放置ネタいろいろ。

◆歯車◆

欠けたものが噛み合って、動き出す歯車。動き出したモノは、たぶん誰にも止められない。だから…互いの欠けたモノに、気づいて欲しくない。噛み合わないままで、いてほしい。女々しいと思いながらも、願わずにはいられない。

哀しい人だ…そう思った。同情したのだろうか。もし、そう思ったのが知られてしまえば、あの人は私を許さないだろう。同情も、憐憫も、あの人には必要ないものだから。でも、と疑問もわき起こる。自分は、同情するほどにあの人を知らない。それなのに、どうして…哀しい人だと思ったのだろう…。

辰伶に、水龍を入れられた女。そのせいで、狂は壬生の地に来た。何だかムカついた。それで、狂のしがらみだと思った。狂を弱くした存在。だから、消してしまおうと思った。止められたけど。でも…どうしてあんなコトを話したのだろう。辰伶のこと、両親のこと。今まで、誰に聞かれても、話したコトなんて無かったのに。どうして…あの女は狂を止めたのだろう。「やめて」って言った。オレの命を惜しんでくれた。今まで、誰も気に止めなかった生命を。


◆羨望◆

「行かないで!私をおいて行かないで、兄様!行かないで…!」
悲痛な叫びが、耳に痛い。
でも何故だろう。叫びを聞いたとき、真っ先に思ったのは、妬ましさだった。

シャトラが消えた後、ゆやは呆然としていた。ただ立ちすくみ、漢が消えた空を見上げていた。頬には乾ききらない涙を残して。
我をなくして、泣き伏してくれればいいのに。そうすれば、抱きしめて慰めることもできるのに。少女は、ただ空をみあげて立ちすくむだけだった。強い風に、髪をゆらしながら。
「……いいなぁ…」
ぽつり、と小さな声が聞こえた。サンテラの呟きだった。灯の視線に気づいたサンテラは、慌てて目をふせる。ばつが悪いのだろう。けれど彼女の気持ちが、灯には理解できた。
誰かに、求められたかった。側にいて欲しいと、すがって欲しかった。
幼い頃から、何度も何度も夢にみて、叶えられたのは一度だけだった。
その一度を至福だと思う…それでも。
あれほどに深く、激しく求められれば…どれほど幸福だろう。
少女に背を向けたシャトラが、妬ましい。憎しみすらも覚えてしまう。
筋違いな感情なのだと、理解はできても。
たちつくす金糸の髪の少女。
もし自分や、サンテラが。彼女を呼び止めたならば。
彼女は立ち止まり、戻ってくるだろう。せつなさに心が引き裂かれても、きっと。
それなのに彼女の呼び声に、漢は立ち止まるまい。
先ほどのシャトラも…今は別行動の鬼眼の漢も。
たちつくす金糸の髪の少女。
首筋は細く、背中はたよりなげだった。
腕の中に抱きしめて、側にいると、何処にもいかないと誓えればいいのに。


■姫紫■

「私が死んだら、忘れて下さい」
摘んだ野草を手に、まだ幼さの残る少女が背を向けて呟く。
「どうか、思い出さないで……最初から、いなかったことにして下さい」
人は二度死ぬといったのは、誰だったか。
最初の一度は、肉体の死。二度目は、人々から忘れ去られていく思い出の死。肉体の死は、生まれたからには避けようがない。皆、あまんじて受け入れるしかないだろう。だが、二度目の死を望む者がいるとは思わなかった。誰しも忘れ去られるのは辛いと思う、自分が甘ちゃんなのだろうか。
「ゆやちゃん…それは、出来ねぇ約束だよ」
梵天丸が言うと、ゆやは振り返った。常磐緑の瞳には、責める色が浮かんでいる。なぜ、と視線が問うていた。それは、先ほどの言葉が感傷ではなく本気の証明でもある。
「思い出は、そうそう消えるもんじゃない。ましてや可愛い子となればなおさらだ」
わざと冗談めかして答えた。そうしなければ、彼女の危険な側面に踏み込んでしまいそうだった。
誰しも、心の奥底に触れられたくない、見られたくない場所がある。それなのに、追いつめられると暴露したくなることがある。…後々の後悔も、わかっているのに。
梵天丸の視線の先にいるゆやは、あやうい綱渡りをしていた。感情と理性のバランスをとりながら、希望という細い糸の上を歩いている。今にも落ちそうなのに、支えてやることはできない。それが出来るのは…今はこの庵にいない、彼女と生死をくぐった戦友達だけだろう。
心臓に、見えない龍が爪をたて牙をたてる。一日ごとに、死が迫ってくる。まだ人生が始まったばかりで、これから花開こうとしている少女が背負うには、あまりに重い現実だった。
「…でも、私は忘れてほしいんです。そうでないと、安心して死ねません」
真摯な眼差しが、梵天丸を見つめた。忍び寄る死に怯えながらも、呑み込まれまいとしている眼差しだった。
「なんで忘れてほしいのか、聞いてもいいか?」
ゆやは、手にした野草に視線を落とした。小さな青い花をつけた野草だった。
「梵天丸さんは、この花の名前を知ってますか?」
「あ?確か…蝦夷紫じゃなかったか?」
梵天丸が答えても、ゆやは野草から視線をそらさなかった。そのまま、ゆっくりと言葉を綴る。
「西の異国では、勿忘草っていうんだそうです。恋人のために、この花を手折ろうとして河に落ちた男が「自分を忘れないで」って言い残して沈んだ伝説があるから」
…それは、またマヌケで無責任な男だ、と梵天丸は思ったが口にはしなかった。しかし。
「無責任な話だと思いませんか?」
同じ事を、ゆやは口にした。


■山吹■

誰かが小屋に入ってくる。あの男の気配ではなく、どこか覚えのある気配。
見えればいいのに。目がかすんで見えないのがくやしい。いったい、誰なのだろう?
ふと空気が、流れにのって香る。この香には、覚えがあった。一年ほど前まで、時々旅をともしていた女性の香りだった。
──阿国さん…!
名を呼びたいのに、声がでない。姿を見たいのに、見えない。
起きあがろうとして、力の入らない手に力を込める。その手に、誰かの手が重なった。
「…ゆやさん……!」
懐かしい声だった。起きあがろうとした自分を、阿国が抱きしめている。抱きしめて……何故だろう。阿国は泣いていた。暖かい雨の雫を感じながら、ゆやは阿国に抱きしめられていた。

あれから一年。ようやく探し出したゆやの、変わり果てた姿に阿国は絶句していた。
骨と皮ばかりのように、がりがりに痩せて、ほとんど陽にあたらなかったためか、肌は病的に白い。金の髪もつやがなく、瞳は焦点があっていない。栄養不良のために、見えていないのだ。
喉と足首付近には引きつれた傷跡が無惨にのこっている。声を潰され、歩く自由すら奪われていたのだ。また着物からのぞく手足には、打撲や裂傷が見え隠れしており、暴行が日常茶飯事だと語っていた。
衝動的に阿国は、ゆやを抱きしめていた。抱きしめずにはいられなかった。
仲間として、いや女として。彼女をこんな風にした存在が許せなかった。
【異端の阿国ゆや(笑)「黄泉」の別バージョン。ゆやが死なない話】