あなたへと続く道

竜の身体が四散してゆく。ガラス細工が崩れていくように。音も無く、ただ鱗が光に変じていく。シドの剣を構えたままのクレイはまぶしそうに光をみつめ、足場を失ったトラップは地面に着地していた。
「パステル…!」
セスは、倒れている少女を見つけた。近寄ろうとしたとき、恐ろしいことに気が付く。パステルの身体もまた、爪先から光へと変じ、存在を失い始めていた。セスは駆けた。全てが消えうせる前に、まだ実体だった手首をつかんでいた。だが光はセスへと移り、セスの身体もまた光に飲み込まれていた。
「セス!」
名前を呼ばれた。誰かに腕をつかまれた。
そこで意識が途切れた。


気が付けば、小さな村のはずれの小道に立っていた。
セスは、その場所に覚えがあった。道のすぐ先にはシルバーリーブのはずれにある家があった。自分が見たときは景色に馴染んでいた家は、まだ真新しかった。建てられたばかりのように。家に近づこうとしたとき、腕をひかれた。振り向いても誰もいなかったが、確かに腕をつかまれている感触があった。その感触で理解した。ここは現実ではなく――誰かのみている夢なのだと。
誰の夢なのかは、悩む必要のないことだった。
「パステル」
大切な名前を、セスは口にした。強くなりたかった。大人になりたかった。彼女が、誰より好きだったから。
――ごめんなさい…
「あやまらなくて、いいんだ」
――セス…わたしは…
泣きべそをかいていた子供は、背を伸ばし、冒険者となった。己の夢を、叶えるために。
「君のせいじゃない。俺が、選んだんだ」
――あなたが、わたしを愛してくれたから…想いが募るのを、止められなくなってしまった…
真新しい家の中に、誰かがいた。
背の高い姿だった。
まどろむ彼女の夢に、ずっと彼は住んでいたのだ。
セスと同じ年頃だった姿は、ゆるやかに齢を重ねて、現在の見知った姿へと変わる。夢と現の狭間で、彼女は彼を見つめていたのだ。溢れ出す想いを感じ、セスは心臓が痛くなった。覚悟はしていたことなのだけれど。
「言っただろ?俺は、君の望みを知ってるって」
胸の痛みを隠して、セスは手を差し伸べた。
その先に、少女が立っていた。
金茶色の髪がゆるやかに流れ、セスを見あげる大きなはしばみ色の瞳は濡れていた。
――セス。あなたは優しくて勇気があって、とても素敵なの。
わたしが吟遊詩人だったら、きっと、あなたのために詩を作ったのに…
けれどパステルは吟遊詩人じゃない。セスが恋したのは語り部の少女だった。かすかに震えるパステルの手を、セスは取る。繋いだ手は、柔らかだった。
「帰ろう、パステル」
セスは騎士が貴婦人に礼を取るときのように、そっと手の甲に口付けていた。懐かしい景色を背後に、二人の前には帰還へと繋がる光の道があった。


