涙のふるさと

キットンは、今でも覚えている。
湖の底から、水柱と共に現れたのは巨大なモンスターだった。モンスターポケットミニ図鑑に記載されていない姿をみたときは、巨大な蛇かと思ったのだ。頭部はドラゴンに似ていたが微妙に異なり、翼はなかったが、角と鬣、四肢があった。後にそれが東から来た竜だと知った。東の地では神とされる竜もあるのだと。
竜は強大な魔法を操り、爪は岩を切り裂き、尾の一撃は崖を吹き飛ばす力があった。彼らは近づくことさえできなかった。虫けらのように踏み潰されるだけだったとき、パステルがあの珠を投げたのだ。そして、つかの間。竜は理性を取り戻してくれた。
「あのとき、竜は言いました。『汝の記憶と心でもって、我を封印して欲しい』と。そしてパステルは同意して、竜と共に封じられました。今、竜を捕らえているのはパステルの存在なんです。パステルの人としての魂が、竜を封じているんです」
先ほど目にした、幻のようなパステルの姿を思い出した。最後に別れたときと、寸分違わぬ姿だった。けれど…何かが薄かった。
「おそらく外の世界を見ていたのは、パステルの心の全てではないのでしょう。一部の表層意識のようなものだと思います。それはきっと精霊よりも存在感がなくて、我々に見ることはできなかった。けれど、偶然、セスがパステルを認識しました。セスと会話することで、表層意識に存在感が増し、我々も彼女を見ることができるようになった」
彼女の言葉をキットンは思い出す。
そこに、全ての答えがあった。
「天秤を思い浮かべてください。一つは竜の封印としてのパステル。一つは表層意識としてのパステル。今までは、封印としてのパステルの存在が重かった。けれど、我々と会話することで表層意識としての存在が重くなった。どちらもパステルですから、表層意識が重くなれば、封印は軽くなるのが道理です。竜の封印を解くには、もう一度パステルの表層意識を呼び覚ませばいいんです!」
ぜはぜはと息を切らしながらキットンが言い終えると、心配そうにノルが口にする。
「どうやって?」
あたりまえの質問だったが、キットンは前髪の下で微妙に視線をさまよわせていた。
「そ、それはですね…」
言葉を捜すキットンに、エンニオが真面目な顔で言った。
「…セスの情熱に期待するのか?」
「今のところ、結果を出してるのは彼だけですから」
キットンの答えに、その場に居合わせた全員の視線がセスに向けられた。
セスは腕に包帯を巻き、顔も絆創膏だらけで、金髪もあちこちが千切れとんでぼさぼさだった。竜巻に突っ込もうとしたわりには、軽症というべきかもしれない。
うつむいて座っていたが、顔を上げると、セスは言った。
「依存はない。俺が、やりたい」
迷いも躊躇も、かけらも見当たらなかった。
エンニオに小突かれると、頬を染めていたが。
そんなセスの姿を横目でみながら、ぼそぼそとキットンとノルは会話をかわす。
「どこがよかったんだと思います?」
「俺は、素直で率直なところだと思う」
「そうかもしれませんねぇ。あの人たちには、無かったものです…」
二人の会話をルーミィは苦々しく、シロは苦笑しながら聞いていた。ふと、思いついたようにセスが疑問を口にする。
「でも封印を解いた後は、どうするんだ?狂った竜を放置するのか?」
セスも冒険者のはしくれ、世界に危機を野放しにするのはマズイとわかっていた。自分に竜が退治できるなどと自惚れてはいないのだ。
心得ているという風に、キットンは説明した。
「竜が狂ったのは、毒のせいだと伝えられていました。でも、私は不思議だったんです。果たして自然界の毒が、竜に通用するでしょうか?そう思って過去の記録を調べました。そして、分ったことがあります。竜が浴びた毒とは「魔法の呪い」だったんです。それが魔法であるならば解呪は可能だと、他のドラゴンが教えてくれました。竜の逆鱗を解呪の魔法、あるいは強力な解呪アイテムで浄化すればいいのだと。もともと竜は魔法耐性の高い生物です。そうすれば、後は自分で呪いを浄化できるんだそうです」
「どうやって逆鱗を浄化するんだ?」
神妙な顔で聞いていたセスは、なおも首をかしげていた。
逆鱗は竜の弱点だと聞くが、どれほど狂っていても易々とそこを付くことなど可能なのだろうか。
だがキットンは、自信ありげに続けた。
「私がこの結論にたどり着き、ドラゴンに教えを請うたのは十年以上も前です。そのときは、まだ封印を解く術がわからなかった。封印を解く方法を私たちが捜し求める一方で、彼らはスキルを磨いていました。竜と対峙する日のために。強力な解呪アイテムは、彼が持っています」
言葉をきり、一呼吸おいてからキットンは告げた。
誰よりも信頼できる男の名を。
「私たちのリーダーだった……クレイ・S・アンダーソンが」
「クレイ・S・アンダーソンって…黒竜の騎士か!」
ばね仕掛けの人形のように、セスは立ち上がった。


それは、生きる伝説の名前だったのだ。


彼は、黒竜の皮のマントをはおり、黒竜の鱗でつくったスケールメイルを纏い、伝説の剣を佩き、聖騎士の塔をクリアし称号をもつにもかかわらず、仕官することなく冒険者を続けているのだという。
それが何処まで真実なのかは分らないが、少なくともキットンが嘘をつくとも思えない。それに居合わせた誰もが、その名前を当然として受け止めていた。
つったったままのセスの隣で、キットンはどんどんと話を進めていった。
「私とノルも、準備を整えます。エンニオさん、手伝いをお願いして構いませんか?」
「もちろん。俺は物語を最後まで見届けるつもりだから」
エンニオが頷くと、次は少女とドラゴンに向き直る。
「ルーミィ、シロちゃん。トラップとクレイに伝えて貰えますか?時が来た、と」
二人が頷くのと、セスが声をあげるのは一緒だった。
「俺も行く!」
キットンがセスを見る。ルーミィは迷惑そうだったが、セスは気にならない。ただ、行かなければという思いがあった。パステルが涙した理由が、解るかもしれないと思った。
「何であなたを連れてかなきゃ、いけないの?シロちゃんが疲れちゃうじゃない」
思ったとおり、ルーミィは不満を言う。だが足元のシロはけろりと言った。
「ボクはぜんぜん、平気デシ」
言葉に詰まったルーミィに、セスをじっとみていたキットンが告げた。
「ルーミィ、彼を連れていってください。あの2人も、彼を見習うべきだと思います。彼には、私たちにないものがある」
「ないものって、何?セスなんて、あの2人の足元にも及ばないじゃない!」
声をあらげる少女に、ノルが諭すように言った。
「ルーミィとシロは持ってるから、気づかない。俺も、セスは行ったほうがいいと思う」
ノルにまで言われると、不承不承ルーミィは頷くのだった。


シロが大きくなる。その背にセスはおそるおそる乗るが、ルーミィは慣れたものだった。振り向かない背中に、セスは尋ねた。
「その2人が何処にいるのか、知ってるのか?」
「わたしはドーマからシロちゃんと直接ここに来たけど、トラップは、クレイとシルバーリーブで落ち合うって言ってた」
「シルバーリーブ?」
耳慣れない地名を、セスは復唱していた。
ルーミィはちらりと、セスを見て言った。
「私たちパーティーの、故郷よ」
パーティーに故郷があるだなんて、セスは考えたこともなかった。けれど、そこにパステルの涙の理由が、あるような気がした。