斧柄

自分より小さな子供、それも女の子を見たのは、生まれて初めてだった。
「…誰ですか?村正さま…」
「ゆや、といいます。私が後見をすることになりましたから、仲良くして下さいね、辰伶」
二つか三つくらいの女の子は村正に抱き上げられていた。金色の髪と、大きな若緑の瞳。そっと手をさしだすと、小さな手で握りかえしてくる。辰伶をみると、嬉しそうに笑った。
「おやおや。ゆやは辰伶が好きみたいですね」
「えっと……そうだといいです…」
辰伶の手を握って、ゆやはにこにこと笑っていた。辰伶もまた、頬がゆるむのを止められなかった。

ゆやと引き合わされてから、辰伶は吹雪の屋敷で稽古をうけたあと、村正の屋敷に立ち寄るようになった。門をくぐると、音を聞きつけてぱたぱたと軽い足音が駆け寄ってくる。
「辰伶…!今日は来ないかと思ってたの!」
飛びついてくる小さな姿を抱きしめる。それだけで、稽古の疲れも吹き飛んでしまう気がした。ゆやの後ろから、ゆっくりと気さくな屋敷の主も姿を現す。
「いらっしゃい、辰伶。今日はもう遅いですから、泊まって行きなさい。あなたの屋敷には、私の方から連絡しておきましょう」
「ありがとうございます、村正さま」
「あなたがいると、ゆやがご機嫌ですからね。遠慮しなくていいですよ」
村正は、屋敷に住まう被後見人が可愛くてしかたないらしい。ゆやの笑顔ためなら、手段を選ばないふしがあった。常識の範囲内ではあったが。今も、ゆやは村正の言葉をきくと、ぱぁっと全開の笑顔になる。
「辰伶、お泊まりするの?じゃあ、ゆやと一緒に寝てね!」
「いいよ。でも、ちゃんと手は布団にいれるんだぞ?」
「うん!」
元気よく頷くゆやを見ると、辰伶も嬉しくなる。自分に妹がいたなら、こんな感じなのだろうか。許されるなら、本当の妹にして屋敷に連れかってしまいたいと、辰伶は思っていた。もちろん村正が許さないのは、わかりきっていたが。
仲良く二人して夜具に入ると、ゆやは辰伶の懐に潜り込んでくる。子供特有の暖かさが気持ちよくて、辰伶もまたゆやをぎゅっと抱きしめていた。そんな二人の様子をみていた村正が、どこか呆れたように言った。
「…腕枕などして眠ると、腕が痛くなりますよ?」
「平気です。ちっとも重くないから」
辰伶は、そう答えた。実際、ゆやは重くなかった。
腕の中で眠りにつくゆやの寝顔を、もう少し見ていたかった。それなのに、いつもいつの間にか一緒に眠ってしまう…それが何だか悔しいことだった。
眠りの縁から、引き戻す声が聞こえる。
「おやおや。またこんなところで。二人とも、風邪を引きますよ?」
やはり何処か呆れた声の主は、村正だった。覚醒する頭で、そういえば自分は村正の屋敷に泊まったのだと思い出す。
まぶたをあけて、起きようとしたのだが。
「……っ!」
なぜか辰伶の目の前に、ゆやの寝顔があった。
さっきまでは、二つか三つの子供だったのに。今、目前にあるのは今年の春に12になった少女の顔。
はた、と自分の手をみると、自分も6つの子供ではなく16になっていることに思い当たる。どうやら昔の夢をみていたらしい。だが、何故か信じられず、思わずゆやが枕にしていた自分の右腕を引き抜いていた。すると当然、ゆやの頭は板間におちる。
「いたっ!…痛いなぁ…あれ?もう朝…?」
衝撃で、12才のゆやが目を覚ます。目をこすりながら辺りを見回す姿に、今が夢でないことをようやく辰伶は理解していた。
顔をあげると傍らには村正が立っていた。夜具ではなく、板間で眠ってしまった二人に注意することを忘れない。
「朝ですよ、ゆや。こんな処で眠ってはいけません。風邪を引きますからね」
「ご、ごめんなさい、村正さま。辰伶と話してたら、いつの間にか眠ってたみたいで……辰伶?」
二人の会話をみていた辰伶は、小さく呟いていた。
