黄泉

山吹の花をみると、逝ってしまった少女を思い出す。
華やかな黄金の花と、鮮やかな緑の若葉。
今年も花をつけた木の下に、少女の亡骸を埋めた。
この両手は、血にまみれている。
誰よりも、心惹かれた少女の血で。
彼女に罪はあったのだろうか。
今でも時折、自問する。
誰かを愛せないのは、罪なのだろうか。
自分はどうして、彼女を殺したのだろう。

初めに、彼女を仲間たちから奪った。
閉じこめて、身体を奪った。
逃げようとするから両足の腱を断ち、歩く自由を奪った。
拒否する言葉を聞きたくなかったから、喉を潰し声を奪った。
彼女から、全てを奪い尽くしたかった。
それでも。
心だけは、奪えなかった。
彼女から他に奪える物は、もう生命しかなかった。
手の中で砕ける、首の骨の感触が忘れられない。
あっさりと、彼女は死んでしまった。
自分はどうして、彼女を殺したのだろう。

着物の裾を引かれて見下ろすと。
自分を心配そうに見上げてくる、大きな緑の瞳。
二つに結ばれた髪は、山吹色。
「なんでもないよ、ゆや」
幼い少女に微笑みかけると、安心した顔になる。
小さな頭を撫でてやると、弾けるように笑う。
ああ…こんな風に笑う彼女に、心惹かれたのに。
自分の側で、笑ってほしかったのに。
彼女は何も、自分に与えてはくれなかった。
自分の心を、あれほどに奪った簒奪者のくせに。
奪われた心を、取り戻したかっただけなのに。
自分はどうして、彼女を殺したのだろう。

山の庵の生活も、だいぶ慣れた。
炭焼きも畑仕事も、上手くなった。
季節はめぐり、今年も山吹の花が咲く。
幼いゆやは、鶏の世話をしている。
卵を産んでくれる、大事な鶏だった。
いや、あれはヒヨコと遊んでいるのかもしれない。
この山で育ったゆやは、自分以外の人間をしらない。
自分だけを信じて、自分だけを愛してくれる。
彼女が決して、自分にくれなかった愛情。
ヒヨコを追って走るゆやの山吹色の髪が、日差しにきらきらと輝く。
こんな風に、彼女を愛していたはずなのに。
自分はどうして、彼女を殺したのだろう。

太陽が沈み夜が来る。
紅い満月が昇る。
鬼と魔物がやってくる。
炎の魔物と氷の魔物。
生気を吸い取る魔物。
人食い虎と影法師。
忍と修羅と女狐。
そして紅い眼の鬼。
ゆやはぐっすりと眠っていた。
起こさぬように、小屋の外にでた。
鬼と魔物たちから、彼女を奪えたのは奇跡。
奇跡は、確かにおこったのに。
自分はどうして……。
奇跡は、ただ一度だけだったのだろうか。
ただ一度の奇跡なら、彼女に愛されたかった。
柔らかであたたかな神風の清響を聞いた。
自分の両手は、血にまみれていた。
罪深い己の血でもって。
最後に見たものは、金色の山吹の花。
少女の亡骸を埋めた黄泉への道標。

貧相な男だった。
ありふれて目立たないがために、見つけ出すのに数年かかった。
自分たちから、あの少女を奪い去った男。
ケチな掏摸だったと、見聞屋の阿国は言った。
声は、悔しさに満ちていた。
町ですれ違う程度の接点しかない男に、少女は浚われて。
彼らの前から、永遠に姿を消してしまった。
少女は未だ自由で、誰のものでもなかった。
彼女が浚った男を選んだのなら、誰も此処へは来なかった。
だが阿国の集めた情報は、彼らを激怒させるのに十分だった。
歩けない少女。喋れない少女。そんな者を、彼らは知らない。
狂れた妻を献身的に介護する夫。そんな者は、信じられない。
山奥の庵に引きこもった夫婦。誰も、妻を見た者はいない。
だから、彼らは確かめにきたのだ。
最悪の結果を予想していても、確かめずにはいられなかった。
麓の村で、山に住む男は妻を亡くしたと聞かされていたのに。

小屋の戸が、かたんと揺れた。
一同の視線が集中するなか、戸が動く。
そこには、不思議そうな顔をした幼女がいた。
山吹色の髪と、緑の瞳。
探していた少女の面影を映した幼女。
「…ここに、いたんだね」
沈黙を破ったのは、幸村だった。
「確かにここにいて……もういないんだ」
誰も否定できない事実。
四聖天も紅虎もサスケも阿国も。
紅い月を背にした、鬼眼の漢も。
立ちつくす彼らを、幼女は不思議そうに見上げる。
彼女が「ゆや」という名前だと知るものは、この世にはなく。
ゆやという名の少女は、もう何処にもいない。