大好きな君に

高山の頂上付近にある湖は、一見、カルデラ湖のように見える。だが、この地は火山ではなく、湖の生物相も豊富なため偶然の相似なのだろうというのが、学者たちの意見なのだそうだ。もっともセスには興味のない話題だったが。豊かな恵みをもたらす湖だったが、意外なほど傍で暮らしている者はいない。こんな高所で暮らさずとも、湖の水は川となって溢れているから麓で暮らせばいいだけなのかもしれない。
十五年前までは湖のほとりに小さな村があった、とエンニオは言った。今は廃村になっている、とも。
どんな理由があったのかは、教えてくれなかった。
けれどセスは、理由を知っていた。


「また来たんですか」
ぼさぼさの髪をした小男が、あきれた声で二人を迎えた。
「エンニオさんは、分りますが…あなたは、物好きですね。こんな何もないところに来るだなんて」
物好きだといわれても、セスは気にしなかった。
「こんなトコに住んでるあんたに、言われたくねーよ」
「何をいいます。ここは素晴らしいトコロですよ。森も湖も豊かで、興味深いキノコも沢山あるんですから!」
キッパリと宣言する小男は、自称キノコ研究家。キットンという名前だった。
キットン族という種族らしい彼は、この湖に隣接する森の中に家を持ち、自給自足で日々キノコの研究に妻ともども励んでいる。山の上、森の中では、さぞかし暮らし向きが不便だろうと思うのだが、手に入れづらい日用品は、麓の村に住む知人が届けてくれるのだそうだ。
「ああ、ここは良いところだと俺も思う。それでキットンさん、しばらく泊めて貰いたいんだが…」
「いいですよ。部屋は余ってますからね」
エンニオの言葉に、キットンは頷いていた。
案内されたキットンの家をみながら、セスは思う。こんな森の中に建つにしては妙な家だなぁ、と。
住んでいるのは夫婦だけなのに、家は大きなものだった。一階に台所と食堂、浴室があって、キットン夫妻が暮らす部屋もある。二階には部屋が三つあった。セスとエンニオが泊めてもらうのもその一つだったが、部屋にはちゃんとベッドが二つ用意されていた。大きさから考えて、残りの二つの部屋も似たようなつくりなのだろう。まるでペンションのようだとセスは思う。意外と昔はそうだったのかもしれない、と。
部屋に荷物をおくと、セスは湖へと向かった。
エンニオがついてこないのは、わかっていた。たぶん、キットンと情報の交換をしているのだろう。エンニオは吟遊詩人として各地を回りながら、何かの情報を集めていた。それをキットンも必要としているらしい。その情報が何かとか、詳しいことは何一つセスには分らないのだけれど。セスがエンニオにくっついて、この湖にくる理由は一つだけだった。
湖の岸辺には、彼女がいた。


湖の岸辺にたつ大樹の枝は、四方に垂れ下っていた。その姿は枝垂桜や枝垂れ柳を思わせるが、大樹はそれらよりも遥かに大きい常緑樹で、セスが今までに見たことのない樹木だった。
風に枝がゆれる姿が、セスは好きだった。
それはまるで、彼女が髪を揺らしているようだったから。
キットンは、セスを物好きだという。
セスの目的を知れば、納得するかもしれない。
大好きな人に逢いにいく。
それは、不自然でもなんでもないことだった。
「パステル、久しぶり」
大樹を見上げて、セスは告げた。