探花使

ほんのりと紅みを帯びた杏の花が咲き誇る頃、秀麗は探花の称号を得た。

任用試験が行われる前の時期は、高級官吏への道が約束された新進士たちが祝宴や挨拶めぐりなど、連日、晴れがましい行事に追われる季節なのだが。邵可邸にいる新進士二人には、関係なかった。秀麗に声をかける強者は当然おらず、影月も最初の宴以来、とんとお見限りだった。
「ささやかだけど、家でお祝いをしようと思うんだ」
にこにこと微笑みながら、邵可はそういった。他所に食事に行く…とかだったら、秀麗は無駄使いだと言い張ったかもしれないが、自分の家ではそうもいかない。食事の材料は静蘭が、お安く調達してきますから、と綺麗な笑顔で言い切ったせいでもある。それならば菜に腕を振るわねば…!と秀麗が腕まくりをしたとき。相変らず心から嬉しそうな笑顔でもって邵可は秀麗と、今も居候中の影月に言った。
「二人に、お願いがあるんだよ」


「父さまったら…!相変らず呑気なんだから!牡丹や芍薬を、ほいほいくれる人が何処にいるってゆーの?!」
「そうですよね…」
ぷんぷんと怒りながら歩を進める秀麗のとなりを、困ったように影月が行く。
邵可から二人へのお願いは、綺麗な花――牡丹や芍薬をみつけておいで、というものだった。そのまま家をだされてしまった二人は、とりあえず歩きながら考えることにしたのだった。
「やっぱり、どこかで買ったほうが…」
「だめ。あの花、高いんだから。ここはやっぱり…他の花でごまかしましょう!」
「そ、そうですね」
きっぱりと言い切った秀麗に、影月は力ない笑みでもった同意するのだった。
そんな二人の前方から近づいていた軒が、目の前で止まる。綺麗で高級そうな軒から、ひょいっと顔を覗かせたのは藍楸瑛だった。
「おや、二人ともどうしたんだい?これから邵可様のお屋敷に伺う予定だったのだけれど」
「「藍将軍!」」
秀麗と影月は、声をそろえた。それから、おもむろに家をだされた理由を口にしたのだった。
二人の話を聞くと、楸瑛は楽しそうに笑った。
「そうか、さすがは邵可様だ。風流なことをなさる――君たちほど、探花使に相応しい者は他にいないだろうしね」
なおも首をかしげる二人に、楸瑛は言った。
「彩七区に行きなさい。私の屋敷の門番に、これを見せて花を貰いに来たと言えばいい。どれでも好きな花を持っていってかまわないからね」
そう言って腰の佩玉をはずすと、秀麗に手渡した。それは高価な玉に精緻な彫りがされており、手にした瞬間、秀麗の背筋がぴんと伸びる。
「こ、こんな高価なもの、預かれませんっ!」
あせってどもってしまう秀麗に、楸瑛は鷹揚に笑って手をふった。
「秀麗殿なら必ず返してくれるから、安心だよ。それじゃ、私は先に行かせてもらおう。探花使は、最高の花を持ち帰らないと罰則があったはずだ。二人とも、頑張ってほしいな」
そのまま楸瑛を乗せて軒は行ってしまった。後には、佩玉とそれをもった二人だけが残される。大きなため息をつくと、秀麗は思考を切り替えていた。
「…これって、幸運なのよね」
「そう思います」
「だったら、甘えさせて貰いましょうか?」
「はい。せっかくのご好意ですから」
そういった影月と笑いあうと、秀麗は迷わず歩き始めていた。


たどりついた藍家の屋敷で、二人は丁寧にもてなされた。その美しく整えられた豪華な庭に、くらくらしながら、庭師に頼んで花をわけて貰う。恐縮する二人に庭師は愛想よく、とびきり美しい花を摘んでくれた。どんどんと花を摘んでくれる庭師を、二人は焦ったようにとどめる。
「も、もう十分です!」
「そうです!これ以上頂いたら、持ちきれないかもしれません…!」
小柄な二人は、すでに両手一杯の花を持っていた。それを見ると、さすがの庭師もあきらめざるをえない。帰りの門まで案内されながら、二人は藍家の美しい庭院に見とれていた。
「すごく綺麗ですねぇ…」
「ほんと…杏の花が、まるで霞みたい…」
庭園の一角、満開の杏の花の下で思わず秀麗は足をとめた。白い桜の花とは、少し違う薄紅の杏の花。これほどに咲き誇る姿をみるのは、何年ぶりだろうと思った。先に行ってしまった影月に追いつくために、慌てて再び歩き出したのだけれど。門番に別れの挨拶をしていると、姿を消していた庭師が二人に杏の枝を差し出していた。
「この花が、一番、お二人に似つかわしいと思いますので」
そう言った庭師の言葉に、二人とも杏の別名を思い出していた。
「ありがとうございます」
心からの礼をのべると、二人は両手一杯に花を抱えて家路につくのだった。


腕は重かったが足取りは軽く進んでいると、背後から二人を追い抜いた軒が前方で止まる。
「お前たち、何をしている?」
「「絳攸さま…!」」
無造作に軒から降りてきた男に、二人は再び声をそろえていた。
二人から両手の花の説明を受けると、絳攸は納得したようだった。けれど眉をしかめながら、なおも二人を見つめる。
「…俺は、以前も言ったはずだ。外出には、気をつけろと」
そういえば、そうだった。わたわたと慌てはじめる二人に、ため息をつきながら絳攸は言った。
「まあ、藍家なら問題はなかっただろう。とりあえず二人とも、軒に乗れ。どうせ行き先は同じだ」
辞退する隙をあたえず、絳攸は二人を軒に押し込める。そのまま軒をださせてしまった。動き出してしまった軒から飛び降りるわけにもいかず、花をかかえた二人は申し訳なさそうに座っていた。縮こまる二人の気を紛らわせるかのように、絳攸は花を見て言った。
「探花使は、良い花をみつけたな」
「…やっぱり、そう思われますか?」
「よかった。庭師さんが選んでくれたお陰ね」
手にした花を嬉しそうに抱きしめる二人は、年相応に見えた。微笑ましい二人に瞳を和ませながら、絳攸は牡丹や芍薬の間から覗く枝に目を留める。
「――及第花だな」
それが杏の別名だった。進士となった者を一番に祝福してくれるから、そう呼ばれるのだ。二人にこれを渡した藍家の家人は、藍龍連とともに上位三位に入った二人を当然知っていたのだろう。
薄紅の花を見つめながら、絳攸は思った。
探花使が、これほどに見事な花々を得たのだから。今日の宴は、楽しいものになるに違いない、と。

かつて国試が導入されたばかりのころ。合格し新進士となった者たちのうち、特に選ばれた年少の二名が探花使に任命されていた。二人は都の名園を騎馬でめぐり、杏花や芍薬、牡丹などのみごとな花を折り取ってくることを命じられたという。それは風流だったが宴を盛り上げるための趣向であったため、やがては廃れた。だが「探花」の名前は残った。状元、榜眼に次ぐ、第三位の称号として。