「……………夢か…」
「?」
つぶやきの意味がわからないゆやは、首をかしげて辰伶を見つめた。
「何だか、ゆやが小さい頃の夢を見てた……っ!」
苦笑いしながら辰伶は答えたのだが、右腕に走った痛みに言葉をうしなう。
「ど、どうしたの?大丈夫?辰伶っ!」
右腕を押さえて痛みをこらえる辰伶の姿に、ゆやは驚いていた。だが村正は、ぐいっと辰伶の右腕をひっぱる。そうされると、さらに痛みはひどくなった。
「………っ!」
「これは…筋を違えてますね」
悲鳴をかみしめてこらえる辰伶を、どこか楽しそうにみながら、村正は診察するのだった。
結局、辰伶はそのまま村正の屋敷に残った。本当なら、稽古の約束のある吹雪の屋敷に断りにいくのが筋なのだが。
なぜか吹雪が村正の屋敷に来ていた。
「右腕の筋を違えて、稽古を休むと聞いたが…いったい、何をしたのだ?」
「…吹雪さま」
何もかもわかっているぞ、という雰囲気の吹雪に、辰伶はどう答えればいいのかわからない。口ごもる愛弟子の姿にあっさりと吹雪はからかうのをやめた。それよりも、興味があることを尋ねる。
「まあ村正から、大体の話は聞いたがな。ゆやは、いくつになった?13か4か?」
「まだ12です」
辰伶の返事は、即答だった。12ならば、まだ子供の範疇だと辰伶自身も思いたかったので。
「そうか、12になったか。それで、どうして筋を違えた?」
重ねて問われて、辰伶はしぶしぶながら白状した。
「…夢の中では、ふたつかみっつだったのに。目が覚めたら、大きくなったゆやに腕枕をしていました」
「それは、また。斧の柄が朽ちる如き話だな」
「斧の柄…ですか?」
聞き慣れない言葉に辰伶が問いかけると、吹雪は師匠らしく説明してくれた。
「昔、異朝で樵が山中に迷い込み、仙人の囲碁を見物したという。樵はわずかな間のつもりだったが、気がつくと、手にしていた斧の柄が朽ちてボロボロになっていたそうだ」
「不思議な話ですね…」
神妙に話をきく辰伶に、吹雪は穏やかな視線をなげた。この愛弟子は、真面目で融通が利きにくい。それは美点でもあるが、別の方面では欠点になることもある。とくに人間関係などでは。
「…時の流れは、目に見えるものが変わることで知ることができる。心の中の時の流れというものは、ときどきひどく緩やかなことがあるからな」

辰伶が一日屋敷にいるという事実に、ゆやは浮かれていた。最近学問に稽古にと忙しい辰伶となかなか一緒にいられなかったのだ。それに村正に剣術の基本を教えてもらったので、辰伶に見て欲しかったこともあった。
「辰伶、辰伶ってば!相手してよっ!」
木刀をもって、ゆやは辰伶の後ろをついてあるく。辰伶も、左手に木刀をもっていたが、それは自分の稽古用だった。
「駄目だ。お前じゃ、俺の稽古相手にもならない」
「そんなの当たり前じゃない!辰伶、強いんだから!私の稽古の相手をしてほしいって、言ってるの!」
あっさり却下されて、ゆやはムキになってさけぶ。だが。
「嫌だ」
辰伶は、全く相手にしれくれなかった。たしかに、いずれは戦士の頂点である五曜星になろうという辰伶に、ゆやが適うはずもない。そんなことは、ゆやが一番よくわかっている。でも、せっかく剣術をならったのだから、辰伶に見せたかった。ただ、それだけだったのに。ゆやは辰伶の背中に向けて、叫んでいた。
「辰伶の意地悪っ!けちんぼっ!根性なしーっ!」
「…いーかげんに、しろ!」
言いたい放題いわれて、さすがに頭にきたらしい。振り向きざまに、辰伶はゆやがもっていた木刀を跳ね飛ばす。木刀は宙に舞い、これでゆやも諦める…と思ったのは、甘かった。
くるくると落下してくる木刀を、ゆやは素早く捕まえると迷いもなく辰伶に打ちかかった。
「!」
