彼女はあなたを愛していた

「…彼女はあなたを愛していたのに」
そう言われて、俺は言葉を忘れた。あいつが?俺を?そんなこと、あるはずないだろう…笑い飛ばそうそしたけれど、出来なかった。俺の前に座っているのは、若い男だった。昔の知り合いの名前をだして尋ねてきたのだ。
「あなたは、彼女を信じなかった」
重ねて告げられた事実が痛い。そうだ。俺は、あいつを信じなかった。信じることができなかった。どうして、信じることができただろう。俺は何時だって、過去に怯える卑怯者でしかなかった。


俺が、目の前の若者と同じ年頃だったとき。
俺たちは、冒険者だった。あいつと幼馴染とチビとチビドラゴンとキットン族と巨人族とで、凸凹パーティーを組んでいた。レベルアップはなかなか出来なかったけれど、それなりに幸福だった。こんな日々も悪くねぇ、と心底思ってた。あいつが、俺の側にいてくれるなら。ただ、それだけで良かったんだ。俺は、あいつが好きだったから。我ながら、頑張ったと思う。天然記念物のように鈍いあいつを口説き落として、晴れて恋人となった。小細工はもちろんした。裏工作も、迷わなかった。あいつが手に入るなら、後悔なんかしねぇって、本気で思ってた。
でも、俺は後悔したんだ。
幼馴染も、あいつに本気だったって。
後になって知ってしまったから。
それでも、あんなことがなければ。いつかは皆、思い出になって、互いに語り合う日が来たかもしれない。
俺の自慢だった幼馴染は立派な騎士になって、名誉に死んだ。突然の出来事に、俺とあいつが悲しみにくれていた時。遺品が、俺たちの元に届いた。それを受け取った家族が、形見分けとして受け取って欲しいと俺たちに届けたんだ。
あれが届かなければ、俺たちはどうなっていただろう…と何度も思った。だが、過去を変えることはできない。
届いたのは、幼馴染が大切にしていたロケットだった。中には曾爺さんの肖像画が入っていたはずだった。けれど、開いたロケットの中には一房の金茶色の髪の毛と、あいつの細密画があった。俺は、どうしていいのか、解らなくなった。俺の隣にいるあいつが、そんな事をするはずがないとわかっていても、信じきることができなくなった。
俺は、あいつを疑い、責めた。そして、裏切った。あいつを、傷つけるためだけに。
泣いてすがってきて欲しかった。
強い男だって認めてほしかった。
単なる甘えで、最低な行為だったなんて、気づきもしなかった。そう願うことこそ、俺があいつに値しないという証拠だったのに。
あいつが、俺の前から消えたとき。
俺は、安堵した。
これで、もう、あいつを傷つけずにすむんだと。
俺たちは、二度と逢うことはなかった。


遠い街で小説家として暮らしているという噂は知っていた。でも俺が、あいつの作品を読むことはなかった。あれから、長い時が過ぎた。赤毛だった俺の髪は真っ白になり、盗賊として第一線を退いて久しい。周りが敬意をもちながらも、煙たく思ってるって事は知らないでもないが、しぶとく長生きしてやるつもりだった。
そんなとき、昔馴染みのキットン族の名前をだした訪問者が来たのだ。
そいつは挨拶を終えると、本題を口にした。
「私は弁護士です。P・G・キング夫人の遺言執行人を務めております」
死を聞いても、驚きはしなかった。俺たちは、ずいぶんと長生きをした方だろう。若い弁護士は数枚の書類をだし、俺のサインを求めた。相続にしても放棄にしても、サインは必須らしい。ご苦労なことだと思いながら、俺は会話を振った。いまさら、あいつのことが知りたかった。
だが弁護士の口は固かった。事務的な返答しか返されず、俺も飽きたから会話は終わったかに思えた。だが、書類をまとめて去るときに、弁護士は言ったのだ。俺が、一番聞きたくなかった台詞を。
「…失礼しました」
はたと我に帰った弁護士の謝罪の言葉に、俺は苦く笑った。
「ほんとうのことさ…」
つぶやく俺をどう見たのか。弁護士は、一冊の本を俺に手渡した。それは、あいつの著作だった。
「よろしければ、これを読んでください。私はキング夫人のファンなんです。これは、彼女が書き続けていた人気シリーズの最終巻になってしまった本で…遺作にもなりました。それで、もし良ければ、後ろにある解説を見てください。彼女の遺言の一部が掲載されてるんです。あなたには、どうしても読んでほしいと思います」
手元に本を押し付けて、弁護士は去っていった。
俺は読んだ。それはミステリーだった。探偵役は、冒険者の盗賊。誰がモデルかなんて、わかりきったことだった。物語は謎解きも筋立ても面白かった。おもわず作品世界に引き込まれて、夢中になっていた。
読み終わったとき、解説のことを思い出した。
『…魅力的なシリーズの続刊が読めないのは、残念である。これほどの人気シリーズになると、別の作家が後を引き継ぐことも前例がないわけではない。しかし、このシリーズにおいてはあり得ない。なぜなら彼女は遺言ではっきりこう述べているからだ。「私以外の誰も、この物語の続きを書いてはならない。なぜなら私は彼を心から愛しているので、他の誰にも彼を渡したくないのだ」キング夫人は生涯独身だったが…』
俺はそこから先が読めなかった。
文字は涙で歪んでいた。