眠花

淡い紅色の花が、こぼれ落ちるように咲いていた。春めいた季節のなかでも、そこだけ飛び抜けて華やかな印象を残す。
旅籠の庭に植わった木の花は、美しい花の盛りだった。
「でも、誰もいないし」
花を見上げて、ほたるは呟く。日はとうに落ち、月は高く昇り、遠くから宴席の音が流れてくる時刻。そんな時に花見をする物好きは、そうはいまい。物好きという自覚もなく、ほたほたと庭をいけば小さな東屋が目にはいる。花見のためか、それとも月見のために用意されているのか。首をかしげながらも、ひょいと中をのぞけば先客がいた。紅色の毛氈がしかれた縁台に、くったりと横たわっている。
「……何でいるの?」
思わずつぶやいた声は、先客に届いたらしい。ちらばった金糸を吸い上げて、ゆやは身を起こしていた。
「…あ、ほたるさんだー…」
今ひとつ焦点があってないとろんとした瞳が、ほたるを映している。上気した肌はほんのりと色づき、月明かりでさえも隠すことができない。あまりにらしくない態度に、ほたるはめずらしく目を見開いていた。
「あのですねぇ…ここは涼しくって、気持ちいーんですぅ」
ふにゃ、と笑う笑顔。それはとても可愛らしいのだが…明らかに異常でもあった。風が流れたとき、くん、と酒の香りがただよう。自分も呑んでいたけれど、この香りは違った。
「…お酒、呑んだの?」
「はい!まだありますからぁ…ほたるさんも、呑みましょう!」
酒瓶を片手に満面の笑顔で誘われているのに、断ることはできない。ふらふらとゆやの隣の縁台に腰掛ける。近づけば酒の香りはきつくなり、目の前の娘が既に酩酊状態に近いことを覚らせる。とりあえず、ゆやに酌をしてもらって呑む酒は、どこか甘い味がした。
「何かあったの?」
そう聞けば、ゆやの動きがぴたりと止まる。そのまま、ほたるを見つめる瞳が、やがてうるうると潤んでいく。
「…ほたるさんっ!聞いて下さいっ!狂も幸村さんも、梵天丸さんも、みんなして非道いんです!」
ほたるの着物にしがみついて、涙ながらにゆやが語ったのは。案の定、懐から盗まれ消費されていった貯金たちの末路だった。しかし今回は、ゆやの路銀+幸村や梵天丸がなにがしかの金子をだしたらしい。へそくりでもしていたのかもしれない。まあ、そうでなければこれほど高級の旅籠には泊まれなかっただろう。だが、ゆやにしてみれば「金があるなら、最初からだせばいいのにっ!」…という、言い分だった。
どうやらそれが原因で、一人でやけ酒にはしっていたようだが…ゆやにしがみつかれて、ほたるは気分がよかった。
言葉は右から左へと抜けていき、あとに残るのはふれあう素肌の感触だけ。
…ほたるは、理性的な漢ではないのだ。
「ゆやの肌、あったかくて気持ちいい」
首筋に顔をうずめてささやけば、くすぐったそうに抱きしめた身体がみじろぐ。
抱きしめられた当人といえば、まるで危機感がない。
「ほたるさんの肌、冷たくって気持ちいいです…」
「そう?暑いなら、脱げば…?」
囁きながら、ほたるの腕はゆやの背中にまわっていた。しっかりと結ばれた帯に手をかけると、器用に解いていく。帯がゆるむと、ゆやはほっとした吐息をついていた。
「あ…何だか涼しい…」
身体を締め付けていたものから解き放たれた開放感からか、ゆやはくすくすと笑いなら、ほたるにますますすがりつく。ほたるの方も手際よくゆやの小袖を剥いでいった。単衣姿にして、あらためてゆやが酔っぱらっていることを確認する。ゆるんだ単衣からのぞく素肌は、すべてが色づいていた。
魅惑的な首筋から肩にかけて手をすべらすと、ゆやはふんわりと微笑む。
「気持ちいい?」
そうたずねれば、こっくりと頷く。素直な反応をみれば、もっともっとと身体の奥がざわめく。そのまま、毛氈の上にゆっくりと押し倒す。色づいた肌を更についばみ、濃厚な印をつけていく。印がつけられていくたびに、ゆやの声から笑い声が消えていく。やがて、吐息しか零れなくなった唇に、ほたるは自分の唇を重ねていた。
長く、濃厚な口吻けに酔いしれて、ようやく身を離せば、ゆやはぐったりと意識を飛ばしていた。もともと酔っぱらっていたのだから、しょうがないといえばしょうがない。そのまま、もっと先に進むことはたやすかった。だが、ほたるは身体を起こす。縁台にちらばるゆやの髪をいじりながら、東屋の屋根にむかって話しかけていた。
「…あのさ。これから先は、見て欲しくないんだけど」
「だったら止めろ」
屋根の上から、返事が返ってくる。おそらくゆやが心配で、探しにきたのだろう。もう少し後に来てくれればよかったのに、とほたるは思う。けれど来てしまったものはしょうがない。あいにくほたるには、自分の睦み合いを他人に見せる趣味はないのだ。
「…どっか、いかない?」
「誰がいくかっ!」
声と同時に、手裏剣が飛んでくる。ひょいっとかわしながら、ほたるはため息をついていた。今夜は、諦めたほうがいいのだろう。またとない機会だけれど、続行すれば屋根の上にいる少年忍者と死合になる。死合は、好きだけれど…傍らで、いつしか寝息をたてている少女を起こしてしまうのはしのびない。
「まあ、いっぱいさわれたから、いっか」
「…余計なコト、ほざいてんじゃねーっ!」
悪気のないほたるのつぶやきに、過剰反応をかえしてしまうサスケだった。

今はただ、眠ってしまった花を傍らにおいて。
月明かりにゆれる花を、ほたるは見ていた。
花柄を長く垂らした薄紅色の五弁花が、房のように開いている。
優艶な花は、東洋の名花として名高い。
……あの花は、何という名前だったろうか?