辰伶は、驚きつつも自分の木刀で受け止める。膂力はないが、そのぶん素早い動きだった。それは剣術の基本にそったもので、素人の動きとは異なっていた。

庭先から聞こえてくる木刀の音を、にこにこと村正は聞いていた。
「ああ、やってますね」
「…止めないのか、村正」
茶飲み友達とかしている吹雪がそういっても、村正はなお笑っている。
「仲が良くて、いいじゃありませんか。辰伶も、ちゃんと手加減していますし」
「お前、ゆやに剣術を指南しているな?まさか…」
吹雪が眉を潜めて尋ねるが、村正はあっさりと否定した。
「無明神風流を伝授したりは、していません。あの子に、そんなものは必要ない。ただ…この壬生の地は平和ですが、外の世界はそうでもない。備えがあれば、憂いもありませんからね。自分の身を守れる程度の強さは、身につけてほしいのですよ」
壬生の地にあるかぎり、なんの危険もない。だが、本当に安全なのかと危惧があるらしい。吹雪には取り越し苦労に思えたが、口にはださなかった。言わなくても、村正が理解しているのは知っていたので。
木刀の音は、いつしか止んでいた。
辰伶は、左手でゆやの木刀を今度こそ遠くに跳ね飛ばしていた。それでも数合は打ち合った。剣術を始めたばかりにしては、度胸があって筋がいいと誉めてもよかった…相手がゆやでさえなければ。
一瞥しただけで、辰伶はゆやの手のひらの惨状を理解していた。自分も、剣術を始めたばかりのころはそうなったものだ。井戸の側へつれていき、細い手首をつかんで汚れを水で洗い落としてやると、ゆやは悲鳴をあげた。
「痛いっ!痛いよ、辰伶っ!」
「ちゃんと見せろ!…やっぱり、マメの皮が破れてる…女のくせに、剣術を覚えてどーするんだ!」
やわらかい手のひらは、マメがつぶれて血が滲んでいる。それをみると、無性に腹がたった。こんなことを、ゆやがする必要はないのだ。傷つくことも、汚れることも、何一つさせたくなかった。そんな全てから、自分が守ろうと決めているのに。無鉄砲なゆやは、すこしも自分の心情をわかってくれない。
「やだ、やめてよっ!……こんなにされたら、木刀、もてないじゃない!」
腹立ちまぎれに、掌にぐるぐると包帯を巻き付けた。手袋のようにされて、ゆやは不満を口にする。辰伶の心配など、何処吹く風でもって。あまりの鈍さに、自然と辰伶の口調はきつく、辛辣なものになっていた。
「持たなくていい。村正さまは、お前が何をしても許されているが、俺は気分が悪い。格好だけまねて、何もわかってないくせに…」
そこまでいわれると、ゆやは黙ってしまった。さすがに言い過ぎたかとおもった時。
「…辰伶の、ばかっー!」
ゆやは辰伶の耳元で叫ぶと、身を翻して庭の奥へと駆け去っていく。遠ざかる背中をみながら、辰伶はきーんとなった耳を押さえて、呆然としていた。
「…………」
たちつくす辰伶の背後に、いつのまにか保護者たちが立っていた。
「いけませんね、辰伶」
「あまり感心できんな」
どうやら二人のやりとりの一部始終を見物していたらしい。堂々とした態度は、とてもデバガメとは思えない…実質は同じなのだが。辰伶は、対応に困って保護者たちを見つめる。
「村正さま、吹雪さま…」
村正は辰伶にむかって、やわらかく告げた。
「ゆやは、ゆやなりに色々考えているのですよ。それをちゃんと聞いてあげなさい」
「でも俺は……」
辰伶の言葉を、吹雪が遮った。師匠らしく、諭すように。
「お前が、何を守るために鍛錬しているのかはわかっている。それは、良いことだ。だからこそ、ちゃんと伝えるべきだと思うぞ」
「…………」
考え込んで、沈黙したままの辰伶の背中を押すように、村正は微笑む。
「まだ遠くへは行っていません。追いかけるなら、今ですよ?」
「…失礼します」
辰伶は二人に一礼すると、ゆやの後を追って走り出していた。
去っていく後ろ姿を見送りながら、しみじみと村正は呟く。
