ルーマティ

しとしとと雨が降っていた。ここ数日降り続く陰うつな天気は、夕方になっても晴れる兆しはない。門番は飽き飽きしていた。たとえ防水の外套を纏っていても、身体はぬれてしまう。おりしも季節は秋の終わり。交代したら温めたワインでも飲まないと、風邪をひいてしまうだろう。厚着をしててよかったなー、と胸のうちでぼやきながら、門番は遠くから近づいてくる人影を見つめていた。
貴族街をいきかうのは、大抵、馬車だった。徒歩でうろつくものはほとんどない。雨にぬれた外套をはおって近づいてくる人影を注視すれば、それはまっすぐにこちら――リューガ邸へと歩いてくる。
「何者だ!」
誰何の声をあげれば、人影は片手をあげた。
「ごくろうさまです」
見知った声の主は、気さくな挨拶をする。門番は、声につられるように頬をゆるめていた。
「これはフィデスさま!お帰りなさいませ!」

いつもは静まり返っている邸内の空気がざわついていた。だから、予感はあった。それを確信するためにレムオンは、自室から中央階段へとむかった。中央階段の上から玄関ホールを一望すれば、はたしてメイドや従僕に囲まれ義妹――フィデスがたっていた。
降り続く雨の中を歩いてきたのだろう。もはや防水も無意味な外套や鎧は侍女頭がとりあげていたが、なおも髪や服、ブーツから滴がしたたりおちている。まさしく濡れ鼠な姿だった。渡された乾いた布でぬぐっても、きりがない。とりあえず濡れたものを脱がなければ、無意味だろう。世話をやきたがるメイドたちに、お人好しの義妹はおだやかな笑みを浮かべながらも首をふっている。大方、濡れ鼠の自分があるけば絨毯が濡れてしまうとか余計なことを考えているに違いない。軽い溜め息をこぼすと、レムオンは階段に足をかけていた。
「ひどい格好だな」
段上から声をかければ、玄関の喧燥がぴたりと収まる。自分に気付いた召使いたちが頭を下げるなか、赤い頭がひとつだけ自分を見上げていた。まっすぐに自分をみつめる榛色の瞳は、やわらかな光を放っている。
「ただいま戻りました、義兄さま」
優雅な動作で軽く頭をさげるフィデスに近づくと、レムオンは自分の纏っていたガウンを投げつけていた。いささか無作法だが、しかたあるまい。
「着ろ」
短く命じれば、フィデスは一瞬、きょとんとした表情を浮かべる。
「え、でも、ガウンが濡れ…」
「着ろと言った」
反論をゆるさずに、再度告げる。強い口調に肩をすくめたフィデスは諦めたように、ごそごそとレムオンのガウンに袖を通していた。レムオンの体格にあわせて仕立てられたガウンは、フィデスの細い身体をすっぽりと覆ってなお余る。途方にくれる姿を横目に、レムオンはセバスチャンに確認する。
「湯浴みの支度は?」
「もうじき、フィデスさまのお部屋のほうに整います。暖炉はいま火をくべた所ですので、お部屋が温まるまでしばらくかかりますが…」
「湯浴みが先だから、かまわん。それまで、これは俺の書斎につれていく」
「かしこまりました」
当主と執事の会話に、フィデスは口をはさもうとするが、ぎろりとレムオンに睨まれると口をとじて肩をおとす。心底、困ったという風情でもって。だが、フィデスの困惑はなおも深まるのだった。
傍らのレムオンに無造作に肩を後ろにひかれた。唐突な行為に、バランスを崩す。次の瞬間、フィデスはレムオンに軽々と抱き上げられていた。
「ひゃ…っ…!」
「色気のない悲鳴をあげるな」
軽々とフィデスを抱き上げたレムオンは、あぶなげなく階段を上っていく。
(い、色気のある悲鳴って…どんなのだろう…?)
必死で声を抑えながら、フィデスは現実逃避のように考えていた。
いささか乱暴に、書斎のソファの上に下ろされる。その間、フィデスは子供のように身体を小さくすくめていた。実際、抱き上げられるということは、子供の頃以来だった。幼い頃、貧血をおこした自分を兄であるロイは軽々と抱き上げて連れ帰ってくれた。まさか義兄にも同じようなことをされるとは考えてもいなかった。細身に見えて、意外に膂力があるらしい…とフィデスはレムオンの認識をあらためる。
どこか呆然とフィデスが思考をめぐらし、沈黙しているのに構わずレムオンは行動する。まだ雫のしたたる髪にタオルをかぶせると、命じていた。
「俺が戻ってくるまでに、そのブーツを脱いでおけ」
「え、あの…」
フィデスの答えを待つことなく、レムオンは書斎を後にした。廊下にでたとき、ふと自分の腕をみおろす。抱き上げた身体は、思っていたよりもずっと軽かった。名の知れた冒険者となり、剣聖とまで称されても、実際は自分の腕の中に納まってしまう娘なのだと、改めて思い知らされる。
娘は、身体を縮こめていても警戒はしていなかった。義兄だからと安心していた。寄せられる無条件の信頼は、安らぎと同時に苦いものがあった。信頼してほしいのか。警戒されたいのか。無理矢理したてあげた義理の妹に、自分は何を求めているのだろう。口の端に苦い笑みをレムオンが刻んだとき、廊下にセバスチャンが現れていた。音もなく静かに押されるワゴンには、暖かいルーマティと軽食が乗せてあった。
「今しばらくかかりますゆえ…どうぞこちらを」
「──手間が省けたな」
気の利く執事を誉めると、レムオンは改めて己の書斎をノックして、扉をあけた。ソファに座っている娘が、あわててガウン裾に隠した白く細い足首と小さなつま先を、みない振りをして。



※レムオン偽物。そしてフィデスは、ナチュラルに従順すぎ。なんということもない日常を希望したのですが。不完全燃焼気味…。オチもつきませんでした。残念。