千の夜をこえて

パステルが、俺をどう思っているのか。それを思うと夜も眠れなかったことがある。そういうことを考える余裕のないあいつの行動に嫉妬したり、八つ当たりしたり。今になって思うと、あの頃の自分を切実に、殴り倒したい。
キットンに「わかりやすい」と揶揄されたことがあったが、当時を思うと「その通りだ」と頷くしかない。
俺は、ずるいガキだった。
向き合いたくて、素直になれないのを、パステルのせいにしていた。あいつがガキで俺の気持ちに気づかないから、こんな苦労をしてるんだと。無傷のままで、誰かを愛せるわけもないのに。
パステルが封印されたとき、後悔した。
もっと時間があると、高をくくっていた己の甘さを。事あるごとに「甘い甘い甘い――!」と連呼して、相手を責め立ててていたくせに。一番の甘ちゃんは、己だった。あんなに速い別れを、想像したことは一度もなかった。
パステルを飲み込んだ大樹にすがって、ルーミィは泣いた。シロもキットンもノルも。けれど、俺は泣けなかった。泣きたかったのに、涙が出なかった。視線を感じて顔をあげると、クレイが俺を見つめていた。クレイの瞳も、乾いていた。
まるで鏡に映した自分自身を見ている気分だった。
心臓が引き裂かれるほど悲しいはずなのに、涙がでない。心の一部分が、壊れてしまったかのように。後にキットンが教えてくれた。深すぎる悲しみは、涙を枯らすのだと。容易く人を絶望に追い込み、死に至らすのだと。
確かにあの時、俺たちは絶望していた。
パステルの喪失と、自分という存在に。
あのまま希望がなかったなら、自分が何をしていたのかわからない。自殺という可能性はなくても、自暴自棄になっていただろうと思う。間違いなく幸せにを感じることはなかったはずだ。
封印を解く可能性を、俺は信じた。クレイも、他の皆も信じた。
信じなければ、何も始めることができなかった。


結局、パステルが俺をどう思ってるかは、どうでもいいことだった。ただ俺はパステルを愛していて、その想いが15年たった今も変わらないということが、揺るぎの無い事実だった。
だから、伝えなきゃならない。
叶わない思いは辛いし、傷つくのは怖い。
でも喪失の痛みにくらべれば、何ほどでもない。
俺は、還ってきたパステルを見た。金茶色の髪と、はしばみ色の瞳。細い肢体は相変らず色気が足りない…と昔は思っていた。18才で色気たっぷりっていうのも、今思えばかなりヤバイだろうに。未婚の18才としちゃパステルは年相応で、むしろ初々しさでポイントが高い…なんて思うと、自分が年をとったんだなーっと思い知る。
ぐるぐると脳内でいろいろと思考が錯綜した。悩む前に、言ってしまえ!と決意しても、声がでない。パステルは、どうみてもやっぱり18才で、今の俺は認めたくないがオヤジと言われても否定できない34才だった。
俺の視線に気が付いたパステルが、笑いかけてきた。つられて笑みを返すと、パステルはべったりくっついていたルーミィに小声で何かつげ、再会を喜ぶ仲間たちの輪から離れて、俺の方にやってくる。
チャンスだった。今だ!と決意して、俺が口を開くよりも先に、パステルが言った。
「あのね、トラップ。わたし、ずっと、あなたに伝えたかったことがあるの」
「わーっ!」
焦った俺は、とっさにパステルの口を掌でふさいだ。
「ちょっと待て!頼むから、待ってくれっっ!」
掌の内側にパステルのくちびるの感触を感じながら、俺は叫ぶように口走っていた。期待なんて、するべきじゃない。あの頃、しょっちゅう誤解して天国と地獄を往復していた記憶を思い出すんだ、俺!だらだらと脂汗を流す俺を見上げて、パステルは目を細めた。とても嬉しそうに。それは、まるで何もかも見透かしているような――女の眼だった。
ああ、そうだったんだ。
俺は理解した。パステルの心も、18才の頃のままじゃなかった。確かに彼女の上にも、時は降り積もっていたのだ。
ゆっくりと手を離すと、やっぱりパステルは微笑んでいた。そうして俺の言葉を、待ってくれていた。


「パステル、俺はお前が好きだ。誰よりも、愛してる」


声は、情けないくらい震えていたと思う。
俺の言葉に、パステルの笑みが深くなる。
それは、幸せな笑みだった。
「…知ってたよ。わたしも、ずっとずっと、好きだったから――」
言葉を聞き終えるよりも先に、俺はパステルを抱きしめていた。
世界中の何よりも大切な、俺の女を。