「若いですねぇ」
その言葉に頷きながら、吹雪はふと思いついたことを口にした。彼にしても、愛弟子の未来に思うところがあるのだ。
「……それはそうと、お前はゆやを嫁に出す気はあるのか?」
「ありません」
村正の答えは、即答で迷いがない。あんまりな言葉に、吹雪は驚きをかくせない。
「おい…」
狼狽する吹雪に、村正はにっこりと笑いかける。みるものがみれば、寒気を覚える危険な微笑みでもって。
「今はね。あそこの当主が、さっさと引退してくれればいいのですが」
「ああ、アレか」
納得したように、吹雪も相づちをうつ。辰伶の父親は、一族の当主ではあるが何かと問題の多い男だった。世間体を気にするくせに、愛人を囲い庶子を生ませている。それだけにあきたらず認知もしないばかりか、後継問題が面倒だからと暗殺者まで送り出す無分別ぶりだった。そのくせ、身分には人一倍こだわっていたりする。村正がもっとも嫌うタイプだった。
「アレです。あんな家に、可愛い養い子を嫁にはだせませんよ」
思い出すのも腹立たしいのか、村正の口調は冷たい。吹雪にしても、辰伶の父親には思うところが多々ある。確かにゆやを嫁がせたい家ではない。辰伶の希望を叶えてやりたいのは、やまやまなのだが。
「…辰伶も、まだ若いからな」
「気合いをいれて教育してくださいね、吹雪。期待してますから」
ため息をつく吹雪に、村正はにこやかに圧力をかける。さっさと辰伶を鍛えて、父親を隠居させてしまえ!と雰囲気は語っていた。愛弟子の夢と、親友の頼みを叶えてやりたいと願う吹雪は、律儀な漢だった。
「………善処しよう」

そんな保護者たちの会話も知らず。辰伶は、庭の奥でうずくまっていたゆやを見つけていた。
「……ゆや」
そうっと声をかけると、ゆやが顔をあげる。泣いていたのだろう。涙の跡があった。
それをみてしまうと、辰伶は罪悪感を覚える。素直に謝罪の言葉がこぼれた。
「…悪かった。言い過ぎた……ごめん」
手を差し出すと、ゆやは辰伶につかまって立ち上がる。立ち上がっても繋いだ手をはなさず、ぎゅっと握りしめたまま辰伶をみつめる。大きな若緑の瞳でもって。
「…私、私ね…ずっと、辰伶と一緒にいたいの…辰伶が、戦にいくような時がきても、ずっと一緒に…だから、剣術も覚えて…頑張ったの…なのに、辰伶、止めろっていうんだもの……!」
痛いほどに手を握りしめられても、辰伶は気にならなかった。それよりも、純粋な喜びがわき上がってくるのを感じた。初めて逢ったときと同じに、自分の手をしっかりと握る少女。背も髪も伸び、華にたとえるなら、ふくらみ始めたつぼみのように。これからの美しさの予感を秘めている。
繋いだ手を放す心算は、辰伶には毛頭なかった。今までも、これからも、ずっと。
思っていたのが自分だけでなかったことが、こんなに嬉しいとは。想像もしていなかった。
繋がれた手を引き、抱きしめる。細い身体は、あっさりと辰伶の懐に収まった。そうなることが、自然のように。
ゆやの耳元に、辰伶は真剣な声音で告げていた。
「…俺が強くなろうと思ったのは、お前がいるからだ。お前を、守るために俺は強くなる。いままでも、これからも。だから……危ないことは、しないでくれ…」
それが、今の辰伶にできる精一杯の告白だった。しかしゆやは、信頼しきった瞳で辰伶を見上げ、不思議そうに口にする。
「……危なくないよ…?だって、辰伶がいてくれるんでしょう?」
「…………」
鈍感な少女に、辰伶は沈黙する。「好きだ」とか「愛してる」とか。はっきり口にするべきなのだろうが、羞恥が先にたって口にだせない。
幼なじみの二人は、まだまだ前途多難な様子なのだった。


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