パステルを追って、セスが光に飲み込まれる直前、トラップは腕をつかんでいた。
だがセスは、光とともに消えた。トラップの手首から先は、光に包まれて見えなくなっている。
「手首は、どうなってるんだ?」
「見えてないだけで、あるみたいだ。セスの腕を掴んでる感触がある」
クレイの問いにトラップは答える。座り込むトラップの隣に、クレイは立った。白い影が空を横切る。巨大化したシロが、他のメンバーを背にのせて飛んで来たのだ。
「ど、ど、どうなったんですかー!」
「ぱーるぅは何処?!」
「セスもいないな」
わらわらとやってきた仲間たちに二人が説明しようとしたとき。トラップの手首を包んでいた光が膨張した。あまりのまばゆさに、全員が目を閉じる。再び目をあけると、トラップに腕を掴まれたセスと、彼と手を繋いだパステルがいた。
唐突な出来事に、皆が呆然となる。クレイが青いマントを取り、パステルの肩にかけた。マントはパステルの身体を包み、地面に落ちることはなかった。
「大丈夫?」
「うん」
パステルが返事をしたとき、時が動き始めた。
「ぱーるぅ!」
「パステルおねーしゃん!」
「き、気分は、どうですか?気持ち悪くありませんか?!」
「よかった…」
飛びついてきたルーミィとシロを抱きしめ、パステルが笑う。心配して質問するキットンの言葉にも、嬉しそうに答えていた。ノルは彼らを満足そうに見つめていた。
「頑張ったな」
エンニオに声をかけられると、セスはうつむきながら答える。
「自分が、望んだことだから」
セスは仲間たちの輪の中のパステルを見つめていた。
「お前が望まなければ、この結末はなかった」
「セスのおかげだ。ありがとう」
トラップとクレイに声をかけられると、セスは顔をあげて二人を睨みつけていた。恨みがましい視線に、二人が躊躇したとき。彼らの上に、大きな影が落ちる。振り仰いだ先には、竜がいた。
――浄化はなった。勇気ある人の子に、感謝を…
「竜しゃん、元気になったデシ!」
「どうやら傷も治ってるみたいですねぇ。よかった、よかった」
鱗をきらめかせる竜の身体をながめて、キットンはいった。空に浮かぶ竜に、先ほどの戦いで受けた傷跡は一つもなく、溢れる生気が輝いていた。
――傷はないが力は失った…私は再び湖で眠ろうと思う。消耗した力を回復するために。
「竜よ、かなうならばもう一日だけ起きていてもらえませんか?」
巨体を仰ぎ見ながら、クレイは呼びかけた。
――理由を問いたい。聖なる剣をもつものよ。
「明日になれば、冒険者ギルドから特別隊が来ます。彼らを証人として、あなたの眠る湖を荒されないようにしたいのです」
――そうか…ならば、そうしよう。
竜は目を細める。笑ったのかもしれない。そして、自分を見上げるパステルを見た。
――語り部よ。そなたの経た物語は、痛みと憎しみに狂う私の心を癒してくれた。これから紡ぐ物語に、幸多からんことを。今は力なき我が身なれど、困ったときは呼ぶがいい。そなたが私を助けてくれたように、我もそなたを助けるだろう…
雪の一片のように、ふわりと一枚の鱗が落ちてパステルの手の中に納まる。パステルが何かいうよりも早く、竜は舞い上がっていた。真っ逆さまに湖へと飛び込み、消えていく。高く上がった水しぶきだけを残して。
「ど、どうしよう…!」
与えられた約束の鱗を握りしめて慌てるパステルに、シロが声をかける。
「竜しゃんは、パステルおねーしゃんの力になりたいんデシ。鱗を受け取ってもらえないと、きっと困ってしまうデシ」
「そうですよ。ありがたく受け取るのが礼儀というものでしょう!」
「慰謝料だと思って、貰っとけばいいよ!」
キットンの言葉には頷きながらも、ルーミィの言葉にパステルはひきつった笑顔をみせる。その言葉が、誰かさんのいいそうな台詞だっただけに。ノルは処置なしという風に、首をふっていた。
「明日になったら、また出てきてくれるかな?」
「ダメだったら、パステルに呼んでもらえば問題ないだろ」
ルーミィの教育に深く関与した人物は、クレイと無責任な話をしていた。


セスは遠くからパステルを見つめていた。
仲間たちに囲まれ、彼の隣にたつ姿に痛みを覚えた。
甘哀しい痛みだった。
パステルは幸せになるだろう。
望みを叶えたセスは思う。
でも何かを成し遂げることが、痛みを伴うことだなんて知らなかった。形を変えなければ、叶わない夢もあるだなんてことも。
竜の消えた湖を見つめて思った。
案外、竜も自分と同じ痛みを抱えていたのかもしれない、と。