決意の朝に

セスの視線を真っ向から受け止めて、トラップは言った。
「今の会話だと、お前はパステルと話したことがあるみてーだな?」
先ほどの驚いた顔はきれいに失せて、口調に揺るぎは無い。冷静に問いただす、年長者の声だった。気おされるものかと腹に力をこめ、ひるむことなくセスは答えた。
「ああ。俺には、彼女が見えたから」
セスの言葉に、こちらも平静な表情になったクレイが、真剣な顔で言った。
「セス。できれば、詳しく教えて貰えないだろうか?」
セスから一通りのことを聞いたトラップとクレイは、つかのま視線を交わした。それだけで、分かり合うことができるらしい。セスは疎外感を感じて不機嫌になる。傍らのルーミィも、どうやら同じようだった。
わずかな苦笑のにじむ声で、クレイは呟いていた。
「…考え付きもしなかったな」
「灯台下暗しってヤツだな」
トラップもかるく頭をふる。自分自身を嘲笑うかのように。
しばしの沈黙の後、クレイはセスとルーミィに向きなおる。
「…とりあえず、食事にしようか」
かけられた声は、場違いなほど明るかった。思わず口答えしようとした二人を、穏やかな視線で押しとどめてクレイは続けた。
「夜の移動は得策じゃないし、休めるときには休むべきだ。今は、まだ焦る時期じゃないしね」
トラップも同意したとき、セスの腹が情けない音をたてる。赤面するセスにルーミィが文句を言い、トラップがからかい、遅めの夕食ははじまるのだった。


夕食が終わり、それぞれが寝室に引き取る時分になった。クレイがセスを一階の客室に案内し、トラップとぐっすり眠ったシロを抱えたルーミィは二階へ上がる。それぞれの部屋に分かれようとしたとき、トラップの上着の端をルーミィがしっかりとつかんでいた。怪訝そうに振り向いたトラップに、ルーミィがうつむきながら伝える。
「一緒に、寝てほしいの」
肩を落として心細そうに告げられた言葉に、トラップはため息をついていた。それから大きな手でもって、ふわふわのシルバーブロンドをぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「年頃の娘のセリフじゃねーだろ」
「…ごめんなさい」
もっともな言葉に、ルーミィはしょんぼりとしてあやまるしかない。ルーミィが最後にトラップに添い寝をしてもらったのは、もう十年以上も前の話になる。それでも、今夜は一人で眠りたくなかった。自分とシロだけでは、ベッドは寂しすぎる。
「添い寝はお断りだ」
だがトラップの言葉は、はっきりしていた。素直に寂しいといえないルーミィは、トラップの上着の裾を相変らず握り締めている。じっとそれを見ていたトラップは、しょうがないという風に言った。
「眠るまでなら、側に居てやる」
「ありがと…」
ルーミィは短い声で感謝を告げた。それ以上は、言葉にならなかった。
ベッドに潜り込むとルーミィは、泣いていた。毛布をかぶって、声を殺しながら。
トラップは、何があったのかとは訊かなかった。ただ震える毛布の塊からはみ出したシルバーブロンドを、やさしく梳いていた。ようやく涙が止まったころ、もそもそと毛布から顔をだして、ルーミィはトラップを見つめる。
「……セスは、ぱーるぅが好きだって言ったの」
ルーミィはなおも続けた。
「愛してる、って」
「そうか」
短く答えたトラップは、表情を変えなかった。だから、ルーミィは訊ねた。
「トラップは?」
ずっと思っていたことを、聞かずにはいられなかった。
「トラップは、ぱーるぅを、愛してるの?」
トラップの返事は無い。
ルーミィは知っていた。パステルが居たときから、ずっと。クレイとトラップが、パステルをとても大事にしていることを。その感情を何と呼ぶのか、小さかった頃はよくわからなかったのだけれど。そしてパステルが、クレイとトラップを特別に思っていることも知っていた。
「前に、クレイが言ってた」
黒髪の戦士が、騎士になったとき。彼が彼女のために誓いを立てたことを、不思議には思わなかった。
「クレイは、ぱーるぅが大切だって。それって、セスと同じことなの?」
金髪の見知らぬ戦士が、パステルに愛を告げる。それはルーミィには受け入れがたいことだった。だから、知りたかった。幼い頃から知っている二人が、パステルに向ける本当の気持ちを。
「それは、クレイにしか解らないことだ」
トラップは、クレイの感情の説明はしなかった。自分の心も、同じように。
「……消える前に、ぱーるぅは泣いてたの…」
ルーミィは、15年ぶりにみた少女を脳裏に描く。金茶色の髪とはしばみ色の瞳。笑顔が、大好きだった彼女。抱きしめてくれた腕の温かさを思い出すと、眠気に包まれていくのを感じた。
シルバーブロンドを梳いていた手を、トラップは止める。ルーミィは規則正しい寝息を立て始めていた。涙の残る頬を見ながら、過去に思いをはせる。
さんざん泣かしてしまった、懐かしい少女を。
「あいつの涙は、見たくねーな…」
夜の闇に、トラップは呟いていた。


