やさしいキスをして

子供の頃に見た夢だと思っていた。
風にゆれる雨のような枝葉の向こうに、金茶色の髪をした人がいた。彼女ははしばみ色の優しい目をしていた。始めての土地が怖くて眠れなかったセスに、やわらかな声で子守唄を歌ってくれたのだ。大樹の根元で寝こけていた自分を、エンニオが見つけてくれた。それから両親に怒られた。
成長して、エンニオから大樹に封じられた人の話を聞いたとき、真っ先に彼女のことを思い出した。
夢だと思っていても忘れがたくて、冒険者の資格をとったときエンニオにくっついて湖へとやってきた。
そして、もう一度、彼女に出会ったのだ。
「…夢じゃなかったんだ。君は…パステル?」
呆然と呟く自分を、興味深そうに彼女は見つめていた。
――そうよ。あなたは誰?
「俺はセス。父さんはサキ、母さんはドリっていうんだ」
自己紹介をすると、嬉しそうに笑った。
――まあ、セス!大きくなったのね!あんなに小さかったのに。
「もう15だから。君は、変わらないんだね。初めてあったときのままだ」
疑問を口にすると、どこか寂しそうに呟いた。
――わたしの時は、封じられてる。それでも、外の世界を見ることができるの。竜が見せてくれるから…。
淡く微笑む彼女の姿をみたとき、もっともっと彼女のことが知りたいと思った。
「俺は、君の話が聞きたい。話してくれるかな?」
――わたしが知っていることなら、喜んで。


そのときから、セスはエンニオが湖にくる度にくっついて行った。
湖にくると、大樹の木陰に歩みよる。樹上には、いつもパステルがいた。
パステルの話を聞くのは、とても楽しかった。パステルもまた、駆け出し冒険者のセスの話を楽しそうに聞いてくれた。
木陰の下は、二人だけの空間だった。たとえパステルの姿が光に透け、陽炎のような幻だったとしても。いつまでも続くことをセスは願っていたのだけれど。願いは、あっさりと終わった。
「…ぱーるぅ…っ!」
「パステルおねーしゃんっ!」
突然、背後からかけられた声にセスは振り向く。
そこには、ふわふわのシルバーブロンドの少女と、白い子犬の姿があった。
――ルーミィ…シロちゃん…っ!
二人の視線の中で、パステルは懐かしそうに微笑んでいた。
「ぱーるぅ、ぱーるぅ、逢いたかったよ!」
ルーミィと呼ばれた少女が、パステルの姿に手をのばす。だがそれは、空をきった。
「ぱーるぅ、何で…」
「ルーミィしゃん、おねーしゃんは、実体じゃないんデシ…」
パステルは愛しそうにルーミィを見つめた。
――背が伸びたのね。それに、とってもきれいになって…
「ぱーるぅ…」
柔らかな声に、感極まったようにルーミィは涙ぐむ。まだ落ち着きのあるシロが、不思議そうにパステルを見上げて言った。
「ボクたち、何回もここに来てるデシ。でもパステルおねーしゃんを見て話せたのは、初めてデシ。どうしてデシか?」
――わたしは、最初からここにいたの。でも、何故だか皆には見えなかったみたい。たぶん、ルーミィとシロちゃんがわたしの姿を見ることができるのは、セスのおかげだと思う。
パステルの言葉で、二人はようやくセスの存在に気がついたようだった。
「初めましてだよな。俺はセス。エンニオの連れだ。あんたたちのことは、パステルから聞いたことがある。エルフのルーミィと、ホワイトドラゴンのシロだろ?」
セスが名乗ると、二人は複雑な表情をみせる。ルーミィの方は、好き嫌いがはっきりしているようで、あからさまに疎む視線をなげていた。
「あなただけが、知ってたの?」
「俺にしか見えてないなんてこと、今、初めて知ったことだし」
トゲのあるルーミィの言葉を、さらっとセスは受け流す。もっとも二人の間に流れる険悪な雰囲気までは流せなかったけれど。
そんな雰囲気に気づかないのか、パステルはにこにこと笑いながらシロに話しかけていた。
――ルーミィも美人さんだけど、セスもカッコいいよね。二人が並ぶと、すごく絵になるなぁ。
「パステルおねーしゃん…」
呑気なパステルの声と、困ったようなシロの声に、ルーミィとセスは互いに睨みあうのを止めた。
改めてパステルに向き直ったルーミィは、再び手を伸ばしていた。重ならないとわかっていても、その手に自分の手を重ねた。
「わたし…ずっと、ぱーるぅに謝りたかったの…」
――ルーミィ…?
「ごめんなさい…!もっと、もっと、あの時、わたしが魔法を使いこなせてたら、そしたら…っ!」
――いいえ、謝るのはわたしの方。探せば、他に手段は見つかったかもしれない。皆で逃げることだって、出来たかもしれない。でもわたしは弱虫で…皆が傷つくことが嫌だったの…我が侭で、ごめんね。
パステルは涙ぐむ少女の手を包み込んだ。
それから、やさしく彼女の頬に触れることのないキスを贈る。
彼女が幼かった頃のように。
――自己満足なんだと思う。けど、わたしは後悔してない。もう一度選択ができるとしても、きっと同じことをする。何度でも。皆を守ることが、できるなら。だから…ごめんなさい、ルーミィ、シロちゃん…。