を担ぎ上げ、残る全員に叫んだ。
「見捨てるな! 背負って走れ!」
言葉が通じたのかどうかは分からない。
私は先頭に立って走り出した。ヘリまでの数十メートルが、月までよりも遠い距離になる。
爆音と共に戦闘機が上空を駆け抜け、一瞬の後、ほんの百メートル後方が、地表から吹き出した怪物の舌のような焔の海に飲まれた。
『願わくば、私の祈りが、あなたの神さまにも届きますように――――』
そうして、彼女は静かに微笑み、頭を垂れる。
そこには、ささやかでかけがえのない善意があった。
ここには果てしない憎しみと恐怖がある。
なだれ込むようにしてヘリへと飛び込み、私は叫んだ――――「退避ーッ!」
瞬間、私の正面、機体側方の装甲板に、次々と穴が空いた。
ヘリの中に赤い靄がかかる。
徹鋼弾。1分間に数十発の、暴虐の嵐。
ヘリは強硬に上昇した。重火器の怒号が、鋼鉄を引き裂きながら間遠になっていく。
機体が安全な高度を取った。
機首を巡らせ、前線に最も近いベースキャンプへと急ぐ。
キャンプでは、世界各地から集まったボランティアの医師団が、この血にまみれたヘリを待っていた。
機体外壁の赤十字は穴だらけだ。
吹き飛ばされた遺体からあふれ出した血はヘリのフロアを流れ、戦場の上に赤い雨を降らせていた。
それでも、機体の中からはうめき声がもれてくる。
上出来だ。苦しいと感じられるなら、生きている証拠だ。
あたたかい血の海に浸りながら、私は彼女からもらった心臓に手を当ててみる。
彼女はそこで、しっかりと息づいていた。
《了》
(C) 草村悠太
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