早朝、セスは裏の井戸で顔を洗っていた。眠りはひどく浅く、目が覚めるのも早かった。
「おはよう、セス。早起きだなぁ」
背後からかけられた声に顔をあげると、同じく顔を洗いにきたらしいクレイがいた。
「…傷が痛むもので」
ぼそぼそと言い訳をすると、両腕の包帯をみながら、納得したようにクレイは頷く。
「ああ。擦過傷は、痛みが響くから」
それから、たわいも無い話をした。
歴戦の戦士らしい会話に、セスは心が躍るのを覚える。それが失礼な質問だとは分っていた。それでも疑問に思っていたことを口にせずにはいられなかった。
「あなたが聖騎士の塔をクリアしたのは、パステルのためですか?」
「違うよ。そこまで純粋にはなれなかった。俺は、俗物だからね」
ストレートな問いに、穏やかな笑みを浮かべながらクレイは答えていた。
「…誰かのため、という言葉は美しいが故に、脆い言葉だと思う。俺は、自分のために塔をクリアしたよ」
遠くをみる視線を追いながら、セスは言った。
「初めて彼女と会ったとき、チビだった俺はべそをかいてました。迷子だったんです」
目に浮かぶ光景だったのだろう。クレイは頷きながら視線を戻し、口をはさむ。
「パステルは、優しかっただろ?」
「はい。まるで夢みたいだったから、俺は夢だと思ってた」
クレイを見据えながら、セスは続ける。
「でも、夢じゃなかった。彼女は、実在してた。俺の話を聞いて、笑って、怒って、拗ねて、しょげたりして」
目の前にいるのは、聖騎士の塔をクリアした、生ける伝説の男。黒竜の騎士。だが、今のセスにはどうでもいいことだった。
「けど泣かなかった。悲しそうな表情をしたことはあっても、涙をみせたことはなかった」
セスの目の前にいるのは、ただ越えるべき相手だった。
「俺は、パステルを泣かせたくない」
叶う相手ではないと諦めて、尻尾を巻くつもりは、さらさらない。
「彼女が、好きだから」
はっきりと口にした言葉は、宣戦布告のようだった。
クレイは、何も答えない。笑うことも怒ることなく、ただ静かにセスを見つめていた。
「それじゃ、お先に失礼します」
短くいうと、セスは立ち去る。気配はなくても、会話をきいているもう一人の存在を確信しながら。


井戸の側にたつクレイの傍らに、いつの間にかトラップがたっていた。
「封印された少女を助ける若者。吟遊詩人の詩になりそーだ」
茶化すような口調に、クレイも面白がるように続いた。
「しかも将来有望な美青年。性格も悪くない。正直、羨ましいな」
セスは、真っ直ぐな目をしていた。迷いもなく照れもない。それは、自分たちが持ち得なかったものだった。思い出にひたるクレイを、ふん、と鼻で笑い無精ひげをさすりながらトラップは言う。
「ふ、男の勝負は30を過ぎてからだぜ」
負け惜しみにも聴こえる言葉に、クレイはちろりと視線をなげる。それから、タオルと剃刀を渡していた。
「言い切る前に、無精髭は剃っといたほうがいいぞ」
「髭のロマンがお前にはわからねーのか!」
気分を害されたトラップが怒鳴るが、クレイは意に介さず正直な感想を口にする。
「いや、お前、似合ってないし。それにパステルがショックを受けそうだ」
「あー…そういや、昔、叫んでたな」
「信じられない!ってね」
「あいつは俺たちのことを、何だと思ってたのかねぇ…」
ぶつぶつ言いながらも、トラップは剃刀で頬をあたった。
彼女の記憶を語れる日は、もう二度とこないかもしれないと思う夜もあった。それでも、こうして朝は廻ってくる。
過ぎ去った時は、戻らないのだとしても。